第5話:たぬきのてんぷら強奪事件
それはある日の放課後のこと。
「うわーん。たぬきにあんずのてんぷらを盗まれちゃったよぅ」
旧調理実習室の部室で僕は読書、羽後先輩はスマホゲームでまったりしていたら、あんず先輩がそんなことを言いながら泣きべそをかいて入って来た。
なお左手にはカップめんの『たぬきそば』。右手にはお箸。
そして今まさにお箸でカップの中から蕎麦を掬い上げ、半泣きになりながらその小苺のような口へと運び込む。
「――って、ここまでカップめんを食べながら来たんですか!?」
「そだよ」
「何で!?」
「だって売店でお湯を入れてもらっちゃったし、ここまで遠し、のびちゃうし、なによりお腹空いてたし」
長男だったら我慢できたかもしれないけれど長女だから我慢できなかったんだよーと、てへへ笑いをかましてくる先輩。
くそう、可愛いな! でも菓子パンとかならともかくカップめんを歩きながら食べるとか、可愛いのにポンコツが過ぎる!!
「それで、たぬきにてんぷらを盗まれたというのはどういうことさ、あんず?」
「そう! 聞いてよ、カコちゃん。私ね、たぬきそばのてんぷらは最初に半分食べることにしてるんだよ。サクサクのうちにね。で、残りの半分は形を崩してお汁に溶かすの。ところがその一口目を食べようと箸で持ち上げたところを、あいつが、あの緑の悪魔がぱくーって咥えて行ったんだよー!」
「緑の悪魔って、別にたぬきって緑色はしてませんよね?」
「そこは言葉のあやだよぅ。ねぇ、お願いだから取り返してー」
いやぁ、取り返してと言われましても、野生動物に咥えられた時点でもう食べられたもんじゃないと思うんだけど。
厄介な寄生虫とか入り込んでそうだし。
「ふっ。分かった。オレに任せろ!」
「ええっ!? 本気ですか、羽後先輩?」
「ああ。可愛い嫁のお願いだ。それを聞かずしてどうする! ああ、高梨はこのまま部室で読書を続けて、あんずに『高梨君、冷たい! 大嫌い!!』と嫌われるといい」
「嫌ですよ! 分かりました、僕も探します!」
そもそも断ったところで、あのあんず先輩が諦めるとは到底思えなかった。
「やったぁ! ふたりとも、ありがとう! あ、あんずも一緒に探すからちょっと待っててねー」
そう言ってカップの汁を一気に飲み干し、ほぅと息をつく先輩。
頬がかすかに紅潮し、目をにこーと細め、幸せそうににかーと口を開く。
うん、その笑顔を見れただけでもひと頑張りする価値はあるってもんだ。
意外なことにてんぷらを盗んだたぬきはすぐに見つかった。
「す、す、すみません。ちょっと目を離した隙に逃げ出しちゃったんです!!」
飼育部の人が必死に頭を下げる。
そう、飼育部が飼っているたぬきが犯人だったのだ。
練馬なんて東京と言ってもほとんど埼玉だから狸だってそこら中にいるんだと思っていたが、そうではなかったらしい。
ちなみに僕がそんな認識だから、犯人を推理して僕たちをここに連れてきたのは羽後先輩だった。
でも、「……よう、ちょっと邪魔するぜ!」っていきなり飼育部の扉を蹴り飛ばすのはさすがにやりすぎ。
おかげで。
「だからどうか! 命だけはお助けを!!」
ほら、完全に飼育部の人がビビっちゃって、ついには土下座までしちゃうし。
ああ、服が汚れちゃいますよ。
「ああ、そこまでしてもらわなくても大丈夫ですから。ねぇ、羽後先輩!?」
「お、おお……」
しかも羽後先輩ときたら、めっちゃ怖い顰め面のまま言葉少なげに頷きやがるし。
僕は知っている。
これは怒っているのではなく、ただ緊張しているだけだ。
『練馬の夜空を駈ける一筋の流れ星』こと羽後菓子先輩は、その名の通りぼっち歴が長すぎて、初対面の同年代の人とはうまくコミュケーションが取れないのだった。
だったら頼むからいきなり扉を蹴り上げるとか、話をややこしいことするのはやめてくんないかなぁ。
「本当ですか!? たぬきちの命も助けてもらえるんですか、関西の龍さん!?」
「誰が『関西の眠れる伝説の龍』やねん!? いや、だから大丈夫ですって。あんず先輩ももう怒ってないですよね?」
「勿論だよぅ。それよりもねぇ、この子をモフモフしていい?」
わきわきと先輩が両手をにぎにぎした。
さっきまでの「絶対てんぷらを取り返すぞー!」という意気込みはどこに行ってしまったのだろう?
だけどそれも仕方ないよな。
こんな光景を見せつけられたら。
「あ、はい。親たぬきは人間に馴れているので背中をさすってあげてください。あ、でも子供には触れちゃダメですよ」
親たぬき二匹に挟まるような形で、小さな子たぬきがもぐもぐとてんぷらを咀嚼していた。
飼育部もしっかり餌をあげているはずだ。
だけど子供がもっともっと食べたいとねだるのは、人間も狸も変わらないのだろう。
「うわーい、もふもふー。あ、そだ、クッキー食べるかなぁ」
そしてそんな子供に何か食べ物をあげたいと思うのも、やっぱり同じなのだ。
先輩がポケットからクッキーを取り出す。
目の前に差し出されたクッキーを子たぬきが興味深そうにくんくんと鼻で嗅ぎ、ぱくっとひと噛みした。
美味しかったのだろう。きゅんきゅんと鳴く。
「かわいー。よしよし、お姉ちゃんがもっと食べさせてあげるから早く大きくなろうねぇ」
そう言って次々とクッキーをあげていく先輩。
あんず先輩は食いしん坊ではあるものの、お菓子を他人にあげることを厭わない性格だ。
本人曰く、「だってみんなで食べると美味しいよ」だそうだ。天使かっ!
と、ふとあんず先輩がなにやら物欲しそうな表情をして僕を見上げてきた。
その表情にピンときた僕は、すかさず自分のポケットに手を入れる。
ふふん、ポケットにお菓子を忍ばせるのは何もあんず先輩だけの専売特許じゃない。
僕だってこういう時があろうかと、あんず先輩と出会ってから密かに用意していたのだ。
てことでポケットから取り出したチョコを一粒、子だぬきに餌やりをしているあんず先輩の口へ放り込む。
「きゅーん!」
嬉しそうに鳴き声をあげるあんず先輩。
「さすがはオレの嫁! キュンですっ!!」
その様子に羽後先輩がさっきまでの顰め面を一瞬にして緩める。
うん、僕もあやうくキュン死するところだった。
ホント、あんず先輩、恐ろしい子だなぁ。
春巻あんず。彼女のせいで僕の毎日はこんな感じで振り回されてばかりだ。
だけどそれが楽しい。それまでのぼっちな高校生活と比べたら天と地ほどの差がある。
ああ、もしこれであんず先輩と恋人なんかになれたりしたら、どれだけ幸せなことだろう。
今はまだ手に入ればかりのこの関係を壊すかもしれない行動は取れないけれど、いつかきっとこの心の内を打ち明けたいと思う。
そして願わくば。
「わっしょい! オレの嫁、わっしょい!!」
「あーん、たぬきさんに餌をあげてるんだから、あんずのおっぱい揉んだらダメだよぉ、カコちゃん!」
いつか僕もそんなことをしてみたいなと切に思うのだった。
おまけ
「うわーん。今度はきつねにあんずのおあげを盗まれちゃったー」
「またですかっ!」
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