第8話 もう嫌。お家帰りたい。
「アシビ、やめてください」
「……テレサ様、こいつは何ですか?」
語尾に嫌悪感の混ざる声。
そこでようやく私は自分がいま一体何をテレサにしようとしていたのか気づき、慌てて腰を掴んでいた手を離した。
え? 私今テレサに何しようとした?
「最近召喚した異世界人です。ちょうどよかった」
テレサは手間が省けた、と言うように笑みを浮かべて胸の前で手を重ね合わせた。
「エリ、こちらアシビと言います。今日から貴女の専属使用人です」
「え?」
この、今も私の首筋にナイフを当ててる奴が? 私の専属の……?
「ちょっと待って、何専属使用人って」
「もう、やっぱり聞いてなかったんですね私の説明」
「テレサ様の説明を聞いていなかったんですか? こいつ」
「痛い痛い痛い!」
ナイフを首筋に押し当てるだけには留まらず、もう片方の手で私の片手を後ろに引っ張り上げて思いっきり握られる。
そう、ただ握られているだけ。なのになんでこんな痛いの!?
「あぁ、動くと関節が外れますよ。まぁ平和ボケした異世界から来たようですし、そんな簡単な事も分からないのでしょうが」
声に嘲笑が含まれている。顔を見なくても分かる。完全に私に悪意を持ってる。私を馬鹿にしてきてる。
「っ、」
「こら。すぐに暴力に走る癖、貴女の悪い所ですよ」
「すみません。ですがこれはすぐに暴力に走る、エリ様の真似をしているだけです。私の癖ではありません」
ここで初めて私は後ろを振り返って顔を見た。
途端に冷たい眼光に射抜かれる。
青の混じった黒髪を肩の少し上らへんで切り揃え、地毛なのかエクステなのか分からない数束の髪の毛を右側に垂らしている。
ネコ科の動物のように鋭い目つきで私を見下ろす女。
眉間にしわを寄せもせずによくもこんなに敵意を私に伝えられるものだと感心する。
「いい加減にしてほしいんだけど、さっさと離れろ変態」
「どの口が。あなたのさっきの行動からすれば、私が後ろから手を回すぐらい何てことはないでしょう?」
「っ」
こいつ……! 今一番触れてほしくなかったことを……!
「う、あ、あのねテレサ……その、ごめん」
「何がですか?」
「え!? あ、あの……」
すぅーっと音が鳴るほどの深呼吸で心を落ち着かせる。
メイドが隣で冷たい視線を送ってきているが関係ない。
「あの、ごめん。ほんとどうかしてた。ああいうのよくないよね。ほんと……ごめんなさい」
後ろにいるメイドのせいでお辞儀はできない。から目礼でテレサに謝罪を伝える。
するとまた珍しくテレサは目をまん丸くしていた。
「? どうかした?」
「あぁ、いえ……すみません。少し……珍しかったもので」
何が? 謝ること?
テレサは伏し目がちに何かを考えるような動作をしてから、気を取り直したように笑顔を浮かべて続ける。
「そういうことなので。アシビ。エリ。二人とも仲良くしてくださいね」
「え、えぇ……?」
もう一度後ろのメイドと目を合わせる。
冷たい視線が返ってくる。
私に敵意を隠そうともしないメイドを側に置くって。流石にそれは。
「チェンジで」
「エリ様の専属使用人になってもいい、という奇特な人は私以外にはいませんでしたし。到底無理な話です。」
「そういうことなのです。すみません」
「いや、私メイドなんていらないんだけど」
「異世界人には各々専属使用人が付く決まりです。郷に入れば郷に従え。という言葉も知らないんですか?」
「は? 来たくて来た訳じゃない郷のルールに従う必要なんてあるの? 誘拐国家の駄メイドさん」
「テレサ様、こいつ躾けてもよろしいでしょうか」
「駄目です。もう。仲良くしてください」
そうしてテレサの手ずからようやく外してもらった腕と首筋のナイフを見届けて、テレサは一足先に私たちと別れてしまった。
「……」
「……」
「……」
「……」
気まずい沈黙ではない。
私とアシビとかいうこの駄メイドはテレサがいなくなって数秒、ずっと睨みあっていた。
故の沈黙だ。
本当ならこいつに私の部屋を案内してもらうようにとテレサに言われていたが、こんな女に私から物を尋ねるなんて、こう……プライドというか、腹の虫が許さない。
こんなに私に敵意を全開に剥きだして、今にも襲ってきそうなほどの嫌悪感を目に携えて、発声する言葉の節々に嘲笑と見下しを入れてくる得体のしれない女を私の専属メイドにする? テレサは私のことを殺そうとしているのだろうか。
今だってメイド服の上に装着されているナイフを触りながら私を見下しているのに。夜になって眠っている間に刺されて死にそうなんだけど私。
「はぁ……」
私は大げさにため息を大きく吐いて歩き出す。
聞かずとも歩いていればいずれ着くだろう、と思いテレサが歩き去っていった道とは反対方向に歩みを進めた。
駄メイドも「どこへ行くんですか」も何も言わずに私の数歩後ろをついてきて。
そして数十分が経過した。
「バカなんですか?」
「うるさい!」
絶賛迷子だ。迷子中だ。高校生にもなって迷子になったのは新宿駅のダンジョン以来だ。
「くそ、なんでこんな広いのよ。私の部屋どこよ!」
「そもそも、貴女の部屋を見つけたとて、貴女はそれが自分の部屋だと分かるんですか?」
うぐ。
「もしかしてネームプレートかなんかがドアにご丁寧にかかっているとでも?」
「そんなこと思ってないし!」
「じゃあどうやって私に聞かずに自室を探すつもりで?」
声を聞きたくなくて息が上がるくらいの早足で広い廊下を歩いていく。のに駄メイドは息も切らさず一定の距離感を保ちながら私に嘲笑を含めた表情で冷たい言葉を投げ続けている。
忍者かこいつ。
「先ほどからちょろちょろとお城の廊下を渡り歩いて何をしているかと思えば……まさか自室を探しているとは夢にも思いませんでした」
「だってほら。私が貴女の自室を知っていて案内できるのに、私に自室の場所を聞いてこず自分で探して迷子になるなんてそんな馬鹿な事をする人、この世に存在するとは思いませんでしたから」
「あら? 息が上がっていますが、どうしてですか? まさか、異世界人は歩くこともできない未成熟な人間しかいないのでしょうか。あらあら。それならこの世界に来たくなかったと啖呵を切った貴女の気持ちも十分わかります」
「ほら、どうしました? もう早く歩けないんですか? はぁ……老人のような脚力ですね。御見逸れ致しました」
こいつ本当にうざい。
「はぁ……はぁ……」
ヒートアップしていた足を止めて肩で息をする。
本当に、本当に嫌。死ぬほど嫌。
だけど、このままここで徘徊してたら大げさじゃなく夜になる。ので本当に、本当に本当に嫌だけど……
「わたしの、部屋、どこ」
「最初からそう
「っ、いい加減に……!」
「はい? あぁ、また口喧嘩でもしますか? それがいいですね。ではこのままこの廊下で致しましょうか」
「~~~っ!」
ここで口答えもせず我慢した私の強靭な精神を誰か褒めてほしい。
「案内して」
「はいはい。立場を弁えられてご立派ですよ。後でご褒美のお菓子でもあげましょうね」
こんな息を吐くように煽ってくる女が、これから私について回る専属メイドって何その地獄。
もう嫌。お家帰りたい。
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