第16話 こっちを見なさいよッ(後)



「え、ええ……っ? なんで抱きついて来てんだよ」


「そんな気分って言ったら信じる?」


「っ!? み、耳元で囁くんじゃねぇよっ!? 起こしたなら謝るから離れろってっ!!」


「あら、ユーキはアタシに謝るような事をしたのかしら? ね、言ってみてよ」


「っ!? お、おまっ!? なんでっ!?」


 距離感がバグってる、なんて言葉じゃ不十分過ぎる真宵との距離に。

 勇気は動揺を隠しきれなかった、だってそうだろう。

 甘ったるく出された声は、息がかかるぐらいに耳と近く。

 彼女の指先は、彼の頬をぷにぷにと弄ぶ。


(んんんんんんんんっ!? 何が起こってんだよっ!?)


 こんな夜中に背中から抱きついてくるなんて、しかもこんな、こんな、こんな。


(――――すっげぇ恋人っぽいっ!? え? 何で? 俺、コイツのこんなに好感度稼いでた? もしかして真宵は俺のこといつの間にかゾッコンラブでイチャイチャしたかったっ!?)


(うおっしッ、好感触! ユーキなんてチョロいもんよ!!)


(なんだよ畜生っ、すっげー良い匂いがすんだけどぉ!? お、おおおお、おっ、落ち着け、コイツが素直に抱きつくとか罠に決まってんだろ!)


(――では、もう一押し)


 正気に戻る前に攻めるのだ、真宵ははむっと彼の耳を甘噛みし。


「~~~~っ!? んなっ?? なにすんだよテメェ!?」


「あはッ、声裏返ってるわよユーキ。――ふぅ、赤くなっちゃってカッワイー」


「耳っ!? 息吹きかけるなよ!! つーか何のようだよっ!!」


「こんな夜中に男の子に抱きつくなんてさ、……用件なんて一つしかないって思わない?」


 ニタァ、と音が聞こえてきそうな声色。

 勇気の勘違いでなければ、ピンク色が混じっている気がする。

 だが、そこで安易に飛びつく彼ではない。


(何が目的だが知らんが、この俺は陰キャ!! そう陰キャは女の子の誘惑に飛びつかないっ! 相手を思いやるフリして逃げるのを優しさって言い訳するのが陰キャ!!)


(ええ、アンタは持ち直す。でも……逃げ道を断つわ)


(…………待て、ここで逃げるのがコイツの罠へ飛び込む道筋だとすれば?)


(い、行くわよ……露出を上げるは今ッ!!)


 すっと背中から離れる真宵は、同時にパジャマの胸元を大きく開ける。

 色気のない下着ではあるが、明かりの消えた部屋ならば、そして獣欲に身を支配されつつある男の子ならば。

 そう考える彼女であったが、一方で勇気は。


(離れたっ、いや違う……なんか衣擦れの音がするっ、ならアイツは脱いで……いや全部じゃない、だが少なくとも胸は見れる筈っ!! これは絶好の機会っ!! だが――――)


 ここで性欲に身を任せる、その選択はあり得ない。


(真宵に主導権を握られるっ!!)


 陰キャとして引けば罠、押せばイニシアチブを取られる。

 ならば、ここは心を鬼にして。

 決して自分を見失ってはならない、そして相手の方から選択させるのだ。

 ――勇気は振り向いて、にこっと笑い。


「ほい」


「へっ!?」


「押せば倒れるってこの事か? こんな時間に俺を誘うとは……さては本当は一目惚れしてて結婚したいんだなお前、だから俺に愛されたい……そうなんだろう?」


「な、そ、それは――」


 勇気に押し倒された真宵は、しまったと唇を噛んだ。


(イエスでもノーでもダメじゃないこれッ!?)


 押し倒される、その一手だけで形勢は逆転しつつあった。

 彼の問いにイエスと答えれば、婚約破棄の前に美味しくいただかれるばかりか、惚れた弱み的に今後の主導権も握られる。

 しかしてノーと言えば、彼女の企みがバレてしまう。


(くはははははっ、迷ってる、迷ってるなテメェ!! だがな!! どうしようこの状況!!)


(このまま受け入れて、今だけでもシュル缶からコイツを離せれば目的は達成できる、けど……対価が重いッ)


(コイツが頷いたら最後……、俺はコイツを抱かなきゃならない。それは婚約破棄から遠すぎるっ!! というかこの状況の後で婚約破棄したら俺はただのヤリ逃げ野郎じゃんか!! 頼む……頼むから降参してくれ!!)


(引けないッ、イエスともノーとも言えないッ!! なら――)


 女は女優だ、そしてアイドルを目指す身ならば必須事項。

 真宵は恥ずかしそうに目を伏せ、ふいと顔を背ける。


「……察しなさいよ、ばか」


「言葉にして欲しいんだ真宵、お前の口から確かな言葉を聞きたい」


「女に恥をかかせる気? ……分かってるでしょ、触れて……いいのよ」


(こ、コイツっ!! 俺に選ばせる気かっ!!)


 そう、真宵の取った手は勇気と同じ。

 相手に選ばせる事、これにより勇気もまたイエスorノーの選択肢を突きつけられる事となった。


(コトを進めれば、やーい引っかかったと梯子を外されるっ、即ち負けだ!! だが俺が引けば意気地なしと)


 だがそれは真宵も同じだった、勇気がこのまま進めれば受け入れなければならず、彼が引けばそれは企みが露見したと同義。

 硬直、二人には打つ手が無いと思えた。

 ――だが。


(あああああああああっ、何なんだよいったいっ!! いきなり誘惑してきてマウント取ろうとして来やがって!! こっちは腹減ってんだよ!! こうなりゃ自棄だ!! 俺は今から全力で――コイツを愛でる!!)


 勇気は暴走した、ふわっと笑い彼女の上から退くと。

 すぐさま真宵の体を起こして、今度は彼が背中から抱きしめた。


「ゆ、ユーキッ!?」


「ああ、可愛いなぁ。お前はホント可愛いよ真宵……」


「ふぇっ!?」


「うんうん、俺は分かってる、だからお前が素直に俺と結婚したいって言うまで待ってるぜ」


「ちょ、ちょっと何を――」


「――だからさ、お前が素直になるまでこうして抱きしめて可愛がる、朝までずっとだ」


「は、はいいいいいいいいいいいいいいッ!?」


 目を白黒させて固まる真宵を無視し、勇気は彼女の髪の匂いを堪能する。

 爽やかだが、どこか甘い香り。


「ただのシャンプーの香りの筈なのに、どうしてこんなに良い匂いなんだろうなぁ」


「~~ッ!? か、嗅がないでよッ」


「抱きしめるとさ、すっげー柔らかいし。……女の子って感じ、いやお前みたいな可愛い女の子が俺の嫁になるなんてマジ最高だわ」


「ッ!? ~~~~ッ、あ、アンタねぇ!!」


「素直じゃない所も可愛いぞ真宵、――なぁ、キスしてもいいか? 何処にキスして欲しい? 言わないなら……そうだな、この白い首筋からにすっかなぁ」


「は、離せヘンタイッ、ひゃうっ!? 耳なんて舐めるなァ……」


 真っ赤になって力なく抵抗する真宵に、勇気はとても充実した何かを感じて。


(あ、コイツってこういう風に攻めれば良いんじゃね?)


 水池真宵は可愛い、美少女と言って過言ではない。

 アイドルを目指していると公言しているだけあって、美貌の自己研鑽は欠かしていないし。

 そんな彼女が勇気の嫁になるのだ、例え近い将来に婚約破棄するとしても。


(ちょっとはリア充っぽい事っていうかさ、恋人っぽいイチャイチャしても罰は当たらないよな、どーせこんな関係今だけなんだし)


 婚約破棄をしたら、彼女の様な美少女と二度と出会う機会なんて無いだろう。

 なら、今を楽しむべきではないのか。

 目を輝かせた勇気は、彼女の手を取りキスを一つ。


(んにゃあああああああああああッ、マズいッ、マズいってコレぇ!!)


 非常に不本意ながら胸の高まりが押さえきれない、抱きしめられると力が入らない。

 素直に褒められるのが、こんなに心地よいなんて知らなかった。

 男の子にこんな風に迫らせるなんて、初めてなのだ。


「うう……、勘弁してよぉ……」


「そういや字も綺麗だよな、歩き方も、あと自分が一番可愛く見える角度とか計算してんじゃん? あれ、すっごい魅力的だと思う、お前らしいっていうか、だからこそ可愛いっていうかさ」


「んもおおおおおおおおおおおおッ、やめッ、やめてッ、やめてください、やめろォ!! 言うからッ、今回はアタシの負けだからッ!! だからシュル缶で自爆覚悟の攻撃なんて中止してよ!!」


「ああ、成程。それで俺を誘惑…………いやお前何て言った? 自爆テロ? 何をどうしてそう思ったんだ?」


「………………え?」


 きょとんとする真宵に、勇気は苦笑しながら言った。


「俺はただ、シュル缶をお前と一緒に食いたいって考えてただけだ」


「…………ってコトは……アタシの、勘違い?」


「そうだ、全力で空回ってたな」


「うおおおおおおおおおッ、恥ッ、恥ずかしいッ!! 穴があったら入りたいわよォ!!」


「その代わりに俺の腕の中に居るだろ? ああ、俺の胸の中に顔を隠してもいいぜ」


「何でそんなコトしなきゃいけないのよッ! キモッ、キザったらしい言葉が似合わないのよアンタはッ!!」


 腕の中でうーうー唸る可愛い生物に、勇気はこれからどうしようか逡巡し。


「ま、誤解で済んで良かったぜ。罰として明日の晩飯はお前が作れよ、美味いの期待してるからな」


「…………分かったわよ、目にもの見せてやるんだから」


「それから、寒いから今日は俺の湯たんぽとして一緒に寝るぞ」


「はいは……ん? 今アンタ、何て――ってマジなのッ!? ああもうッ、自分で動くからって、うわぁッ、んもう! 強引過ぎよユーキッ!?」


「はー、暖ったけぇ……。良く眠れそ…………ぐー、ぐー、ぐー」


「え、寝たの? 本当に? マジで? え、アタシこのままマジでコイツの抱き枕になって寝るの?? 枕がコイツの胸板しか無いんだけど??」


 速攻で爆睡し始めた勇気に、戸惑いしかない真宵。

 結局彼女は、そのまま眠るしかなくて。

 そして次の日の夕方である、セーラー服の上からエプロンを装備した真宵は。


「――これより料理を開始するわッ、美味しいって言わせてやるんだからね!!」


「うっひょう!! 憧れの!! 女の子の手料理っ、だぁああああああああああ!!」


 正座のまま喜ぶ勇気へ、仁王立ちでおたまを突きつけたのだった。


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