5
「……あんたの言う通りだ」
三原、いや、神山の声は深く暗い底から響くような重く悲しいものだった。
「何故、こんな事をした」
御神さんの声は静かだったが、凄まじい怒気が感じられた。下手をすれば今にも手を出しかねないほどだ。
「復讐と償い。だいたいあんたが思っている通りだ。あともう一つ、自分が自分である事の証明、そんな所だ」
そして神山忍は真相を語り始めた。
*
『久々に集まろうぜ』
携帯に届いたのは兼人からのメッセージだった。グループには既に直樹と怜美の名前もあった。刑事の自分は日々忙殺され時間の自由もあってないようなものだった。今回も参加は出来ないだろうと思っていた。
もちろんこいつらは何も知らない。俺が梅崎栄治ではなく、本当は神山忍である事など。
あの日、昌彦に押された瞬間に俺の運命は大きく捻じれた。心臓が一際大きく身体の中で鳴り響いた。海の中に落ちたかのような浮遊感。しかし次の瞬間呼吸を含めた全身の自由が全て奪われた。
死ぬんだ。そう直感した。
葛藤はあったが、短かった。どうすべきなのか分からなかった。ただ死にたくない。それだけだった。その為に選ばなければならなかった。
そして次の瞬間、景色が変わった。
地面に誰かが倒れている。それを取り囲む皆がいた。
「死んだの? 忍君」
そんな声が聞こえた。
「ねえ、えいちゃん?」
横から声がした。
「ねえ、えいちゃんってば!」
真横にいた怜美が自分を見ていた。
えいちゃん? 誰だそれ? 俺はそんな名前じゃない。
「いや、俺……」
頭がふらつく。なんだか気持ち悪い。
前を見た。倒れている生徒を見た。
――……なんで?
倒れているのは、俺だった。
「えいちゃん、大丈夫?」
怜美がまた呼びかけた。俺の事をえいちゃんと呼んだ。
違う、それは俺じゃない。えいちゃんは、三原栄治だ。
俺は、神山忍。でも目の前で倒れているのも神山忍。
――俺、まさか……。
俺は急いで洗面所に向かった。そして鏡に映った自分の姿を見て愕然とした。
そこに映っていたのは、三原栄治の顔だった。
「なんか、えいちゃん雰囲気変わったな」
そう言われる度、心が切りつけられるような気持ちだった。何度も口に出そうかと思った。自分は神山忍だと。でも、鏡に映る自分の姿はどこからどう見ても三原栄治だった。声を出せばそれは三原栄治のもので、喋れば喋るほど神山忍という存在がかき消されていくようで怖くなり、必要最低限な事以外喋らなくなった。
えいちゃんと呼ばれる度、昌彦への恨みは増幅していった。俺が死んでから昌彦はしばらくして家に引きこもるようになった。昌彦はクラス内で人殺しと蔑まれていた。当然だ。本当に俺は殺されたのだから。
だが、いい気味だとは思えなかった。それは殺された俺が今なおこんな目にあっているという事だけではない。妹尾先生は昌彦を気にかけ、声を掛けていた。学校に来なくなってからも昌彦の家に行く先生を何度も見かけた。
「忍君、駄目でしょそんな事したら」
気恥ずかしくてこんな事誰にも言えなかったが、俺は先生の事が好きだった。綺麗で優しくて穏やかな先生だった。構って欲しくてよくちょっかいをかけたり、わざと悪さをしたりして気を引いたりもした。
でも、先生も変わった。俺が死んだ事で警察がいろんな事を調べていった。そんな中で昌彦のイジメの事が問題になり、先生はその事で追及を受けたり保護者から避難を受けていたようだ。日に日にやつれ憔悴していく姿は見るに堪えなかった。
――ふざけるな。
自分だけ被害者ぶって引きこもった昌彦が許せなかった。お前なんて生きているからいいじゃないか、俺はお前に殺されたんだぞ。
理不尽な状況への不満と苛立ち、そして昌彦への憎悪は膨らむ一方だった。
『いい加減にしてくれよ!』
あの日、たまたま目の前に立っていた俺は昌彦の怒りを全身で受ける事になった。そんな事は今までなかった。別に昌彦の事が嫌いだったわけじゃない。確かに兼人は俺からしてもちょっとやりすぎじゃないかと思う事はあったが、ちょっとおもしろかったからからかっていただけだ。なのに、その日昌彦は我慢の限界だったのか遂にキレた。
悪い事をしたのかもしれない。でも、殺されなければならないほどの事か。そんな俺は先生に構われる事なく、鬱屈とした日々を過ごしているのに、お前には先生がいる。あんなに疲れ切っていて、人の事など構ってられる余裕なんてないはずなのに、それでも先生はお前の為に時間を割き続けている。
そんな恨みを抱えながら、中学へと進学した。
そしてそこで、平然と入学式に出ている昌彦の姿を見た。
その時、自分の中で何かが切れた。
――殺してやる。
お前はちょっと引きこもっただけで戻れるのか。
それでお前は今後もお前として生き続けられる。
でも、俺は違う。
もう俺はここにはいない。
俺は死んだ。殺された。
神山忍ではなく、これからはずっと三原栄治としての人生だ。
俺の全てを奪ったのに、お前はまだお前のまま生きていける。
そんなの、俺は許せない。
その時に俺は思い付いた。
死んだあの瞬間の出来事。俺はあの時自分の身体を抜け、三原栄治の中に入った。
だったら、また出来るんじゃないか?
そして俺は自分の力を試した。
憑依の相手は親父にした。仕事ばかりで帰ってきてからは酒ばかり飲んで酔っ払っている親父は恰好の実験台だった。
目を瞑り、自分の中から魂が抜けていくイメージに集中した。
ふっと身体が軽くなった。気付けば俺は部屋の中で宙に浮き、視線を下ろすとベッドに腰掛ける自分自身がいた。
抜け出た魂は障害物すらものともしなかった。閉まった扉、壁なども容易にすり抜けた。
――すげぇ。
自分の力に感心しながら、俺は親父の身体に入り込んだ。
酒を飲んでいるせいか、目が回ってフラフラした。毎日こんな状態になるまで酒を飲んでしんどくないのかと思いながら、俺は親父の身体を動かした。態勢が崩れ、壁にがんと頭をぶつけた。
「いった!」
当然ながら痛覚はあった。憑依した相手とは五感も共有する形になる。しばらく操作を続け、足取りはおぼつかなかったが、十分に人の身体を動かせる事は確認出来た。
――いける。殺せる。
昌彦を殺す。そう決心した瞬間だった。
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