第15話 こっちを見なさいよッ(前)



 一人の食いしん坊としては、シュル缶を食すに躊躇いは無い。

 しかし、開封準備こそが難敵であるのだ。


(アパートの庭で……いやちょっと不安だよな臭い的な意味で、英雄兄さんの家の庭もスペースありそうだけど論外、というかそれしたらフィリアさんに殺されるぜ)


 かの従兄弟殿は、楽しそうな事と見ると躊躇い一つ見せず突っ込むタイプだ。

 故に、喜び勇んでシュル缶を開けようとする光景は目に浮かび。

 あの奥方とて、流石に許容できず止めに入るだろう。


「妻、……真宵は(シュル缶を開ける事を)どう思うかねぇ?」


(ッ!? い、今アタシの名前を呼んだッ!? はぁ? つ、妻ッ!? アタシがアンタの奥さんだってのッ!?)


「真宵なら(シュル缶を開けるのを)押し通せるか?」


(何を押し通すの――――ッ!?)


 聞き耳を立てていた真宵の心臓はドキドキバクバクと五月蠅いぐらいに高鳴っている。

 だが、安易な勘違いをしない。

 前回、それで恥ずかしい思い違いをしているからだ。


(ま、まだ決まったワケじゃないわ。そーっと、そっと、ユーキが気がつかない様に……)


 彼が背を向けていることを期と捉え、ゆっくりと布団から出て観察ポジションを変える。

 そして真宵の視界に入ったのは、シュールストレミング缶。


(…………あー、あー、ああ、成程? 分かってた、知ってた、アイツがアタシに手を出さないって、最初から気づいてたから)


 果たしてその言い訳は誰の為だったか、落胆半分安心半分の溜息を吐いた真宵。

 彼女は缶詰に鋭い視線を送り、危機感を覚え始めた。


(――――――え、ちょっと待って、なんでアイツあんなの見つめてるワケ??)


 下手に開封すれば最後、この部屋に住めなくなるどころか人体への被害も十二分にあり得る危険な代物。

 もしや彼は、その缶詰を。


(食べたい、俺は今、すっげぇコレが食べてぇ!!)


(アタシへの攻撃手段として使う、そう企んでるのねユーキッ!!)


 方や食欲にまみれ、方や勘違いで敵意を向けて。


(流石に今じゃねぇが、そう今週中……いや明日、明日にでも)


(ここは様子見に回って――遅い、それじゃあ遅いわ)


(待った、肝心な事を忘れてる。……シュールストレミングはどう食うのが一番美味いのかっ!! そうだよ、これを考えるのが先だ!!)


(ッ!? 缶を手に取った!? くッ、まさか今から仕掛けてくるって言うのッ!?)


 すれ違いは加速する。


(イメージしろ………これは魚の発酵食品だ、つまり炙ってヨシ、炒めてヨシ)


(背後から奇襲をかけるッ、いえ落ち着くのよアタシ……もし気づかれれば最悪の事態もあり得るわ)


(パン……フランスパン、食パンに挟んでホットサンド、……チーズ、そうかチーズのとレタスの用意が必要なんだなっ!! ふふふ、聞こえてくるぜお前の美味しい食べ方がよぉ!! あ、一応ネットでレシピや注意事項も調べておくか)


(先に防御を固めるべき、……それとも逃走経路、今の内に着替えておくべきか)


 一方的に緊迫の一瞬、その時であった。

 勇気がふむ、と声を出し。


「(折角の珍味だし真宵にも食べさせてぇな、開封するにも準備が必要だし、それに……アイツにも)俺にも(猛烈な悪臭に耐える)覚悟が必要だな」


(俺にも覚悟ッ!? ま、まさか自爆覚悟で攻撃してくる気ッ!? 正気なのッ!!)


「(俺の料理で)真宵を喜ばせてやるぜ……へっへっへっ」


(覚悟ッ、ユーキの背中に覚悟が見えるッ!! ――もう、一刻の猶予もないわ)


 ごくり、と真宵は唾を飲む。

 今、シュル缶自爆テロの惨劇を止められるのは己だけ。


(――ベストは合意によるシュル缶の廃棄、最悪でも力付くで奪う)


 だが扱いには慎重にならなければ、だが慎重に事を押し進め過ぎると狙いを気付かれかねない。


(ここは趣味を排除して真っ向から交渉……いえそれは違うわね、それではベストに届かない)


 交渉する、それ自体が今回の真宵のウィークポイントに成り得る可能性があるからだ。

 そして交渉が必ず成立する保証は無く、相手を舞台に立たせた時点で負けの可能性も出てくる。


(ユーキに何もさせずに封殺する、そうと気付かれずに……つまり意識を他の事へ向ける必要がある)


 真宵の思考が冷徹に回る、勝利の為に己の損害を許容し始める。


(――――色仕掛け、誘惑をするわ。ユーキと言えど性別は男で、男は野獣。アタシの様な美少女の誘惑を前にどこまで正気でいられるか)


 狙うは彼の理性と欲望の狭間、揺れ動き迷う瞬間を狙って誘導する。

 だが、一歩間違えれば。


(処女を捨てる覚悟をするわ、した、勝利の為なら――貞操ぐらい何だって言うのよ!!)


 そういう思考であるから、周囲からアイドルへの道を断念する様に言われている真宵ではあるが。

 幸か不幸か、この場にそう忠告してくれる人々はおらず。


(アンタを手玉にとってあげる、覚悟しなさいッ)


(今すぐ真宵を起こして同意を……、いや流石に迷惑だろ、時間を考えろよ俺。明日で……いやでも腹減ったっ!!)


(……所で、どうやって誘惑すればいいの?? やっぱり露出多めで抱きつく? 目の前でスカートでも持ち上げ……あ、今パジャマだったわ。じゃ、じゃあ胸を押しつけて――くぅッ、自分の戦闘力の無さが恨めしい!! お尻にはちょっと自信があるのにぃッ)


(――――よし、カップ麺……はダメだな前みたいに起こしちまう。炊飯器の中の冷や飯でオニギリを作る、これだっ!!)


 そうと決まればと立ち上がる勇気、真宵はそれに気づき慌てて立ち上がって。


(ええーーいッ、女は度胸と愛嬌!! とりま背中に抱きついてスキンシップ多めでアイツの注意を引くッ)


 彼が炊飯器の蓋を開けようとした瞬間であった、後ろからぎゅっと抱きしめられ。

 背中に慎ましやかであるが、柔らかい二つの山の感触。


「――――なーにしてんの、こんな時間まで夜更かしして」


「ま、真宵っ!?」


 真宵に抱きつかれ、勇気は吃驚して体を強ばらせた。



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