第28話:逃げるのはもう嫌だ!

「それじゃあ背中洗ってあげるねー」


 あんず先輩の宣言後、間もなくして背中にボディーソープをたっぷり染み込ませたタオルが上下する感触が伝わってきた。

 ちなみに高梨の高梨なところが落ち着くまで十数分かかった。

 さらにあんず先輩が少しよそ見をしている間にささっと湯船から出たので、高梨ご本尊は見られていない……はずだ。

 

 てか、あんず先輩、タオルを取ってきたのはいいけど洗い用のひとつだけなんだもん。

 いつもお兄さんと一緒にお風呂へ入っている為か、それとも入ってくる時に見られた為か、あんず先輩にはもうあまり自分の裸を見られることに抵抗がなさそうに見える。

 が、僕はまだダメだ。さすがにまだ恥ずかしい。

 

「んー、お兄ちゃんと比べるとごつごつしてなくて洗いやすいねー、高梨君の背中」

「お兄さんの背中は、それこそ世界中の男の人が憧れる背中ですよ」

「そうなんだー」


 そうなんですよ、あの鍛え上げられた無駄肉ひとつない背筋は誰が見てもカッコイイの一言なんですよ!

 まぁそれだけにそのエロシスコンぶりにはドン引きですが。

 

「でも、あんずは高梨君の背中の方が好きだなぁ」

「え?」

「高梨君の背中もカッコイイと思うよ、あんず」

「いやいやいや、僕の背中なんか――」

「ううん、さっきの高梨君、格好良かったもん!」


 そう、だったかな?

 なんか野犬だかイノシシだか熊だか分からない奴にビビッて、懸命に逃げようとしていただけなんだけど。

 ゴシゴシと洗ってもらっている腕だって、あんず先輩に支えてもらわないとまともに上げれないぐらい今もプルプルしてるんだけど。

 

 もしあの場に居合わせたのがお兄さんだったら、草むらにいた何かを返り討ちにしていたかもしれない。

 もし僕が運動部だったら、もっと楽々とあんず先輩を運べたのかもしれない。

 それなのにこんな情けない僕がカッコイイなんてこと、本当にあるんだろうか?

 

「お兄ちゃんがよく言うんだ。強いことがカッコイイわけじゃない、って」

「え? あ、ちょっと、あんず先輩!?」


 両腕を洗い終えたあんず先輩の手が、今度は前へ――僕の胸へと背後から延びてくる。

 ということはつまり背中にあんず先輩のおっぱいが押し付けられるわけで。またしてもむにゅむにゅっとした弾力と、コリコリっとしたポッチの刺激が僕に襲い掛かってくる。

 ううっ、我慢、我慢だ! ここでまた高梨タワーをおっ立てるわけにはいかない。六根清浄、六根清浄ォォ!!


「ねぇ、高梨君、ボクシングで一番カッコイイと思うシーンってどこだと思う?」

「六根清浄、六根清浄……ええと、KOシーンとか勝ち名乗りを受けてる時ですか?」

「そう思うよねぇ。でも、お兄ちゃんは違うらしくて、練習している時らしいんだよ」

「練習、ですか?」

「うん。なんかね、強いことじゃなくて、強くなろうと頑張っている時が一番カッコイイらしいんだ。変わってるよねぇ」


 変わってると言われたら、変わっているかもしれない。

 だけどお兄さんの言うことも、分かるような気がする。

 どうしても結果が求められる世界だけど、重要なのはそこに至るまでの努力と勇気。

 戦うのは相手とだけじゃなく「負けたらどうしよう?」「大きなけがをしたらどうしょう?」と自分の恐怖とも向き合わなきゃいけない。

 その恐怖心に打ち勝とうと勇気を振り絞って懸命に頑張る姿こそが一番カッコイイ、か。

 エロシスコンではあるけれども、なんだかんだ言ってもさすがはミスター・ストイック、僕みたいな凡人では理解は出来てもとても真似なんてできない。

 

「だけどね、今日の高梨君を見ていて、あんず、なんとなくお兄ちゃんの言ってることが分かったような気がしたんだ」

「ええっ!? 僕、そんなストイックさはこれっぽっちも持ち合わせてませんけど?」

「ううん。だってあんずを助けようと一生懸命頑張ってくれたもん」 

「それはだって当たり前で」

「当たり前じゃないよ。人ひとりを背負って降りるのは大変だし、それに襲われそうになった時だって逃げようと思えばあんずを置いて高梨君だけでも逃げることは出来たよね。でも高梨君はそうしなかった。それはとても優しさと勇気がいることで、誰にでもできることじゃないってあんずは思う」


 その言葉は、単純に嬉しかった。

 頑張った甲斐があったなと思う。

 

 だけど同時にとても自分が情けなく感じた。

 だって、あんず先輩はそう言ってくれるけれども、お兄さんと僕の勇気はまったくの別物だと思ったから。

 

 お兄さんのは立ち向かう勇気だ。

 例えばお兄さんは強い相手との対戦を避けたり、極論を言えばボクシングを引退することだって出来る。

 それでもボクシングを続けて、強敵との戦いに挑む。

 まさに困難へ立ち向かう勇気だ。

 

 対してさっきの僕のは逃げられない勇気だった。

 あんず先輩を置いて逃げるわけにはいかない。そう思ったからこそ出てきた勇気だった。

 まぁ、それはそれで確かに褒められることなのかもしれないけれど……。

 

 だけど僕は肝心の立ち向かうべきの勇気を、あの時は持ち合わせていなかった。


 僕は逃げたんだ。

 あんず先輩が言おうとしていること。その先に待ち受ける感情の吐露。迎える結末は果たしてどちらか。

 それはまだ今じゃないと逃げた。

 心の準備が出来てないからと逃げた。

 作戦が練れてない。フラグがまだ十分に立ってない。これまでの全てを一瞬で台無しにするかもしれないなんて馬鹿げている。

 そんな様々な理由を並べまくって逃げた。


 逃げるのは恥ずかしいことじゃないかもしれない。それも一理あるだろう。

 だけど立ち向かうべき時に立ち向かわずに逃げたくせして、カッコイイなんて言われていいのか、僕!?

 そんなカッコ悪いところを見せておいて、また笑って胡麻化して本当にいいのか、高梨亮!!!! 

 

「あの、あんず先輩……そう言ってくれるのは本当に嬉しいんですけど、違うんですよ」

「違わなくないよっ! だって高梨君は――」

「いえ、違うんです。僕はただあんず先輩に嫌われるのが怖いだけで……だって僕は、僕は――」


 分かってる。

 これが実に無計画で、勝つか負けるか全く分からない、僕らしくない賭けだってことぐらい。


 分かってる。

 下手したらこれですべてが終わってしまう、破滅の可能性があることぐらい。


 ああ、分かってるよっ!

 今の僕が似合いもしない勇気を振り絞ろうとしていることぐらい!!


 だけど……だけど!

 だけど、もう逃げちゃだめなんだっ!!

 逃げた未来にあるのは、その後もただひたすら逃げ続ける僕がいるだけ。

 そんなことすらさっきまでの僕は分かっていなかった。

 大切なのは今! 立ち向かうべきなのは、いつだって今この時なんだ!!

 

「僕はあんず先輩のことが……」


 だから今、言わなくて。

 今、伝えなくて。

 今、勇気を出さなくて、どうするんだ、僕っ!!

 

「大好きだからっ!!」 

 

 大切なことはちゃんと目を見て話す。

 僕は座りながらくるりと振り返ると、しっかりとあんず先輩の目を見て告白した。

 突然の告白に驚いた表情を浮かべるあんず先輩。

 その瞳がやがて僕の目から離れ、俯いていく……。

 

 ああ、やってしまった。

 やってしまったな、僕よ……。

 だけど不思議と悔いはなかった。

 むしろ清々しい気持ちですらあった。

 相手に自分の気持ちを伝えるのはすごく怖くて、勇気が必要で、今も心臓がバクバク言ってる。

 けれどその勇気を絞り出したことはとても大切で、お兄さん曰く、これこそがカッコイイ男の在り方なんだろう。

 

 まぁ、フられた僕は今、めっちゃ格好悪いけどな!

 

「ん……も」


 初めての告白、初めての撃沈にそんなことを思っていると、不意にあんず先輩が口を開いて言葉にならない言葉を呟いた。

 

「え? あ、すみません、先輩! いきなり変なこと言っちゃって! 今のは忘れてください!」

「あん……も」

「いや、忘れるのはさすがに無理か! だったらもう思い切り笑い飛ばしちゃってください!」

「あんずも!!」


 あんず先輩の大きな声がお風呂場に響く。

 と同時に顔を上げた先輩の顔は、まるであんず飴のように真っ赤だった。

 

「あんずも高梨君のことが好き! 大好き!!」

「えっ、ウソ!?」

「ウソじゃないよっ! 本当に好き!!」

「マジで!!」


 マジか!? マジなのか!?

 あのあんず先輩が、何のとりえもない僕のことが好きって……これって現実なの!?

 夢じゃないよね!? 失恋のあまりショックで気を失って見ている夢じゃないですよね、神様!?

 

「あ、でも、高梨君……」

「えっ!? やっぱり夢なんですか、これ!?」

「夢じゃないよぅ!! でもね、その……そこはあんず、まだ洗えないかなぁ」


 あんず先輩が恥ずかしそうに顔を背けながらも、チラチラと僕の股間に視線を送る。

 頑張って刺激に耐え抜いてきた高梨ご本尊が、にょろりとコンニチワしていた。

 

 

 

 

 おまけ

 

「でも高梨君のって結構ちっちゃいね。お兄ちゃんのはいつもこうおへそあたりまで反り返ってるよ」

「ミスター・ストイック、全然ストイックじゃなかった!!」

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