6
俺は猪下小学校の大木の前に座っていた。夜の学校は静かで不気味だった。
殺すならここにしよう。ここから全てが始まった。俺はこの学校で殺された。ならあいつの死に場所はここだと、なんとなくだがそう思ったからだ。
これまで何度か自分の力を試した。
魂を飛ばせる距離、時間。距離に関して制限はなかった。どこまででも飛んでいけたが、時間は少し違った。正確には体力、精神力の問題で、まるで長距離を走っているかのように距離と時間が長くなればなるほど消耗は激しくなった。最悪途中で力尽きて自分の身体に戻れなくなった時、その時は本当の死が訪れるだろう。
ここから昌彦の家に魂を飛ばすのは問題ない。後はあいつの身体を乗っ取ってここまで誘導する。簡単な事だった。
台に登り、木に縄をかけ輪の中に首を通した。そして台を思いっきり蹴っ飛ばした瞬間、魂を自分の身体に戻した。
「う、ぐ、ぎぎぎぃぃい」
醜い悲鳴をあげ昌彦は苦しんだ。しばらくバタバタともがいていたが、やがてその動きは鎮まり、だらんと両腕は垂れ、それからぴくりとも動かなくなった。
その様子を確認してから、俺は事前に用意した鎌を取り出した。
――この手のせいで。
あの時俺は、昌彦の手に触れられた。その直後全身が動かなくなり、息も吸えなくなった。
この手が俺から全てを奪った。
俺は鎌を振り上げた。
――いや、待て。
だがその時、普通に手首を切るよりもいい事を思いついた。
――そうだ。こいつに斬らせればいい。
これはあくまで自殺だ。こいつが一人で勝手にやった事なんだ。
俺は再び昌彦の身体に入った。驚いたことに、昌彦の身体はまだ動かせる事が出来た。しかし感覚はほとんどない。
おそらく時間はない。何度も鎌を振り上げ、手首に叩きつけた。痛覚は消えていた。ぼとりと手首が地面に落ちた。かくして異様な自殺現場が出来上がった。
落ちた手首を俺は眺めていた。
魔力というか、妙な魅力を放っていた。なんでだろう。死んでいるのに、まだ力はそこにあるような禍々しさを感じた。
気付けば俺は手首を拾い上げていた。これをこの場に残しておいてはいけない。俺は手首と鎌をその場から持ち去り、秘密基地として幼い頃に使っていた廃屋の地下にそれらを隠した。
*
月日は何事もなく流れていった。昌彦の死は奇妙な自殺死体として騒がれたが、何故だか大きな報道はされなかった。警察はしばらく捜査を続けていたが、遂にその手が自分に伸びる事はなかった。最初こそは心臓が爆発しそうな緊迫した毎日を過ごしていたが、進展のない状況に次第に心は落ち着いていった。
あの手首は地下に残ったまま触れる事もなかった。ただどうなっているか気にはなるので度々確認には訪れていた。そしてその度やはりこの手は普通じゃないと思った。
不思議な事に、手首はいつ見ても綺麗なままだった。腐敗せず、青白い姿を保ったままだった。気味の悪さはあったものの、捨てるのもなんとなく怖かったのでそのままにしていた。
俺はすっかり栄治としての人生を歩んでいた。途中両親の離婚があり三原から梅崎姓に変わったりと色々な事はあったが、一度殺されたという人生経験に比べれば、何事も大した事には感じなかった。
『久しぶりに会わないか』
兼人からの何度目かの誘い。だが会う理由はなかった。彼らにとって俺は三原栄治だが、実際は違う。当時の面々に会うという事は自ら傷を抉る事に等しい行為だ。わざわざ自ら傷を負いに行く必要などどこにもなかった。
「いやーほんと久しぶりだなー栄治」
だが、俺はその日彼らのもとに会いに行った。傷を負うのは嫌だが、過去を捨てたわけではない。少なくとも幼い時代を共にしてきた級友達だ。彼らに会いたいという気持ちはまた別だった。
「やっと来てくれたよーえいちゃん。付き合い悪いなって毎回皆で愚痴ってたんだよー」
しかし、来て早々後悔した。栄治の名を呼ばれる度に心にぎっと爪を立てられるような不快さと、神山忍という存在はもう本当にどこにもいないという慣れたはずの虚しさを感じざるを得なかった。それでも久しぶりに顔を合わせた級友との時間をなんとか楽しもうと思った。だが、それも無駄だった。
「昌彦おもしろかったよな」
酒が入り想い出話をしている中で、兼人が口にした。
「ああ、よく遊んだな」
「いいおもちゃだったよね、はは」
直樹と怜美も下品な笑い声をあげた。
「結局わけわかんねぇ死に方したよな、あいつ」
まさか昌彦を殺した人間が目の前にいるとも知らず、三人は昌彦の話を続けた。
「なんかーいい迷惑だよね。あたし達がイジメたから死んだみたいな感じで一時期言われたじゃん?」
「知らねえっつう話だよな。てめぇで勝手に死んだくせに」
「でもさ、本当に忍って昌彦に殺されたのかな?」
「いやいや、ねえだろ。あんなんで死ぬってどんだけ貧弱だよ。たまたまだろ。まあ忍も無念だったろうな。昌彦に殺されるなんて」
「あん時妹尾ちゃんもさー、めっちゃパニくってたよね」
「そうだったな。あの人、昌彦の問題で一気に老けたよな」
「なんだか見てて憐れだったよねー。必死で昌彦に話しかけたり家行ったり」
「結局あの人も一旦教師やめて確か関東に逃げたよね?」
「え、そうだったの?」
「らしいよ。一応その後また教師は続けてるらしいけど」
「どうせまたなんかあったら逃げるだろ。あんな程度で教師辞めちまう豆腐メンタルじゃあな」
ゲラゲラと三人が笑う中、自分だけが笑えなかった。俺は、こんなクソみたいな連中とつるんでいたのか。
頭の中で血管が一本一本みちみちとちぎられていくような感覚だった。昌彦の事は知った事ではない。あいつがどう言われようが関係ない。だが、妹尾先生は違う。苦しんでいる先生の姿を見て、彼女には本当に心の底から申し訳ない事をしたと反省していた。だが、こいつらは全く違った。
「おい、栄治どうした? 全然笑わねえじゃねえか」
「そういやえいちゃん、なんだか一時期からすっかり変わったもんね。えらく大人しくなっちゃったし」
「あれ、実は先生の事が気に障ったのか? もしかして、好きだったのか?」
三人は俺を茶化してまた笑った。
こいつらはクズだ。こんなにもクズなのに、クズなのに、なんで……。
「……なんで俺なんだよ」
「え? 何か言ったか?」
どうして、俺だけがこんな目合わなくちゃならないんだ。
「お前らが死ねば良かったのに」
きょとんとする三人をしり目に、俺はその場から立ち去った。
――殺してやる。全員。
俺の頭には、地下で眠る手首の事が浮かんでいた。
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