第12話 闘争心



 どうしてこうなった、勇気と真宵の心はそれで埋め尽くされていた。

 然もあらん、否が応でも意識してしまうだろう。

 何せ、ラブホという空間は恋人達の最終地点とでも言うべき所であり。


(み、見るなよ俺ぇ……、真宵の方を見るんじゃないっていうか何でコイツ俺の隣に座るの!? というか何で俺はベッドに座っちゃったんだよっ!!)


(うううううッ、ミスった、完全に選択肢ミスったわ。ユーキの隣に座らなきゃよかった……、もしコイツが雰囲気に流されちゃったら抵抗出来ない位置じゃんッ!!)


 意識してしまう、二人は健康的な男女であり、年頃の男女であるからして。

 もし何かを間違えればそうなるのかも、と。

 その一歩手前、崖から落ちる寸前にいるのだと。

 率直に言って、うっかり初体験寸前である。


(くそっ、くそくそくそっ!! どうしてっ、どうしてこうなったんだっ!! いや俺が悪いんだけども!! こうも裏目に出る? 今までこんな事、一度も無かったんだよコイツと出会うまでは!!)


 そう、そうなのだ。

 脇部勇気の人生はあの日、真宵と出会ってから狂った。

 陰キャとして、悠々自適な日々を過ごしていたのに。

 彼女に出会ってしまった所為で、平穏が遠のいていく。


(ああ、なんで――――)


 視界がぐにゃあと歪む、隣の体温が残酷なまでに心地よい。

 すぐ手の届く位置にある、己の、勇気だけの女になるかもしれない存在。

 心臓の鼓動が五月蠅い、バクバク、バクバク、ゴウゴウと血流が激しく流れる音さえしている気がする。

 今の勇気は、誘惑が心も体も浸食していって堪えるので必死だ。


(なんで……、こんな変なヤツの事が気になるのよ……)


 ドキドキしながら、ちらりと隣を見る。

 彼も一緒だという安心感と、ある種の絶望感が遅う。

 ここから一歩踏み出しただけで、それは幸せな地獄だ。

 己が納得せぬまま、己に負けてしまう。


(本当は分かってる、アイドルを目指すなんてこの関係を受け入れた後でも出来るって)


 だから。


(これはアタシの意地、負けたくないって、……ただ、それだけ)


 だからこそ、ここで負けるのは違う。

 違うのだ、周囲に、雰囲気に流されて勝利を諦めるのと、自分の意志で負けるのでは大幅に違う。

 けれど今の状況は、抗い難い誘惑が目の前にある。


(…………惑わされるなっ、こんな所で俺は安易に求めたりしないっ!!)


(アタシは負けない、そうよ負けないんだからッ!!)


 でも。


(俺は本当に……、このまま意地を張って良いのか?)


(手を延ばせば、コイツはアタシを求めてくる。……それをアタシは受け入れてしまう……それで、良いと思ってしまう)


 揺らぐ、揺らいでしまう。

 隣を見る、視線があってしまう。

 外せない、真宵の瞳に吸い込まれていきそうな感覚。

 外せない、勇気の瞳の中には確かに真宵の姿があって。


(運命……)


(なのかもしれないわ)


 小指が触れあう、伝わる体温。

 誰も見ていない、咎める者はいない。

 この場には言い訳が無尽蔵にある、そういう施設だ、その為の空間だ、誰に、そして己にさえはばかる理由があるのだろうか。


(今、俺がコイツを襲えば……ああ、それはコイツが婚約破棄する理由になる)


(襲っても襲われても、アタシ達は理由にしてしまう)


 二人は直感した、ここが本当の分水嶺だと。

 己は変えられない、変える気はない。

 今、そう今、二人の間に決定的な関係が出来てしまえば。


(俺は真宵を手に入れて、真宵を失う、その先に結婚があったとしても、婚約破棄があったとしても)


(負けるのよ、お見合いの時みたいに引き分けで終わるワケじゃない。――敗北、アタシ達は二人とも負ける)


 二人が争う意味が無くなる。

 二人の気持ちを前に進める理由がなくなる。

 二人は負け犬として過ごすしかなくなる。


(でもさ)


(それって……)


 なんと甘美な誘惑であろうか、今抱えている問題が全て無くなる。

 そして待ってるのは、ただ相手を求めるだけの幸せ。

 仕方がなかった、そう言い続ける幸せだ。


 勇気は想像してしまう、このまま二人は周囲が思うような熱愛中の恋人になって。

 五ヶ月後の彼の誕生日に入籍、もしかしたら在学中に真宵は妊娠するかもしれない。

 子供も生まれ、幸せに、普通な、折れしまった何かを忘れ去りながら。


 真宵は夢想する、これっきりの関係で勇気と離れ生きていく人生を。

 アイドルになるのかもしれない、普通に働くのかもしれない。

 でも勇気は側にいない、隣の温もりを時折思い出しながら、負けてしまった後悔を抱えて生きていくのだ。


(俺は、そんなもん――――)


(あるかもしれない未来、でもあたしは…………)


 誘惑に負ける、それで繋がる新たな未来があるかもしれない。

 誘惑に負ける、それは想像するより良い関係になるかもしれない。

 最悪の未来じゃない、最善の未来だってあるかもいれない。

 だが、だが、だが、だが、だが、だが、だが。


 燃え上がる、崖っぷちに立っているからこそ。

 負けられない、望まない勝利が目前であるからこそ。

 エンディングには、まだ早い。

 ――見つめ合う二人の顔が近づいて。


(お前も、そう思うだろう真宵っ!!)


(こんな所で折れるなんてあり得ないわよねアンタもッ!!)


 ああ、そうだ、二人にとってここに来たのは正解であった。

 抗う、相手に、何より自分に負けない為に。

 そうでなければ、どうしてあのお見合いの時に道化を演じてまで抵抗しようとしたのか。

 例えこの先も道化を続け、本当に惚れてしまう未来が待っているとしても。


「真宵いいいいいいいいいいいいいいいっ!!」


「勇気いいいいいいいいいいいいいいいッ!!」


 二人の気持ちは同じく、今この瞬間だけは言葉などいらない。

 視線が離れないのなら、離さなくていい。

 相手の温もりを欲しているなら、欲すればいい。


(でもなぁ!! この痛みをくらってテメェがまだ色ボケしてるならの話だっ!!)


(いくわよ!! 例え顔に傷ついたって、譲れないもんはあるのよッ!!)


 歯を食いしばって、見つめ合ったまま、手を繋ぎ合ったまま二人は上体を後ろに反らし。

 そのまま勢いよく。


「でりゃあああああああああああああああああ!!」


「こんチクショオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 がつん、と火花が勢いよく散った。


(~~~~~っ、デコ痛てぇ!! でもそれがどうした!!)


(おでこの痛みぐらい、安いもんよッ!!)


 その痛みが、二人に己を取り戻させる。

 もう雰囲気流されない、最後の最後で立ち止まる意志の強さを二人は手に入れた。

 勇気は額の痛みを笑い飛ばし、真宵を挑発する。


「よぉ、目は覚めたか真宵。どーせラブホに来たなら将来の練習でもしていくか?」


「あら、まだ頭が沸いてるのね。一人で腰振ってなさいよ、笑って見ててあげるから」


「冗談ぬかせ、もしイエスつったらセフレにしてやろうと思ったぜ」


「冗談のセンス無いわね、ファッション陰キャ童貞男。モテないわよ」


「まぁ、俺には可愛くて相思相愛って事になってる許嫁さまが居るから? 童貞じゃなくなるのも時間の問題だぜポンコツ処女」


「あーら童貞が吠えよるわ、ま、アタシも男の癖に童顔で可愛い許嫁がいて、しかも相思相愛だから問題ないけどね」


「ははっ、不幸な許嫁もいたもんだぜ」


「あははッ、アンタの許嫁なんて不幸そのもの。顔を見てみたいわ」


 ゆっくりと勇気と真宵は立ち上がる、もうこの場所に留まる必要は無い。

 だから。


「はっきり言っておくぜ、この婚約、許嫁であるテメェの方から断れ」


「はっきりしておくわ、許嫁であるアンタから婚約破棄するって言いなさいよ」


「ふーん、やっぱ平行線か。お前も意見を変える気はねぇんだろ?」


「勿論よ、だから……分かってるわね」


 真宵は右手の拳を差し出して、勇気もそれに答える。


「勝負だ真宵、――俺に惚れて後悔すんじゃねぇぞ」


「勝負よ勇気、――アタシに惚れたら火傷じゃすまないから」


 そして二人は部屋を出る、今度は自然に手を繋いで。

 胸を張って晴れやかにラブホを出る。

 だが。


「…………なぁ、雨が降ってるけど傘持ってるか?」


「アンタこそ持ってないの?」


 お互いに視線を合わせ問いかけた所で、無いものは無い。

 故に。


「しゃーねぇ、ファミレスまで走るぞ!! 負けた方が奢りな!!」


「はッ、逃げ足だけは早いって昔から褒められてたアタシの早さに驚きなさいッ!!」


 二人は元気よく走り出した、――それを驚いた目で見ていた花蕾龍葉の姿に気づかずに。


「――使える、この写真があれば私も太志とワンチャンある……!!」


 と、不穏な事を呟いて彼女もまた走り出す。

 そして次の日である。

 放課後、勇気と真宵は太志によって家庭科室に連れてこられ。


「勇気、水池さん、良く来てくれたブヒ!! これより料理研究部の特別活動!! 別名『あの面倒臭い女を世界の珍味で撃退しよう大作戦』の会議を始めるブヒよ!!」


 許嫁同士は仲良く首を傾げ、疑問を表明した。




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