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 武市家の自宅前には早朝にも関わらず多くの警察の人間が出入りし、物々しい雰囲気だった。




「なんで、自殺なんか……」




 つい昨日の出来事だ。初め彼に対して感じた印象は獰猛で粗悪だった。だが、話を聞いてそれが息子である昌彦君の死によるものだと分かり、そして彼が昌彦君の事を思う気持ちが分かった後は、ぶっきらぼうだが愛情深い父親という印象に変わった。最初は私達に対して不信感を露にしていたが、最終的に三原英治の情報も提供してくれた。なのに、その翌日に自殺。


 どうして。全く理由が分からない。しかも首吊りだなんて。よりにもよってどうして息子と同じ死に方を選んだのか。




「本当に自殺だと思うかい?」


「え?」




 御神さんは真っ直ぐに武市家を見つめていた。いや、ひょっとしたらそこに死んだ豊さんの姿を見つめているのかもしれない。




「君だって感じているはずだ。昨日話した豊さんは、自殺するような人間に見えたかい?」


「……いえ」




 全くそんな気配はなかった。ひょっとしたら突発的に死にたくなる何かがあったのかもしれない。でも昨日の会話の中でそんな心当たりは特になかった。


 御神さんが何を言いたいのか分かる。これは自殺ではない。だとすれば――。




「まさか、殺された……?」




 御神さんは静かに頷いた。




「こんなタイミングで計ったかのように自殺するなんて明らかにおかしい。これはおそらく何かのメッセージだ」


「メッセージ?」


「君が時折感じた感覚の話。あれが気のせいでないなら、きっと僕らはある時点から監視されている。僕らの事が見えているからこそ、このタイミングなのかもしれない」


「どういう事ですか? あえてこのタイミングで豊さんを自殺に見せかけてわざわざ殺したって事ですか?」


「推測だよ。僕だってまだ考えがまとまっているわけじゃない」




 何度もこの事件で頭をかき乱されてきた。でもここに来てこんな事態が起きるだなんてまるで想像もしていなかった。本当に私達は、この事件を解けるのだろうか。




「ただ、一つ確実に言える事がある」


「何ですか?」


「僕らは答えに近付いている。それだけは間違いない」















 豊さんの死の衝撃がまだ身体から離れない。だが止まっているわけにもいかない。私達は新潟を離れ、関東へと戻っていた。全く腹が空く感覚はないが、何かを食べなければ身体がもたないと御神さんに諭され、無理矢理おにぎりを胃に押し込んだ。




 一体何人死ぬんだ。三原英治の事にさえ気を付ければいいと高を括っていた。だが、予想だにしない豊さんの死。この事件に犯人がいるとすれば、どこまで殺せば完結するのか。


 いや、駄目だ。これ以上死人が出るなんて嫌だ。


 何とかして止めたいという思いはある。でも思いだけでは事件を止める事は出来ない。妹尾先生についても調べがつけられていない。自分達の本当の優先順位は何なのか。どう動くべきなのか。考えれば考える程私の頭は袋小路に陥っていた。




 ――ダメだ。ちゃんと頭を整理しなきゃ。




 むしゃりとおにぎりを無理矢理食い切った。酷く苛立っていた。私達は真相に近付いている。そう、近付いているのだ。自分に強く言い聞かせた。


実は豊さんの死と共にもう一つ衝撃的な事実を耳にしていた。それがひどく私の心をかき乱していた。




 ――落ち着いて考えるんだ。




 全てを一から組み立て直す必要はおそらくないはずだ。何度か立てた仮説の推理は利用できるはずなのだ。


 全ての可能性を考慮して、今回の豊さんの事件を加えれば、今まで分からなかった事が見えてくるはずだ。




 全てはおそらく猪下小学校から始まっている。


 神山君という一人の生徒が死んだ。その場にいた武市君はその事で不登校になった。その後中学に進学するも、猪下小の木で首を括り死んだ。そしてその際、自分で自分の手首を切った。


 十数年の時を経て、次沢達元猪下小のクラスメイト三人が不審死。その死に方はその場に固まり死ぬという神山君の死に方に酷似したものだった。そしてこの三人は当時武市君をイジメていた。氷鬼という遊びに誘い、陰湿な嫌がらせをしていた。




 神山君が何故死んだか。これを武市君の何らかの力によるものだと仮定する。


 その武市君は首を吊り死ぬ。切り取られた手首は見つかっていない。なら手首はどこに消えた? 


 信じられない話だが、武市君は首を吊って死んだ後に自分で自分の手首を斬ったという。となれば、斬った手首を隠したりしたのは少なくとも武市君ではない。つまり誰かが持ち去った事になる。


 どうしてそんな事をした? その手首に特別な何かがあったからではないのか?




 以前一度考えた仮説の一つ。


 次沢達三人は、死人の手によって殺されたのではないか。残された指紋、サイズ。考えられたのはそれが武市君の手ではないかという説だ。この時まだ手首の所在については知らなかった。だが誰かが手首を持ち去ったのなら、今回の事件と関係してくると考えられないだろうか?


 一度は死人の犯行を疑い絶望した。でも、死人の手を利用した誰かの犯行と考えればまだ可能性はあるんじゃないだろうか。


 じゃあ、誰が? 生き残っている中でまだ確認がとれていない人物。




 妹尾恭子。




 消去法で考えた時、この事件に密接に関係していながらおそらくまだ生きているであろう人物の一人。次の犠牲者である三原英治を除けば、最も怪しい人物だ。もしそうだとすれば、手を付けるのが遅かった。そう考えると悔やまれる。




 妹尾恭子は自分の担当したクラスで二人の生徒を失っていた事になる。


 神山君。武市君。その事を彼女はどう思っていたか。武市君のイジメを把握していたとすれば、次沢達にいい気持ちは持っていなかっただろう。


 だから殺した? 想像の範疇だ。それが殺す理由になるのか。またそうだったとして何故今頃になって復讐を始めたのか。




 もう一つ。豊さんの死について。これも彼女が絡んでいるのかどうか。しかし豊さんについては他の三人と違って単純な首吊りで死んでいる。


 辻褄が合わない。何かまだ足りないピースがあるのか。




「御神さん、いくら考えても分からないです。答えが出ないです」




 整理した頭の中身を、私は御神さんに言葉にして伝えた。


 弱音を吐いたつもりではなかった。ここまで来たら私だって答えに辿り着きたいと思っている。でも、素直に自分の頭ではこれ以上の答えが出せそうになかった。




「でも、君はちゃんと自分の頭で考えてるじゃないか」




 御神さんの声は優しかった。




「初めの頃は考える事すらしなかったじゃないか。大いなる成長だよ」




 そういえば影裏に来て最初の頃は、まるでやる気もなかったな。




「君に手伝ってもらってやっぱり正解だったよ」


「え?」


「君は決して頭は悪くない。ただ今までちゃんと君の能力を発揮する場所と理解しようとした人間が周りにいなかっただけだ。まあそれは君のやる気のなさも原因だっただろうけどね」


「それ言われると何も言えないっすね」


「力を使う場所がなかっただけだ。君はちゃんと刑事になれる素質はある」


「そうですかね」


「君がそれを望んでいるかどうかは別だけど」


「定時には帰りたいですし、土日は休みたいです」


「はは。素直でよろしい」




 決して笑ってられるような状況ではない。でも私は御神さんのおかげで自然と笑っていた。凝り固まった身体がほぐれていく。




「さっさと終わらせないとね」


「はい」


「にしても、彼には驚いたね。一体どういうつもりなんだか」


「全くですよ」




 予想外という点で言えば、正直豊さんの自殺以上の衝撃だった。




『三原英治という生徒はおりませんでしたよ』




 関東に戻ろうとした直前だった。それは確認をお願いしていた猪下南中の事務員からの電話だった。その内容に私は落胆した。だが電話はそこで終わらなかった。




『ただね、私も気になったもんでちょっと調べたんですよ。そしたらなるほど、道理で見つからないはずです。確かに彼は猪下南にはいたんですよ』




 初め彼が言っている事がよく分からなかった。




『多分この生徒だと思うんで、そっちでも改めて確認してみてください』




 そう言って彼は一人の生徒の名前を口にした。




「え?」




 私は耳を疑った。




「す、すみません。もう一度言ってもらっていいですか?」


『早口だったかな、申し訳ない。もう一度ゆっくり言いますよ』




 今度はゆっくりと。だがやはり同じ名前だった。決して聞き間違えではなかった。




「……ありがとうございました」




 私は礼を言って電源を切った。それから私は別の場所へ電話をかけた。




「今大丈夫?」


『どうしたの、あんた今こっちいないんでしょ? どこ行ってんの?』


「新潟。もうすぐ戻るけどね。それより一つ頼みがあるの」


『何何、なんだか雰囲気違うくない?』


「ごめん、急いでるの。今から言う人物の履歴書を確認して欲しいの」


『えー何それ? なんかヤバイ感じじゃない?』


「大丈夫。なんかあったら私から言われたって言えばいい。責任はとる」


『責任とるってあんたペーペーで何の権限もないじゃない』


「何とかする! お願い緊急なの!」


『わ、分かったよ。で、誰の事を調べたらいいのよ』




 私はそこで猪下南の事務員から聞かされた名前を口にする。




『え、何、どういう事?』




 動揺するのも無理はないだろう。何故私が彼の事を聞くのか。




「お願い。何も聞かずに調べて。人が死ぬかもしれないの」


『……分かった』




 すまない事を頼んだと思っている。でも、千紗ならうまくやってくれる。そして思ったより早く彼女からの連絡が返ってきた。




『あったよ。で、何が知りたいの』


「学歴を教えて欲しいの」


『何それ。まあいいけど』




 千紗が学校名を読み上げていく。




 ――何なのよ。




 当たりだ。事務員の話と一致した。千紗に礼を言った。彼女にはそれなりのお礼をしなければいけないだろう。最低でも高収入イケメンの合コンセッティング。それで許してくれるだろうか。




 ――何様のつもりっすか。先輩。




 私は先輩の番号を呼び出し、携帯を耳にあてた。

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