第31話:叩け! 叩けっ!
「ボクシングと言われた時は驚いたが、なるほど、ちょっとは考えたみたいだな」
リングの上でお兄さんが手にグローブを嵌めながら言った。
今回僕たちが使うのは、試合でも実際に使用される8オンスのグローブ。本来ならお兄さんにはその倍の16オンスグローブを使ってもらいたいところだけれど、これには訳がある。
「俺はパンチを出せず、しかもお前の方は一度でも俺にパンチを当てたら勝ちとはな」
そう、どんなに重いグローブを使ってもらって威力を弱めても、それでも世界チャンピオンのパンチをまともに食らったら平々凡々な高校生の僕なんてひとたまりもない。
だからお兄さんはパンチ禁止。打てるのは僕だけだ。
それにプロのボクサーは何があっても一般人を殴っちゃいけないことになってる。
僕たち以外はあんず先輩しか見ていない練習試合だけど、万が一にもこんなことでお兄さんのボクサー人生を終わらせちゃいけないという配慮もあった。
「それに1ラウンド3分の3ラウンド制、ただしラウンド間の休憩時間が30分ってのもよく考えてある」
「だってそうでもしないと運動不足の僕なんて1ラウンドでもうガス欠ですよ」
「まぁ、素人が30分で回復出来るかどうかも怪しいけれどな」
「あと、出来ればフットワークも禁止にしてほしいんですけど」
「あほ、そこまでサービス出来るかっ! あと、パンチも顔だけが有効にするぞ。ボディにちょこっと当てたから勝ちってのは無しだ」
むぅ。調子に乗って墓穴を掘ってしまった。
くそう、お兄さん、もっと景気よくサービスしてくれてもいいのになぁ。
「じゃあ早速始めるとするか。あんず、タイムキーパーは頼むぞ」
「うん! もぐもぐ! 任せて、お兄ちゃん! もぐもぐ」
あんず先輩がピザを食べながら、ゴングを打ち鳴らす。
さぁ、運命を賭けた試合の始まりだ。
「へぇ。運動は苦手と言っていた割には結構サマになってるじゃないか」
お兄さんが両手を構えて対峙する僕を見て意外そうな表情を浮かべた。
それを見て僕は内心ほっとする。
ボクシングなんて当然経験はない。漫画やテレビ観戦で得た知識でそれっぽいポーズを取ってみたものの笑われたらどうしようとか思ってたけど、どうやら構えはいい感じらしい。
よしよし、だったら次は攻撃だ。
ひじを脇に下から離さないように心掛けながら、内側へえぐりこむように打つべし打つべし!!
「おっ! ジャブもなかなか鋭いな、お前!」
マジか!? あのミスター・ストイック、スーパーバンタム級統一王者、パウンド・フォー・パウンドでも堂々の第一位を誇るお兄さんに褒められたぞ、僕!?
えっ、もしかして僕、ボクシングの才能あるんじゃないか!?
「いいぞいいぞ、もっと打ってこい!」
「はい!」
言われるがまま、僕はジャブを連打する。
それをお兄さんは右へ、左へ、時には後ろに華麗にステップを踏みながら躱しまくる。
くそう、当たりそうなのに当たらない。
避けまくるお兄さんを追いかけて僕は態勢を崩しながらもパンチを放つ。
冷静に考えたら一番早くて鋭いジャブが当たらないのだから、そんな大ぶりなパンチなんて当たるはずがない。
それでも僕はただ我武者羅にパンチを放ち続けた。
ボクシング、意外と楽しいかもしんない。まぁ、今回は絶対に反撃を受けないってことが分かってるからだろうけれど。
カーン!
無我夢中になってパンチを放っていると、あっという間に三分間の終わりを告げるゴングが鳴った。
勿論、僕の拳は一発たりともお兄さんには当たっていない。
それどころかお兄さんはあれだけリングの中を動き回ったのに、息ひとつ乱れていなかった。
対して僕は中腰で両手を膝に付き、ハァハァと乱れた息とドクドク波打つ心臓を押させるのに必死だ。
腕も、かなり重い。
「はっはっは、残念だったな。だがまだ2ラウンドある。今はじっくり休んで回復しろ」
「は、はい……」
「次のラウンドはもっと根性を見せてくれよ」
そう言うとお兄さんはリングの上でストレッチを始めた。
少し負荷が重めなのは、三十分後のことを考えて身体を冷やさない為だろう。
素人相手でも決して気を緩めない、さすがは名チャンピオンだと思う。
しかし、意外だったのはそのお兄さんが僕に結構好意的な態度を取っているということだ。
あんず先輩を奪おうとしている僕は、お兄さんにとってはベルトを狙う挑戦者と同じようなもののはず。
なのに試合中には僕を褒める言葉をかけてくれて、さっきのやり取りもまるで僕を応援してくれているみたいだ。
もしかして無謀にもボクシングで立ち向かう僕に男気を感じて、態度を改めてくれたのだろうか?
だったら嬉しいんだけれど、僕の勘違いかもしれない。とにかく今は出来ることをちゃんとやっておこう。
リングから降りるとピザを食べ終えたばかりのあんず先輩が駆け寄ってきてくれた。
「よく頑張ったよ、高梨君! 今はちゃんと休んで」
「ありがとうございます、あんず先輩。それよりもですね……」
僕はベンチに腰掛けながら自分のスマホを操作し、画面をあんず先輩に見せた。
あんず先輩が少し驚いた顔を見せるも、すぐ笑顔になっては僕の横に座って一緒にスマホを眺める。
うん、休息や水分補給より先輩の笑顔こそが体力回復の特効薬だ。
次のラウンドも頑張ろう!
きっかり三十分後、今度は特製海鮮丼を食べながらあんず先輩がゴングを鳴らした。
僕はと言うと、腕はまだ少し重いけれど大丈夫、まだまだやれる。
そして。
「くっ。コツを掴んだか? さっきのラウンドよりさらに鋭くなってきたな!」
そう、お兄さんの言葉通り、僕の拳は少しずつお兄さんの顔面を捕らえ始めようとしていた。
さっきまではあっさりと躱されていたパンチが、今は明らかにお兄さんの顔面に近づいている。
中には当たったと一瞬思ったパンチもいくつかあったが、ギリギリのところでよけられてしまった。
いや、それでもイケる! これはイケるぞ!!
「あっ!!」
ついに伸ばしたパンチの先に衝撃が走った。
「おー、今のは危なかった!」
しかし寸でのところで僕の拳は、お兄さんのグローブでガードされてしまっていた。
「くそう!」
惜しい! 今ので終わっていてもおかしくなかったのに!
だけどあの世界チャンピオンにガードさせた。お兄さんはその強烈なパンチは勿論のこと、卓越した動体視力と反射神経によるディフェンスにも定評がある。
そのお兄さんがガードすることでしか防げなかったなんて、もしかして僕はボクシングの才能があるのかもしれない!
ここだ! このラウンドで決める!!
僕は意を決してパンチを放ち続けた。躱される。ブロックされる。だけど手は休めない。休まずに攻撃し続ければ、必ずこの牙城は崩せると信じて、次々と繰り出す。
「高梨君、いけるいける、頑張れー!!」
それまでの戦いの中では集中するあまり聞こえなかったあんず先輩の声が聞こえる余裕まであった。
勝てる! 勝てるぞ! 僕はこの勝負に勝つことが――。
カーン!
ゴングが打ち鳴らされる。
打ち疲れてリングに倒れこむ僕を、涼しい顔をしたお兄さんがじっと見降ろしていた。
おまけ
まさか僕は本当に幕ノ内一歩の生まれ変わり……まさか第二話のギャグが伏線になっていたとは!?
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