第14話 花蕾龍葉を撃退せよ(後)



 シュールストレミングス缶、通称シュル缶。

 それはスウェーデンで生産されている、世界一臭いニシンの缶詰である。

 開封するには屋外で、さらにマスクとレインコートと傘が必須という危険な発酵食品だ。

 そんな物体が学校で開けられたらどうなるか、そして一個人への復讐に使われたらどうなるか。


「太志ちょっとタイム!! 真宵と意見交換させてくれ!!」


「オッケー、最大五分ブヒよ」


「ウオオオオオオオッ、急ぐわよユーキ! 早くこっちこっち!」


「念のためにカーテンで覆うが、変な誤解はするなよ太志」


「はいはい、手早くね」


 二人は太志を置いて、急いで家庭科室の窓側へ。

 会話が出来るだけ聞こえぬ様にカーテンをまとい、二人っきりの空間を作り上げる。

 そして顔を付き合わせると、小声で密談開始。


「(どうすんだよアイツ、マジの目をしてたぞっ!?)」


「(ブラフの可能性は? シュル缶はアタシ達への交渉材料とかの可能性は?)」


「(無い、断言できるぜ。なんたって――親友だからな!)」


「(はいはい、じゃあどうすんのよ親友さん。マジで実行するなら、危険きわまりない行為じゃないの?)」


「(…………実はな、一つだけ手があるんだ)」


 そう、勇気には太志を止める手段があった。

 けれどそれは、出来るだけ使いたくない手で。

 彼の表情から危険な臭いを察知した真宵は、はようと続きを促す。


「(勿体ぶらないで何でも言いなさいよ、出来るだけ協力するから)」


「(…………お前を危険に晒す事になる、男として、そして仮にも許嫁として、それは……嫌だ)」


「(ユーキ……)」


 きっぱり言い放った許嫁の姿に、真宵の心はうっかり高鳴って。


(ち、違うからッ、全然ドキっとしてないから!! こんな風に守ろうとしてくれるんだ、とか思ってないからッ!!)


「(真宵? どうかしたか? やっぱり危険だから……)」


「(何でもないわよッ! それに危険な勝負なら望む所ッ!! どんな犠牲を払ってでも勝ちにいくわッ!!)」


「(……なんで、そう言い切れるんだ?)」


「(だってアンタと一緒に挑むんだもん、当たり前でしょ?)」


 さも当然と言わんばかりの真宵に、勇気は頬を赤らめて視線を反らしてしまう。


(反則だろそれ……、なんでそんなに真っ直ぐに俺を信頼してるんだよコイツ…………)


 だが――、それで心は決まった。


「(太志を賭けをする、付き合え)」


「(おっけ、協力するわッ! コテンパンにするわよ!!)」


 そして二人は彼の前に戻ると、冷蔵庫から持ってきた白い箱を間に置き。


「なんだいコレ? こんなものあったっブヒ?」


「実は昼休みに俺が作った、――真宵に食わせようとな」


「やっぱ食べ物なんだ、それで中身は何ブヒ?」


「シュークリーム、ただし三つの中で一つだけ…………わさびとカラシが入ってる」


「ッ!? は!? アンタ何しようとしてたのッ!?」


「これでテメェにドッキリしようと思ってたんだよ!!」


 痴話喧嘩しそうな二人、だが太志は冷静に箱を見つめながら言った。


「勇気、君はこれでボクとロシアンルーレットをしようってブヒね?」


「そうだ、俺達がハズレを引いたらお前はシュル缶テロを諦めろ」


「ボクが勝ったらどうするブヒ?」


「…………俺は一日女装して授業を受ける、真宵は男装して受ける。これでどうだ?」


「っ!? そ、そんなっ!? 陰キャを自称する癖に、男らしさに拘って童顔コンプレックスの勇気が女装だってっ!? しかも胸が残念そうで実はコンプレックスかもしれない真宵さんに男装させるっ!? ――――ほ、本気なんだね勇気っ!!」


(これ、アタシ怒って良いのよね? コイツら殴っても許されるわよね??)


 とはいえ今はその時ではない、後で絶対殴ると心に決め。

 真宵は太志の決断を、注意深く見守る。


「…………分かったブヒ、その勝負乗ってやるブヒよ!! けどボクからも条件があるブヒィ!!」


「条件だと?」


「勇気は勝つためならイカサマするタイプだからブヒね、――だからシュークリームを選ぶのは水池さんブヒ」


「えッ、アタシ?」


「そうブヒ、問題ないブヒね」


「……分かった、受け入れよう」


 勇気は真宵に向かって頷き、彼女もまた頷き返した。


「じゃあお皿に一つずつ移して、蓋の代わりに大きめのボールで蓋をする、そしてそれをアタシは目を詰むって入れ替える」


「それで良いブヒ、とる順番はじゃんけんブヒね」


「ああ、それで良いぜ」


 一見すると全てがランダム、公平な条件とも見えよう。

 だが。


(悪いな太志……俺は勝たせて貰う、真宵との打ち合わせはバッチリだぜ!!)


(なんて事を勇気は考えてるブヒね、そんな事はお見通しだよ。だからきっとボクには分からない目印がある筈ブヒ)


(アイツのサインを見逃さないようにしないとな、俺にもハズレがどれか分からねぇからな!! ま、俺が分からなければイカサマがバレるリスクも少ないってもんだぜ)


(…………目印じゃない、水池さんに全て委ねているブヒね。なら――)


 何度か真宵は入れ替えて、ふと手を止める。


(………………このままだと、なーんか面白くないわよね、何て言うの? シュル缶テロの驚異は分かるけど――――リスクが足りない、そうイカサマで勝ちの決まったギャンブルなんて面白くない)


 仮に相手がイカサマをしているなら、こちらもイカサマで勝つのが楽しいのだ、と大声で言える真宵であったが。

 生憎と、今日はイカサマをしかけて確定した勝利を頂く予定だ。

 そんな事で、本当に楽しいのだろうか。


「もうシャッフルは終わりブヒ? ――なら水池さん、これはもしもの話なんだけど……ボクが勝てるようにしてくれるなら、勇気との婚約破棄の手助けを約束するブヒよ」


「っ!? ちょっ、太志っ!? 何を言い出すんだテメェ!!」


「そうねぇ……、それはとても興味深い話だわ。ええ、これはもしもの話だけど、私は何らかの方法で目印を付けているかもしれない、そしてそれを天見君に教えても良い」


「真宵っ!? おい真宵?? 真宵さん!? 真宵様っ!? テメェ状況分かってんのかよっ!? 太志が勝ったら大騒動だぞっ!?」


 慌てる勇気に、真宵は愉しそうに笑うと両手を勇気のみならず太志にも差し出す。


「足りない……足りないわね、それぐらいじゃッ!! さぁさぁ、アタシに勝たせて欲しかったらもっとベットするのよ!!」


「勇気の恥ずかしい昔話っ!! 初恋の話もつけるブヒ!!」


「テメェ太志っ!? あ、真宵様、肩をお揉みしましょうか?」


「そうだブヒ、勇気の唯一嫌いな食べ物も教えるよ!!」


「俺のプライバシーっ!? た、頼む真宵っ!! お前にも事態の重さは理解してるだろう? だから、なっ、お願いだ俺を勝たせてくれぇっ!!」


 両手を顔の前で合わせて拝むように懇願する許嫁を、真宵はヘッと鼻で笑い。


「…………へー、ほー、ふーん、天見君は色々差し出してくれるっていうのにさぁ、アンタって何もくれないのね、それなのに要求だけはするんだぁ……ちょっと頭が高いと思わない?」


「ははーーーーっ!! どうか勝たせてくださいませ麗しき真宵さまっ!!」


「す、凄いブヒっ!? なんて綺麗な土下座なんだっ!! 勝つためならプライドを捨てるというのか勇気っ!?」


「うーん、どうしよっかなぁ~~、なーんか足りないって思わない?」


「――――…………靴をお舐めします、いえ生足を舐めさせてください」


「キモっ、あー、ダメだわ幻滅だわ、こんなプライドの無い許嫁を勝たせるなんて、ねぇ……」


「ちっくしょおおおおおおおおおおおおっ!! 弄ばれたああああああああああああっ!?」


 盛大に嘆く勇気を見て、真宵はガハハと笑って。

 次に、にっこりと花が咲くように顔を綻ばせる。


「残念、二人とも失格ね。じゃあこのカラシとワサビを……」


「っ!? て、テメェ何するつもりだっ!?」


「ハズレが一つだけなんで面白くないでしょ? だから…………こうしてっ!! ハズレを増やす!! これで当たりの確率は三分の一ッ!! ひゃっはー面白くなってきたわッ!!」


「何してんだテメェエエエエエエエエエエエっ!?」


 もはや阿鼻叫喚の勢い、その光景に太志はゴクリと唾を飲み込んで。


「知らなかった……水池さんってギャンブルジャンキーなんだね、うん、…………ま、これで公平ってもんだよ勇気! この先、苦労するだろうけど頑張って!」


「畜生っ!! おい真宵っ!! テメェ後で覚えておけよ!!」


「はいはい、ハズレを引いた後でも言えたら覚えておいてあげるわ。――じゃあ行くわよ、二人とも目を閉じて」


 真宵は三つの皿を再びシャッフルする、今度こそ公平に。


「……はい、いいわ。アタシも目を瞑ったからもう分からない。心の準備はオーケー?」


「…………ああ、良いぜ」


「ボクも大丈夫ブヒ」


 親友同士は頷くと、お互いの右手を前に出し。


「いくぞ太志っ!!」「いくよ勇気!!」


「「じゃんけん、――ぽんっ!!」」


 そして。

 勇気はチョキ、太志はグー。


「じゃあ……ボクが後攻だ」


「なっ、テメェ有利な方を取りやがったなっ!?」


「ハズレが多くなったからね、だったら後攻ブヒよ」


「ち、畜生……だが俺が当たりを引けば良いんだ、そうだ当たりを引くんだ……っ!!」


「さ、どれでも好きなの選びなさいな。ちなみにマジでアタシも分からないから」


 目の前にある三つのシュークリーム、当たりは一つ。


(うおおおおおおおっ、悩む、悩むぞこれ……右か? それとも左? ……いや、真ん中、男なら真ん中……、いや違うっ、さっきの会話で真宵は揺れていたっ、なら俺が選びそうな場所にハズレを置いている筈…………だ、だが、ギャンブル狂のコイツがそんなイカサマ……ううっ、分からねぇっ!!)


「ほーら早く選びなさいよ、あ、選んでもまだ食べないでよ。同時に食べるの」


「ふふふ、悩んでも無駄ブヒよ」


「うっさいっ、ああもう――――これだっ!! 男ならド真ん中!!」


「じゃあボクは右を選ぶブヒ」


「はい、決定ね。じゃあ手に持って……、さぁ一気にかぶりつきなさいッ!!」


「俺は食べるぞおおおおおおお!!」


「負けないブッヒィ!!」


 二人は無理矢理シュークリームを頬張って、一秒、二秒、三秒。

 真宵がわくわくしながら見守る中、二人に変化は無い。


(…………これは、よっし当たりだな!!)


(ううーん、もしやこれは当たりブヒ!? ボクの運も捨てたもんじゃないね)


 笑顔を見せる勇気と太志、――だが。


「っ!?」「ぃ!!」


「ふおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!? み、水をくれえええええええええっ! からっ!? つーんと、鼻つーんとおおおおおおおおおおっ!?」


「ぶっひいいいいいいいいいいいいいいいいっ!? 口直しっ、口直しいいいいいいいいいいいっ!!」


「ギャハハハハハハハッ、二人ともハズレーーッ!! ねぇユーキ、いまどんな気持ち? どんな気持ち?アタシに土下座までしたのに負けたのはどんな気持ちっ!?」


(こ、コイツ~~~っ!! これ見よがしに煽って来やがってぇ…………!!)


 悶絶しながら悔しがる勇気、同じく水をがぶ飲みする太志。

 その光景を、お腹を抱えて爆笑する真宵。


「――――っ、は、ぁ……、ぼ、ボクの負けだよユーキ。引き分け、つまりボクは君に勝てなかった……ならきっとあのクソ女にも勝てないって事を暗示してるんだブヒ」


「わ、分かってくれて、……はぁ、はぁ、っ、よ、良かったぜ……」


「あー、愉しかった!! じゃあ帰りましょうか……」


 鞄を手に取ろうとする真宵、だがこのままでは勇気は収まらない。


(例えっ!! 俺がこれ以上苦しむ事になったとしても…………っ、受けた屈辱は返すっ!! 後で後悔したとしてもだっ!!)


 そうと決まれば、カラシとワサビのチューブを右手で握りしめ。

 勇気は真宵の肩を掴み、満面の笑みを浮かべた。


「ん? 何よまだ何かあるの?」


「ああ、ちょっと不公平だと思ってな。お前に許嫁としてプレゼントを送ろうと思うんだ」


「成程? じゃあなんでそんなに強く掴むのかしら?」


「お前と離れたくないから」


「その手のチューブは何? まさかアタシに直接食べさせようってワケじゃないわよね」


「ああこれはな、残った最後の一つに……こう、注入して……」


 太志が何事かと注目する中、勇気は当たりのシュークリームにワサビとカラシを投入。


「いや、流石にそんなの要らないから。絶対に食べないわよ」


「大丈夫だ、お前にあげるのは俺のキスだからな。しかも大人のだ」


「………………つまり?」


 ヤバイ、これはヤバイ、真宵は滝のように汗を流し始める。

 もしかして、これはもしかして。


「このシュークリームっ!! 再び食べるっ!! お前とのキスはその後だっ!!」


「ほわぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~ッ!? な、何考えてるのよアンタッ!? は、離しなさいよ!!」


「問答無用っ!! いざ実食ぅ!!」


「ぬわアアアアアアアアアアアアアアッ!? ちょッ、顔近い近い近いッ!? うっぎゃああああああッ、ごめんごめん謝るからぬおおおおおおおおおおおッ、乙女のピンチよオオオオオオオオオオオオッ!!」


 自爆覚悟で口移しを敢行する勇気、真宵は必死に回避しようと身を捩ったり、両手で押し返そうとするも。

 本気の覚悟で来ている勇気には勝てない、じりじりと距離は詰められて。


「~~~~~~~~~~~~ッ!?」


「――――――勝った!! 悪は滅びたっていうか水ぅ!! 誰か水をくれええええええええええええええ!!」


 二度目のキスは、ワサビとカラシとクリームの異次元の味である。

 床に転げ回る二人を、太志は感動し涙を浮かべた目で見て。


「わ、分かったブヒよ勇気!! 君の命がけのメッセージは受け取った!! クソ女にはこっちから自爆覚悟でアプローチして粉砕する!! そういう事ブヒね!! ありがとう親友!! このシュル缶は君の物ブヒ!!」


「いや水くれ……って、もう居ないっ!? ド畜生めっ!!」


「ド畜生はこっちの台詞よ、このバカ男オオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 学校の平和は守られた、そして勇気と真宵の戦いは引き分け。

 なんだかんだで、罵りあいつつ仲良く帰った二人であったが。

 その数日後の夜、日付が変わろうとしている瞬間であった。


「…………世界でも有名な珍味か、やっぱ気になるよなぁ」


 真宵の隣の布団はもぬけの殻、台所ではその布団の主である勇気の姿があって。

 そして彼の目の前には、シュールストレミング缶が鎮座していたのであった。


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