第30話:男の証明

 8月5日。日本時間お昼の1時過ぎ。

 現地では前日の夜8時を過ぎたばかりのアメリカ・ラスベガスの地にて。

 挑戦者トルティーヤ選手を一ラウンド一分二十五秒でノックアウトした春巻葦人選手は、そのリングの上でこう言った。

 

『日本に戦いたい奴がいる』


 この言葉にネットは騒然。様々な憶測が飛び交った。

 曰く、次は階級を上げるつもりだ、とか。

 曰く、いやいやもしかしたらボクシングを辞めて総合格闘技に挑戦するんじゃないか、とか。

 曰く、そうじゃない、春巻選手の狙いは日本のボクシング協会の是正なんだ、とか。

 

 果たしてどれが正解か。

 知っているのは春巻選手――あんず先輩のお兄さん自身と、そして僕しかいない。

 だって、旅行から帰った数日後にあんず先輩からLINEが入ったんだ。

 

『あのね、お兄ちゃんに高梨君と付き合うことになったって言ったら、日本に帰ってきたら是非会いたいだって』


 やばいよ。羽後先輩とは比べ物にならないぐらい、ヤバいよ、僕。

 震えながら今日の試合も見てたけど、相手の選手が気の毒に思えるぐらいにエグかった。

 え、なに、あんなハラパン喰らったら10カウントどころか一生立ち上がることが出来ないように思えるんだけど。

 

 こうなったら仕方がない。

 

『あんず先輩、逃げましょう!』


 LINEのメッセージを飛ばす。


『逃げるってどこへ行くのー?』


 すかさずあんず先輩から返事が戻ってきた。

 

『分かりません。が、昔から逃げるなら北と決まっています』

『北と言えば北海道! あんず、札幌の味噌ラーメンが食べたいなぁ』

『いいですね、食べましょう!』

『あ、でもお兄ちゃんが言ってたよ』

『な、何を?』

『逃げたら逃げたことを後悔するぐらい惨たらしく殺すって』


 やだ、なにそれ怖いっ!

 ダメだ、やっぱり逃げるのはダメだ。そんな悲惨な死を迎えたくないし、そもそも僕たちは平凡な高校生、遠くへ逃げるにも先立つものがない。

 となるとなんとかしてお兄さんを説得する方法を考えるしか。

 うーん、何かないか。何かないか……。

 頼むから何か出てこい、僕を救うナイスアイデア!





「それで何も出てこなかったと言うのか……」

 

 一週間後、日本に戻ってきたお兄さんは空港に待ち受けていた報道陣たちを変装で出し抜くと、早速あんず先輩を通して僕を近くのファミレスへと呼び出してきた。

 

「で、でも逃げずに来ただけでも凄くないですか!? これだけでもあんず先輩と付き合えるだけの資格が」

「あるわけないだろうっ!」


 お兄さんが大声をあげるものだから、驚いて周りの人たちがこちらを覗き見る。

 それでも誰もお兄さんの正体に気が付かないのはなんとも不思議だった。

 相変わらず帽子を深く被り、サングラスにマスクというお約束の格好なのにどうして誰も気が付かないのだろう?

 

 そしてそんな注目を集めているにも関わらず、美味しそうに笑顔でパンケーキをもぐもぐし続けるあんず先輩もさすがだった。

 

「一週間前、俺はお前にテレビを通じてメッセージを送った。勿論、戦えと言ってもボクシングで俺に勝てるはずなどない。まぁ、それでもわずかな希望に縋ってお前が懸命にトレーニングでもすれば少しは見直してやろうと思っていた」

「だったらそう伝えてくださいよ! 知ってたら頑張ってたのに!」

「が、ボクシングではどうやっても俺には勝てない。だからお前が何か別のもので勝負を持ちかけるものだと思っていたんだ」


 うん、僕もそれは考えた。

 お兄さんは『戦いたい奴がいる』と言っただけで、何もボクシングで戦えとは言ってない。

 だったら何か僕が勝てるような何かで勝負したらいい、と。

 

「ところがお前はその何かすらないと言うのかっ!?」

「だって仕方ないじゃないですかっ! 運動は苦手だし、ゲームだって上手くないし、かと言ってジャンケンとかで決めるような軽い話でもないし」

「だったら数学の早解き対決とかあっただろう!?」

「ダメですよっ! 僕、こう見えて過去問があっても平均点取るのが精いっぱいの馬鹿なんですよっ!?」

「あんず、この男はダメだ! 今すぐ別れろっ!」


 ああっ、そんなっ! お兄さん、僕を見捨てないでぇぇぇぇ!!

 

「お兄ちゃん、高梨君はいい人だよ。あんずにいつも優しいもん」

「あんず、いくら優しくてもこいつはダメだ。こんな将来性のない奴と付き合って、もし何か間違いがあってみろ。絶対泣くことになるぞ」

「間違いって何、お兄ちゃん」

「間違いは……その、間違いだ。とにかくそれはいいとして、こいつはダメだ。別れなさい」

「やだ! あんず、高梨君とお付き合いするって決めたんだから!」


 ああ、あんず先輩、ありがとうぅぅぅぅぅぅぅぅ!!

 

「ええい、くそう。おいお前、こうなったら何としてでも俺と戦ってもらうぞ!」

「……戦えば交際を認めてくれますか?」

「甘えんなっ! 俺が負けん限り、交際なんぞ認めるかっ!」

「だったらせめて――せめて僕があんず先輩を幸せに出来る男だと認めてくれたらオッケーってどうでしょう?」

「お前があんずを幸せに出来るかだと!?」


 ジロリと睨みつけてくるお兄さん。

 やべぇ、マジやべぇ。パウンド・フォー・パウンドのメンチ、めっちゃ迫力ありすぎるぅぅぅぅ。

 

「はっ。そんなことは絶対にないと思うが、まぁ、いいだろう。ただし、俺が認めてもボコボコにされたお前を見てあんずが考えを改めても知らんぞ」


 確かにこれがあんず先輩以外の女の子だったら、彼氏の格好悪い姿に幻滅してフラれる可能性はある。

 が、あんず先輩はそんな人じゃない!

 あんず先輩は……あんず先輩という人は――。

 

「……だったらやります」

「よし! で、一体何で勝負する!」

「……ボクシングで」

「なに!?」

「ボクシングで僕と戦ってください、お兄さん!」


 勝つとか負けるとか、そんなことは関係ない。

 これは僕、高梨亮という男を見せる為の戦い――ならば男の中の男を決めるボクシングはうってつけだと僕は思った。

 

 

 

 

(おまけ)


『なんで羽後先輩の交際はお兄さんに認められているんですか!?』

『だってオレたち女の子同士だし』

『お兄さん、百合好きなのっ!?』

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