入れ替わりの果てになにがあるのか

 クラウディアとクリスティナが入れ替わって、一週間が経過した。

 相変わらず誰ひとりとして、双子が入れ替わっている事実に気付くこともなく、互いの婚約者たちが指摘することもなかった。

 ただ、クラウディアは自分がクリスティナと入れ替わっている間は、何故かエルベルトが授業をサボることもなく、率先して自分と授業を受けていることに気付きつつあった。


(クリスはエルベルトは絶対に自分を助けないって言っていたけれど……でもこれって私とクリスが入れ替わっていることに気付いているの? 気付いていないの?)


 聞けばいいんだろうが、残念ながらふたりっきりになる機会もなく、聞きそびれていた。

 そして婚約者ふたりが並んで食事を摂ることも増えたのに、彼女は閉口していた。居心地が悪くて帰りたいとかならばよかったのだが、居心地がいいから困るのだ。

 食堂では、それぞれ仲のいいグループが並んで食べているのが見かけられるが、最終学年の場合はもっぱら婚約者と一緒に食事を摂ることが増えるようだった。卒業してしまえば夫婦になってしまうのだから、恋人らしい生活が送れるのもこの時期だけなのだ。婚約者同士で食べている場合は、皆が気を利かせて別の席に座る。

 どこかの学年の令嬢の談笑の声を耳にしつつ、クラウディアはスプーンを動かして隣のエルベルトの食事の光景を盗み見ていた。

 武術をしているせいで、とにかくエルベルトは他の令息と比べてもよく食べる。ときおり騎士見習いの生徒と並んで食べることもあるが、彼はそれと同じくらい食べていたのだ。彼の体格のいったいどこにその食事が吸い込まれるのかがわからず、クラウディアはそれを呆気に取られて眺めていた。


「なんだ、食べないのか」


 彼が今日も魚の燻製を大きな口で頬張り、野菜スープをペロリと平らげている。これだけ豪快に食べている割には、クチャクチャとした音を立てないのだから、どうなっているのか目の前で眺めているクラウディアにはわからない。

 パンを食べていたクラウディアは我に返った。


「い、いただいてます……ただ、エルベルト様はよくこれだけ召し上がれるのかわからなかったもので……」

「食べれるときに食べないと、やってられないからな。俺の故郷では」

「……紛争地帯は、それだけ大変なんでしょうか?」

「戦争みたいな大がかりなことはないがな。国境沿いにはなにかと問題が起こりやすいんだ。そのために四六時中見回りをしなければならないし、些細な問題でもすぐ王都に報告を入れないといけないからな」

「それだけ大変なのに……王都側の方々と仲良くなさらなくてよろしいんですか?」


 クラウディアは尋ねてみる。

 実際に、エルベルトと気の合う令息は、王都外の者ばかりのようだった。王都の令息はもちろんのこと、令嬢からはやけに嫌われているようだった。彼の言動が、どうにも王都の貴族からは粗忽者、乱暴者に見えるのが原因のようだった。


(私は、楽なんだけれど)


 彼女からしてみれば、彼は好き好んでしゃべりたがらないものの、言動がそこまで湾曲していない彼とのやり取りは嫌いではなかった。

 好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。

 物事をはっきりと言うのを嫌う王都の令嬢令息は、その物言いを下品だと糾弾するために、しゃべるのがどんどん嫌になるのだが、彼としゃべっていて、クリスティア以来の会話のキャッチボールを彼女は自然と楽しんでいたのだ。

 あれだけ乱暴者だと思っていた彼といるのが楽しい事実に、クラウディア本人も戸惑っている。

 そんな彼女の思惑を知ってか知らずか、エルベルトはニヤリと笑った。


「一応、騎士や関係者とは仲良くやっているさ。ただ、こちらを辺境地帯だと馬鹿にしているような連中とは、話にすらならないからな」

「それ……困らないんでしょうか?」

「さあな。王都で紛争が起こるなんてのは、よっぽどのことだ。理解が及ばない練習だっているだろうさ」

「そんな……」

「そりゃ、お前の姉にでも言ってやれ。お前のところが薬草を抑えているのに、どうして王都の連中があれに対してあそこまで偉そうにやれるのかわかったもんじゃない」

「え……?」

「お前のところの薬草を、全部他国に売り払われたら、流行病の季節に間違いなくこの国は死体の山が積み重なるというのに。この国の薬草のほとんどは、パニアグア子爵領のものだろうに。俺はパニアグアの姉妹をわざわざ小馬鹿にする連中の気持ちがわからないね。さすがに王族はまずいと判断したらしく、さっさと謝罪を入れた上で、姉妹にちょっかいをかけるのを止めたようだが」


 そのことで、今更になって、あれだけ初等部の頃に嫌がらせをしてきた王族が、どうしてピタリと止めたのか、やっと気が付いた。ついでに、どうして子供同士の喧嘩でわざわざ実家に謝罪文と品を贈ったのかも。

 そして、彼がそこまでわかっていて、なぜ婚約を嫌がっているのか、余計にわからなくなる。


「……あなたは、どうしてそこまでわかってらっしゃるのに、私との婚約を嫌がるんですか?」


 クラウディアがそれを尋ねると、珍しくエルベルトは、鋭い眼光をどこか遠くにやった。


「……お前と婚約をしても、意味がないだろ」

「我が家の有用性をご存じなのに?」

「ああ……家同士の繋がりを考えたら、たしかにお前と俺が結婚するのが一番だろうさ。だけどなあ……」


 エルベルトは金色の瞳を、やっとクラウディアと合わせた。そのとき、やっとクラウディアは気付いた。

 普段は鋭く人を射貫くような瞳が、今は潤んでいることに。


「……俺が惚れているのは、今のお前じゃない」

「……ええ?」


 クラウディアは、なにかがグラングランと揺れていることに気付いた。


(エルベルトは……クリスのこと、ちゃんと好きだったの? でも、クリスがエルベルトを怖がっているし……でも「今のお前」って……なに?)


 本来ならば、クラウディアはきちんとクリスティナに「あなたの婚約者は、きちんとあなたのことが好きだから、安心して嫁ぎなさい」と言うべきところだろうに、それを素直に喜べないことに気付いた。

 それの意味がわからず、クラウディアは揺れたまま、彼を眺めていた。


「……婚約、破談にしたほうがよろしいんですか?」

「お前の姉がそう言うならな」

「……このところ、あなたと過ごす機会が多かったですが、楽しかったです。それでも、私では駄目だったんでしょうか?」


 口にしてみても、どうにもクラウディアはすっきりとはしなかった。乱暴者と思っていたが、意外と視野は広く、見るべきものを見て、褒めるべきものを褒める。これならばよく泣くクリスティアだって幸せに結婚生活を送ることができるだろうに。

 頭ではわかっているつもりでも、どうにも納得ができずにいた。

 やがて、エルベルトは「はあ」と溜息をついた。


「そういう意味じゃない」

「じゃ、じゃあ……どういう……!?」

「……情緒が育ってないのに、今言っても意味がないだろ」


 エルベルトは食べ終えた大量の空皿を積み上げると、それをお盆に載せて立ち上がった。そのままクラウディアを置いて、スタスタと歩きはじめる。


「卒業まであと少しだ。それまで、せいぜい悩んでくれ」


 そう意地の悪いことを言い残し、立ち去ってしまった。

 クラウディアは唖然とする。


「どういう意味……?」


 口にしてみても、今の彼女では理解ができなかった。

 普段であったら、直球な物言いをするエルベルトが、どうしてここだけ王都風の湾曲する物言いをするのかがわからず、ただ彼女は目尻から涙を溢した。

 今の彼女では、自分の流す涙の理由さえ、わからずにいる。

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