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クラウディアが食堂で泣き崩れている頃、クリスティナは図書館にいた。
卒業してしまったら、これだけ貴重な本が並んだ図書館ともお別れだ。いくら彼女が子爵令嬢とは言えど、廃版になってしまった本をかき集めることは困難な上に、紛争の絶えない辺境伯に嫁ぐ身としては、持って行くことは叶わないだろうと諦めている。
薬草学だけでなく、物流について、経済についても読書を進めていた。本当だったら大学部まで通ってそこまで学びたいところだが、残念ながら当主にでもならない限りは大学部の進学は推奨されていない。
クラウディアは既に長期休みの間に、家庭教師により当主教育を施されているが、その間クリスティナは勉強したければ独学で学ぶしかなかった。子爵領にはここまで立派な図書館がない。
(王都はやっぱり勉強するためのものが揃っているんだわ……子爵領だとここまで深い本は手に入らないもの)
せめてもと、ノートに本の気になる項目を書き写している中、本に影が移った。顔を上げると、穏やかな顔のセシリオが立っていた。
「やあ、クラウ。ずいぶんと勉強熱心だね。卒業を控えているからかな?」
「……っ!? セシリオ……今日はいったいなんの用?」
「いや? このところ婚約者殿はずいぶん勉強熱心だから、どういう風の吹き回しかなと思って」
「……たまたま課題をしていて、図書館の蔵書を見たから。これだけの本、地元では揃えられないから、もったいないと思って卒業までに読んでしまおうと……本当に、卒業までの時間をもったいないことしたと思っているわ」
「ふうむ……もしかして、クラウは本当は当主を継ぐよりも先に、大学で勉強を続けたいんじゃないかな?」
「無茶言わないでよ……クリスの結婚だってあるし、当主の座を空席にしておくことなんてできないでしょう?」
クリスティナは、クラウディアに未だに相談できないでいた。彼女が必死にエルベルトのことを調べ回っているというのに、自分は婚約者を放ったらかしにして勉強したがっているなんて言ったら、最愛の姉に申し訳が立たなかった。
それにセシリオが「ふうむ……」と顎に手を当てる。
「義父殿は君たち姉妹には寛大だから、言えば大学部への進学は許可してくれると思うよ?」
「クリスを無理矢理遠方に嫁がせるのに、私だけ好きなことはできないったら」
「ふうむ……あくまで、僕の印象を言ってもいいかな?」
セシリオはクリスティナの隣の椅子を引くと、ストンと座る。クリスティナは意味がわからず、セシリオを見つめた。
「僕は正直、姉妹や兄弟のいる令嬢令息には何人も知っているけれど、双子というものは君たち以外知らない。君たちは同じ顔、同じ声をしているけれど、ふたりとも主義趣向は似ているようで違うよね? クラウは怒りっぽいし、クリスは泣き虫だ。皆は一見クラウのほうが気が強く、クリスのほうが気が弱いと思っているみたいだけど。僕から言わせたらクラウはなんとか威嚇して強く見せようとしている、本当はもっと繊細な子で、クリスは泣くことで感情をリセットしている、本当はもっと強かな子ではないのかな? これだけ違うのに、ふたりは互いのことがしゃべらなくてもある程度はわかってしまう。でも肝心なことをしゃべらないせいで、互いの願いを履き違えてないかい?」
セシリオの冷静過ぎる指摘に、クリスティナは目を見開いた。セシリオは涼しげな目を細めて笑う。
「卒業してしまったら、もう進路は決定してしまうし、引き返すことはできないよ。できれば君たちは、もっと話し合ったほうがいい」
「……セシリオ様」
普段、気丈な言動を取るクラウディアは、そんな口調で話さない。それでもセシリオは穏やかな顔つきのまま、彼女をじっと見つめるままだった。
クリスティナは、とうとうクラウディアのふりをしてまとめていた髪を、振りほどいた。長い髪が背中を覆う。
「……私は、クリスティナです……本当は、もっと勉強したいですし……遠方にお嫁に行きたくはありません……でも、お姉様に全部負担をしてしまうのは……できません」
「うん、知っていたよ、クリスティナ」
セシリオはにこやかな顔つきで、クリスティナの長いもつれのない髪に指を絡ませた。彼女は驚いた顔で、彼の手にされるがままになる。
「……私、お父様とお母様以外で、誰も私たちの見分けは付かないものだと思っていました」
「そうだね。たしかに顔つきも声もそっくりだよ。でも言っただろう? 君たちは驚くほど気質は違うよ。ちゃんとクラウと話しておいで」
彼に頭を撫でられると、温かい気分になる。思えば、クリスティナは王都が苦手であった。何分貴族の爵位を守るためには、誰かを蹴落とさなければいけない。特に令嬢なんてものは、婚約をしなければ一生家から出られないのだから、婚約が決まらない場合は誰かの足を引っ張り合って破談させ合うものだ。
クラウディアのように怒り続ける気力も胆力も、クリスティナには持ち合わせていなかった。王都で寮母以外で数少なく優しくしてくれていたセシリオには、彼女は心から感謝しているし、引かれてもいる。
(……駄目なのに)
彼女は漏れ出そうな気持ちを必死で引っ込める。
(お姉様の婚約者だもの。大学部進学の相談をする上に、婚約者を交換したいだなんてわがまま、通るはずはないわ……まずは、大学部進学の相談をしましょう。そうしましょう)
彼女はセシリオに「ありがとうございます」とお礼を言ってから、図書館を後にした。
しかし……どれだけ頭がよくても、学院内でさんざん王都の貴族令嬢の陰険さを見てきたとしても、それに遭遇しない限りは、自分にも牙が及ぶと考えがたい。
クリスティナはパタパタという足音がしたことに、気付きもしなかった。ただクリスティナは、すっきりとした気分で最愛の姉を探しに出かけたのだ。
****
長休みの間、クラウディアは中庭のベンチに座り、どうにか涙が止まるのを待って、ひたすら泣いていた。
(……なにがそんなに泣きたいんだろう。なにがそんなに嫌なんだろう……わかんない)
残念ながらクラウディアの情緒は、多感な時期に嫌がらせを受けていたせいで、まともに同性の友達ができなかったこともあり、外見とは裏腹に幼く脆い。王都の令嬢であったら一発でわかることも、子爵領に閉じこもりっきりの彼女ではわかりようもない話であった。
そんな中、誰かが歩いてきたことに気付いた。
「お姉様?」
ひっつめ髪をほどいたクリスティナがひょっこりと顔を見せたので、クラウディアは慌てて周りを見回した。
「クリス……誰かに見つからなかった? 誰かに告げ口されたら、出席日数が……」
「ここから先は、誰もいませんでしたよ。あとごめんなさい、お姉様。セシリオ様には私たちの入れ替わりがバレバレでした……」
「まあ……セシリオにはばれていたの」
にこやかで穏やか。よく言えば紳士的で悪く言えば優柔不断な彼の笑みが、クラウディアの脳裏に瞬く。
「……ま、まあ。婚約者なんですもの、私たちの区別がついて当然だわ。それでどうしたの? こんなところまでわざわざ探しに来て」
「……あのう、お姉様。私の頼み事もそうなんですが。どうして泣いてらっしゃったんですか?」
クリスティナに心配そうに目を寄せられ、クラウディアはたじろぐ。
(まさかエルベルトと揉めたなんて言えないし……ううん、揉めたのかしら、あれは)
「ちょっと、いろいろあったのよ。私のことはまあいいわ。それよりどうしたの?」
「そうなんですか? ならよろしいんですが……あのう、私。大学部に進学したいんです」
「あら。もっと勉強したかったの?」
日頃からよく泣き、肝心なことは口にしないのがクリスティナの悪い癖であったが、クラウディアは珍しく彼女が主張したことに、首を傾げながらも問いを重ねる。
それに少しだけクリスティナは驚いたように目を丸めた。
「……お姉様、驚かないんですね?」
「だって、あなたのほうが私よりもよっぽど頭がいいじゃない。でもそうね……困ったわ」
「あのう……大学部には、やはり私は行かずに嫁入りしたほうがよろしいんですか?」
「違うのよ……ごめんなさいね、クリス。私、エルベルトを怒らせてしまって……このままじゃ婚約が破談になりそうなのよ」
「はい……?」
ふたりは互いの顔を見合わせて、ただ首を傾げた。
どうしてこんなおかしなことになってしまったのか、ただただわからないでいる。
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