第3話 同棲って早くない??



 真宵の着替えを目撃してしまうという、実に不幸なトラブルはあったものの。

 十分後、落ち着きを取り戻した二人はちゃぶ台を挟んで睨みあっていた。


「…………この事、聞いてたのアンタ?」


「聞いてる訳ないだろうが、お前こそ聞いてたのかよ」


「聞いてたら、今この場に居ないわよバカッ!!」


「バカとはなんだクソオンナ!! 俺だってテメェが居るって聞いてたらどんな手を使ってでも実家にいたよ!!」


 がるがるわんわん、歯を剥き出しにして威嚇しあう二人であったが。

 次の瞬間、ぷしゅうと穴があいた風船の如く萎れてぐったりと座り直す。


「…………はぁ、なんでこうなっちゃったのかしら」


「それはこっちの台詞だ、ったくよぉ、俺は自由気ままな陰キャライフを邪魔しやがって……」


「は? アンタの何処が陰キャなワケ?? どもって話すワケでもなし、この美少女に一目惚れするでなし、単に服の趣味が悪い変人じゃない」


「はぁ?? テメェこそ顔だけの女の癖に、聞いたぞアイドル目指してるんだって? 初対面の相手に好きでもないのにキスをねだるポンコツなヤツが、アイドルになんてなれんのかよ」


「――ちょっと聞き捨てならないんだけど?」


「そうか? ならその芋ジャージ縫いでキレーなおべべ着てから言ってくだちゃいねぇ真宵ちゃん??」


「その喧嘩買ったわファッション陰キャ!! ブン殴ってやるぅ!!」


 ばたん、と立ち上がる二人。

 第三者が居れば、このまま殴り合いになると止めに入っただろう。

 ――だが、二人の勝負は会話を始めたその時から実は始まっていたのだ。


(あの時は引き分けで終わったが、今回こそは勝つ! 婚約破棄すると親に言うのは……テメェだ真宵!!)


(同棲は最初が肝心よ、しかもアタシ達は許嫁同士。――ユーキ、アンタより上に立って婚約破棄させてやるわ!!)


 そう、初心忘れず目的ブレず。

 まだゲームセットではないと、二人は諦めていなかったのだ。

 故の挑発、故の喧嘩腰。

 しかして、実際に殴り合うなど愚の骨頂であり。


「決着をつけようぜ真宵、どんな勝負をする? 例えば……ぷよぷよとかどうだ?」


「あら、女は殴れないって? 好きでもない女とキスした男は随分と紳士的なのね。――良い案だけど却下、それアンタの得意なゲームって聞いたけど?」


「なるほど、相手の土俵で戦いたくない。……実力主義のアイドル社会を目指そうって割にはチキンじゃねぇか」


「勝てない勝負を避け、確実に勝てる所で勝つ、それがアイドルってもんよ」


「じゃあどうする? 一昨日みたいにキスでもするか?」


 童顔では効果が薄い、ニヤと下卑た笑いをする勇気に。

 真宵は偉そうに胸を張って台所へ、そして包丁を逆手に持って振り向く。


「~~~~~~っ!? はっ!? テメェ何考えてるんだ真宵っ!!」


「アンタはここで、この真宵様と一緒に死ぬのよ。――安心しなさ、運が良ければアタシ一人だけ生き残るかもだけどね」


 にたにた、と嗤う真宵に気圧され勇気は一歩下がる。


(落ち着け、落ち着けよ俺っ!! こんなのブラフだ仮にもアイドルを目指そうってヤツがこんな所で犯罪行為に走るもんか!! 仮に心中に見せかけて俺を殺すのがマジだったとしても、リスクがデカすぎるっ)


(アンタはこれがブラフだって見抜くはず、でもアタシ達は知り合ってまだ日が浅いわ、――可能性は捨てきれない)


(対抗して武器を持つ? 何か武器――いやこのちゃぶ台!! これを盾にしてついでに殴る!! ってダメだろそれは!!)


(悩んでる、うけけけ悩んでるわねッ、アンタが攻撃してきた瞬間、アタシは包丁を落とす! そしてワザと受ける!! ――アタシは被害者になって、アンタの上に立つ!!)


 じりじりと真宵が近づく、勇気は己が座っていた座布団を拾って盾にちゃぶ台の前を動かない。


(チクショウ!! 包丁のインパクトがデカくてまともに考えられねぇ!! でも座布団ならコイツを叩いても怪我はしねぇだろ、被害者になんてさせねーぞ……)


(へぇ座布団、やるわね。これでアタシが怪我する事は――いやまだあるわ、例え座布団で殴られてもよろめいて頭を打つフリをするッ、アタシなら出来る!!)


(でもまだ足りねぇ、あっちがインパクト勝負で来たなら、俺も何か、何かないか? 上手く屁理屈がつけられる何かが――)


(さぁ来なさい、その座布団を振り上げた瞬間アンタの負けが決定する!!)


 二人はちゃぶ台を中心に、じりじりと回る。

 冷や汗が勇気の頬を伝った、真宵の喉がごくりと鳴る。


(…………そう、か、その手があったか!! ちょっと癪だが使わせて貰うぜ英雄兄さんっ!!)


 危機的状況にm彼の脳裏は走馬燈の様に記憶を辿る。

 一説によると走馬燈とは、命の危機に際して記憶から対抗手段を探す防衛本能である、との事だが。


「くくく、嗚呼。――俺とした事が忘れてたぜ」


「へぇ、言ってみなさいよ」


「お前の下着姿、…………眼福だった」


「…………~~~~はァッ!? いったい何を言い始めるのよユーキ!?」


 本当に何を言い出すのか、真宵は非常に困惑した。

 だが勇気は努めて冷静に笑い、己の服を脱ぎ出す。


(英雄兄さん、アンタの事は苦手だったけど……正直、あの話を聞いたときはバカかと思ったけどさ、今、初めて尊敬するよ)


 脇部一族は非常にお祭り騒ぎ好きだ、その代表とも言える従兄弟、脇部英雄がかつて親族の集まりにて。

 親戚の男全員を巻き込み、企んだ大事件。

 ――即ち、突然全裸になって伴侶の意表を突き、おっぱぶへ全力ダッシュ事件。


「ああああああああ、アンタなんで脱いでるのよ!? しかもパンツまでッ!? パンツ穿きなさいよ!!」


「真宵……俺は思うんだ。例え偶然かもしれないが、お前の着替えを見てしまった」


「そんなのもう気にしてないわよッ!?」


「けど、それじゃあ俺の気が収まらない。――目には目を歯には歯を、そして倍返し」


「だからって全裸になるなアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 形勢は逆転した、堂々たる全裸の勇気に真宵は動揺。

 その整った美貌を真っ赤に染め、思わず包丁を取り落とす。


「おっと、危ないぜ真宵。ああ、これはしまっておくよ」


「その前にアンタのチンコをしまいなさいッ!!」


「まぁまぁ見慣れておけよ、何せ俺たちは許嫁だずっと見る事になるんだぜ」


「誰がアンタなん――――ッ!?」


 その瞬間、真宵は勝機に戻った。


(あ、危うく口に出す所だったわ、恐ろしい男ッ、アタシの口から婚約破棄を言い出させる事が目的ッ!! この状況を逆手に取られた!!)


(チっ、後一歩だったな。だがこれで俺の勝利は一歩近づいた。後一手、一手だけ押せれば……)


(ユーキが全裸でいる限り、アタシの敗北は限りなく濃厚。そして対抗して脱ぐなんて出来ない! なんて巧妙な策なの!?)


(包丁をしまって、それから抱きしめてキス。俺の唇が汚れるのはもう仕方がない、――それを決着にする)


 勇気が包丁をしまいに台所へ、それを戦々恐々と見送った真宵は。


(今が最後のチャンス!! 何か無いの、この状況を打破できる何か――――――これだァ!!)


 これしかない、彼女は彼が脱ぎ捨てたパンツとズボンを手に取り。

 急いで背後を取る、そして。


「はーいそのまま、アタシの命令を聞きなさいユーキ」


「へぇ?」


「アンタの謝罪は受け取ったわ、よーく気持ちは伝わった、だからせめてパンツとズボンを穿きなさい穿け」


「つまり前を向いても?」


「は? そのまま後ろ向いてて、アンタの汚らしいモノなんて見たくないから、今振り向いたら潰す」


「うーん、それは怖い。じゃあ着せてくれよ」


「ええ勿論、アンタに任せたらちゃんと穿かない可能性があるから任せられないわ」


 少し冷や汗をかきながら勇気はされるがまま、真宵の指示通りに足を上げたり気分は赤子だ。

 パンツを穿かせ、ズボンを穿かせ。


「よし、じゃあ前向いて。ベルトも締めるわ」


「いやそれぐらい……」


「問答無用ッ、大人しくしなさい!!」


「仕方ねぇなぁ…………」


 その瞬間であった、ぴんぽーんと音と共にガチャリとドアが勢いよく開き。


「やあやあ久しぶりだね勇気!! 僕だよ君の敬愛なる従兄弟の英雄……――あ」


「おい止まるんじゃない英雄、というか元・私達の部屋だからっていきなり入るな――…………成程?」


 件の従兄弟夫婦が部屋に入るなり、ぴたっと止まる。

 然もあらん、今の二人の格好といえば。

 上半身裸の勇気、そしてそんな彼のズボンのベルトに手をかける真宵。

 ――誰がどう見たって、誤解しかない。


「…………」


「…………」


「いやゴメン、マジでゴメン、二人がそんなに熱々だなんて思いもしなかったからさ。三時間後、いや明日にするよ」


「ウチの夫がすまないな、私は脇部フィリア。英雄の嫁だ、ではまた明日に伺うとしよう」


 頭を下げて出て行こうとする二人に、勇気と真宵は即座に再起動。

 大慌てで引き留める。


「待って、マジで待って英雄兄さん!! 誤解だからマジで誤解だから、それからフィリアさんお久しぶりです結婚式以来ですねお子さん元気ですかあああああああああ!?」


「初めましてこの度はユーキの許嫁で将来結婚する真宵と言います、というか誤解だから待って、言い訳させてえええええええええええ!!」


 必死な二人に、従兄弟夫妻は苦笑しつつ素直に引き留められて。

 その後、引っ越し祝いとしてちょっと豪華な夕食に招待された二人であったが。

 味が分からなかったのも当然だろう、言い訳と熱愛カップルの演技で精一杯だったのだから。


 そして夜、日付が変わろうとする頃である。

 隣の布団が大きく動いたので、真宵は目を覚まし。


(…………うん?)


 薄目を開けると、どうやら上半身を起こした勇気は真宵をじっと見つめ、それから彼女の顔に手を伸ばそうとしているではないか。


(――――はい? え? 何? なんで呼吸の感じとか、目の前で手を動かして寝てるかどうか確かめてるの?)


 まさか。


(あわわわわッ、はわわわわわわわわッ!? 夜這いッ!! 夜這いされてるのアタシッ!?)


 同棲初夜、真宵はピンチに陥った。


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