第26話:どうしてなの?

「ううっ、ごめんねぇ。重くない、高梨君?」

「だ、大丈夫です。それよりあんず先輩こそ、その、大丈夫ですか?」


 あんず先輩をおんぶしながら、慎重に山道を下る。

 懐中電灯であんず先輩に数メートル先の足元を照らしてもらっているから視界は良好だ。

 まぁ、それでも辺りは相変わらず真っ暗闇で不気味と言えば不気味だけど、でも、今の僕は怖がっている余裕はない。


 何故なら僕は今、何事もなく無事にあんず先輩を小日向さんのお婆ちゃんの家まで送り届けるという重要なミッションが課せられているからだ!

 そしてなにより、

 

 背中に押し付けられる、あんず先輩のぽよんぽよんおっぱいの弾力!

 後ろ手で味わう、あんず先輩のおしりの手触り!

 

 こんな至福状態で、暗いのが怖いとか言ってられるかーっ!!

 

 てか、撮影の時にブラジャーを付けてないのに気が付いたけど、まさか下まで穿いてないのか?

 そしてそんな穿いてないあんず先輩のおしりを、僕は今、薄い浴衣越しに触ってしまっているのかーっ!?

 いや、触るどころか落とさないようむんずとその肉に指を沈ませ、あんず先輩のおしりの感触を貪ってしまっているのかーっ!?

 

 ああ、ダメだ。背中のむにゅむにゅと、後ろ手のムチムチで頭がぼけーとしてきた。

 頑張れ、僕。この全身ヘブン状態を堪能しながら、あんず先輩をなんとしてでも下まで送り届けるのだっ!

 

「……くん?」

「…………」

「……高梨君?」

「…………」

「高梨君ってばー!」

「あ、ごめんなさい! 絶対落としちゃいけないと思ってたのに、気が付いたら僕の方が快楽の底なし沼に落ちてましたー!」

「んー、快楽の底なし沼?」

「だってー、こんな気持ちのいい……あ、すみません、なんでもないです」


 危ない危ない、あやうく素直に心の内を報告してしまうところだった。

 何とか正気を取り戻せて助かったー。

 

「変な高梨君だねー」

「す、すみません! でも、あんず先輩は決して落としたりしないので安心してください」

「ごめんねぇ。さっきから頑張っておしりや足に力を入れようとしてるんだけど、どうしても入らないんだよー」

「あ、先輩、申し訳ないんですけど、おしりとか言わないで……」


 また正気を失っちゃうから。おしりの魔力に囚われちゃうからーっ!

 

「ふふっ。高梨君、昔のお兄ちゃんと同じこと言ってるー」

「え?」

「お兄ちゃんもね、子供の頃のあんずをおんぶしてくれた時に『おしりとか言うな』って言ってたんだよ。懐かしいなぁ」

「ああ、お兄さん、その頃からもうそっちの方に目覚めて――」

「お兄ちゃんはホント昔からすっごくあんずに優しくてね。あんずが公園で遊び疲れたり、おさんぽで歩けなくなったら、こうしておんぶしてくれたんだぁ」

「……いいお兄さんですね」

「うん。あんずの自慢のお兄ちゃんだよー」


 あんず先輩のお兄さんと言えば、今や日本どころか世界中の人も名前を知っているような偉大なボクシングのチャンピオンだ。

 だけどきっとあんず先輩にとってはそんなことよりも、昔からずっと優しくて妹想いのお兄さんであることが自慢なんだろう。

 あんず先輩にとって、お兄さんは子供の頃からのヒーローだったんだ。

 今も。そしてこれからも……重度なエロシスコンだとバレない限り。

 

「それに高梨君もあんずの自慢の後輩だよー」

「僕、そんな自慢されるようなことしましたっけ?」

「してるよー。まずあんずの同好会に入ってくれたこと! みんなね、最初は入ろうとしてくれるのに結局入ってくれないんだぁ」

「ああ、それは……」


 羽後先輩が陰で入部希望者を脅して排除しているからと言おうとしてやめた。

 それは気絶しているのをいいことに羽後先輩の陰口をするみたいで嫌だったからと。

 何よりあんず先輩が僕のことを話してくれているのに、羽後先輩の話題をわざわざ差し込みたくなかったからだ。

 

「それにいっつもお父さんが焼いてくれたパンをくれるよね。あんずがお腹減ってる時にお菓子もくれるし。虎子ちゃんが部室を取り上げようとした時も、あんずたちを助けてくれた」

「たいしたことじゃないですよ」

「さっきのカンペも助かったよー。あんず、上手く言葉に出来ないからねぇ」

「結局ポシャりましたけどね」

「そして今はこうしてあんずをおんぶしてくれてる。重いでしょ、あんず」

「重くないです。軽いです」

「ウッソだぁ。あんず、胸に合計二キロ以上の脂肪の塊を抱えてるんだよぉ」

「おっぱ……いえ、アレをそういう風に言っちゃダメです。アレは……いいものです」

「……ねぇ、なんで高梨君はあんずに優しくしてくれるの?」


 一瞬何のことを言われたのか分からなかった。

 それぐらい唐突に。

 あんず先輩は今の僕たちのように、ぐっと距離を詰める質問をしてきた。

 

「え? いやだって、後輩が先輩に尽くすのは当たり前ですよ?」

「それだけ? それだけが高梨君があんずに良くしてくれる理由なのかな?」

「あとはそうですね、入学してしばらくぼっちだった僕を助けてくれたからかな」

「……うん。でも、他にはないの?」

「他にはって。どうしたんですか、あんず先輩? なんかいつもと違いますよ?」

「あんずね、こういう性格だからそういうのに鈍いんだけど、最近、寝る前にふと思うんだよ。もしかして……もしかして高梨君ってあんずのこと」


 その時だった。

 いきなりガサッと近くの草むらから大きな音がして、僕は思わず足を止めた。

 

「た、た、高梨君、今の音って何!?」

「な、なんでしょう? また小日向さんがまた隠れている、とか?」

「でも朝陽ちゃんはさっきカコちゃんを背負って下りてったよ? 家まで戻ってまたここまで登ってくるまでの時間なんて多分ないよぅ」

「だったらその……ウサギさんとか?」

「そんな可愛い音じゃなかったよぉ」


 あんず先輩を安心させようとギャグを言ったら、あっさり却下された。

 うん、幽霊だったらまだマシなほうで、今のは小さくても野犬、もしかしたらイノシシ、最悪は熊だってあるかもしれない大きな音だった。

 どうしよう、確か熊だった場合は慌てて逃げるのはマズくて、ゆっくり離れるのが正解だって聞いたことがある……。

 

「高梨君……」

「……大丈夫、僕に任せてください」


 僕は音がした方を見ながらも、足元に注意しながらじりじりと丘を下る。

 懐中電灯の明かりを向けることも考えたけれど、下手に刺激しない方がいいと思ってあんず先輩には相変わらず地面を照らしてもらっている。


 そうして数メートル移動した頃だっただろうか。

 再びがさがさと草むらが揺れたかと思うと、何か大きなものが次第に遠ざかっていく音がした。

 

「……はぁ、よかったぁ。どこか行ったみたいですね」

「……うん」

「さすがに今のはビビりましたね。あんず先輩は大丈夫ですか?」

「うん、高梨君が『大丈夫、僕に任せて』って言ってくれたから」

「まぁ僕なんかに何を任せられるかって感じですけどね」

「そんなことないよっ! 高梨君、とっても格好良かった!」

「そ、そうですか」


 だったらよかった。

 僕はとにかくあんず先輩だけは逃がさなきゃと勇気を出した甲斐があったというもんだ。

 

「じゃあさっさと下りましょうか」

「うん。でもその前にさっきの話の続き、していい?」

「さっきの話? えっとなんでしたっけ? 今のインパクトが強すぎて僕、忘れちゃいましたよ」

「ええっ!? だーかーら、高梨君ってもしかしたらあんずのこと――」

「あーーーーーーっ!?」

「うわん! どうしたの高梨君、いきなりそんな大きな声を出して!? あんず、びっくりしたよぉ」

「あ、あの、あんず先輩、こんなことを言うのはアレなのは僕も分かってるんですけど……その、背中の腰辺りが妙に生暖かいような気がして。……もしかしてさっきので漏らしたりしました?」

「え? あ、あんず、お漏らしなんかしてないよーっ! あ……」

「あ、って何ですか、あって?」

「ち、違うよ! おしっこは漏らしてないもん! まだ」

「ま、まだって?」

「ううーっ、高梨君がいきなり変なことを言うから、あんず、おしっこしたくなっちゃったよー!」

「ええーっ!? あ、あの、そこらへんの草むらでしてきます?」

「やだよう、怖いぃ」

「だったら……」

「高梨君、急いでお婆ちゃんに帰ろう!」


 咄嗟に思いついたウソだけど、まさかそれが本当にあんず先輩の尿意を引き起こすとは計算違いもいいところだ。

 僕は慌てて丘を駈け下りていく。

 背中にあんず先輩を、胸にちっぽけな男のプライドを抱えて。

 

 

 

 

 おまけ

 

「妹をおんぶしたままおもらしさせるだと!? そんなうらやまけしからんこと、俺が絶対に許さんっ!!」

「チャンピオン、寝言で何を言っているんだ!?」

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