3

 関東に着いた頃にはもう日が落ち、暗さと静けさが空気を支配していた。私達は梅崎先輩から送られてきた場所へと急いだ。やはりそこは次沢が死んだ公園だった。




「誰かいるね」




 私達は公園の中を進んだ。暗がりの先に人影があった。頼りない街灯に灯されたベンチ。そこに誰かが座っていた。




「女性、ですかね」




 長い髪のシルエットが見てとれた。もしかすると、あれは妹尾先生じゃないのか?


 近付くと、女性が途中で私達に気付きこちらを振り向いた。頬もこけ生気のない目が私達を見つめた。




 彼女はすっと立ち上がった。そして肩にかけていた鞄の中に手を突っ込み何かを取り出そうとした。刃物でも出してくるのかと思い身構えた。


 彼女が鞄からそれを取り出した。街灯の光が全てを照らした。




 ――ああ、やっぱり妹尾先生なんだ。




 それを見て確信した。




「あなたが持っていたんですね」




 御神さんは毅然とした姿で彼女と向き合った。彼女が手にしているものはどこまでも異様だった。でも私達からすれば、それはずっと頭の中にあったものでもある。


 彼女の手に握られた真っ白い物体。それは、人間の手首だった。彼女は手首を私達の方に向けながら、じりじりとこちらに歩み寄ってくる。




 この状況が全てを証明しているかのようだった。


 彼女が持っている者は、おそらく武市君の手首だ。どういう経緯で手に入れたかは分からないが、当たり前のように手首を人に向けるその姿は、今までも同じようにその手で人を殺めてきた事が窺えた。


 彼女が実行犯だ。彼女が次沢達を殺した。




 真っ白な、冷たい手首が私達をずっと捉えている。 


 触れたら死ぬ。そんな馬鹿なと理屈では思っても、本能がそれを認めなかった。




 殺される。




「先生」




 その時、向こうの方から声がした。女性の後ろの方から、別の人影が現れた。




「こっちだよ先生」




 そこにいたのは梅崎先輩だった。




「あなたが殺さないといけないのは俺だよ」




 ゆらりと妹尾先生が梅崎先輩の方を振り向いた。




「あんたが御神さんか」




 妹尾先生越しに梅崎先輩は御神さんに呼びかけた。




「顔を合わせたのは初めてだな。うちのゆとりが色々と迷惑かけたな」


「そんな事はないよ。彼女は優秀だ。それも分かっていたから、彼女に頼んだんじゃないのか?」




 何だ。何を言ってるんだ、御神さんは?




「どうやらあんたには多分伝わっているようだな。正解だよ、あんたを頼って」


「決して君の為に動いたわけじゃない」


「結果オーライだよ」




 二人の会話の意味が分からない。私だけ置いてけぼりをくらっている。




「全部、君達二人でやった事だったんだね」


「違う。全ては俺が始めた事だ」


「しかし、その手首を使ったのは――」


「全部俺なんだよ!」




 梅崎先輩の激昂が空気を揺らした。尖った横暴な口調は聞き慣れていたが、ここまで剥き出しの感情を露にした姿は見た事がなかった。




「だから、俺で最後なんだよ」




 梅崎先輩は妹尾先生に視線を戻した。




「先生。悪かったな。もうこれで終わりだからよ」




 打って変わった優しい声音で梅崎先輩は妹尾先生に語りかける。




「あなたが憎んだ人間は、これで全て、この世から消え去る」




 ちょっと待て。まさか――。




「先輩!」




“俺で最後なんだよ”




 そうだ。そうじゃないか。




“昌彦をイジメてたガキの一人だよ”




 豊さんも言ってたじゃないか。




“まだ生きてるんだとしたら、次に死ぬのはそいつかもしれんぞ”




 だから三原栄治を追った。最後に死ぬのは彼だから。


 妹尾先生が勢いよく梅崎先輩に向かって走り出した。急な動きに私は対応出来ない。




「御神さん!」




 止めて。お願い。


 私には無理だ。でも御神さんなら。




「御神さん?」




 御神さんはその場から動かない。静かにその場で二人をただ見つめるだけだった。




「僕達の、負けだよ」


「え……?」




 負け。


 ここまで来て、負け?


 そんな。そんなの……。




 動けない。私に出来る事は、もう叫ぶ事だけだった。




「先輩! 死ぬなんてズルイですよ! 全部教えるって言ったじゃないっすか!」




 届け。止まれ。このまま先輩を死なせたら、本当に負けだ。




「安部」




 梅崎先輩が私を呼んだ。ゆとりじゃなく、名前で。




「わりぃな。わがままに付き合ってもらって」




 嘘だ。嘘だ。嘘だ。




「先生」




 終わる。




「ごめんなさい」




 終わってしまう。




「みはら、くん」




 初めてそこで妹尾先生の声を聞いた。感情は読み取れなかった。でも、名前を呼ばれた梅崎先輩の顔は、ひどく悲しい笑顔だった。




「さよなら、先生」




 妹尾先生と梅崎先輩の距離は、もう手を伸ばせば触れる距離だ。




「先輩!」




 そして。




 武市君の手が。




 梅崎先輩の身体に触れた。

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