4
「再トライしてみよう」
翌日、私達は再び武市君の家に訪れていた。やはり家からは以前と同じ一切の生気を感じられなかった。正直、あまり来たくはなかった。一度目はこの家で、二度目は店を出た後に感じたあの背中を這う感覚。気のせいでは切り捨てられないあの感覚が始まった場所。ここには何かある。何かがいる。
私の目線は自然と二階の窓に向いた。感覚だけなのに、何故かあそこから見られていたという確信があった。だからこそ、そこに立つ男が見えた時私は背筋が凍った。
「み、みみみ、みか、みかみか、みか」
「どうしたんだい、ゆとり君?」
言葉にならない声しか出ず、私は震える指で二階の窓を差した。
「ああ、いるね」
御神さんの反応はあっさりとしたものだった。
「え、いる!? います!? 御神さんにも見えてます!?」
「うん、見えてるよ」
「あ、あれ、ゆ、ゆ、ゆー、ゆーれ」
その時窓に立つ男はゆらっと動き、そこから姿を消した。
「き、消えた」
そう思っていたら、しばらくして玄関がガラリと開いた。いよいよ私は度肝を抜かれた。
「え、え、え、え、え、ちょちょちょちょちょ」
もうパニックだ。幽霊が、幽霊が、普通に玄関から扉を開けて、こちらに向かってきている。男はざざざざと速足で私達の方へと近づき、足を止めた。
「あんたら、一体なんだ」
――シャ、シャベッタ。
いよいよ泡を吹いて卒倒しそうになった時、御神さんが私の耳元で囁いた。
「ゆとり君、彼は生きた人間だ」
「……へ?」
そこで改めて目の前に立つ男を見た。くたびれた様子で、顔色は決して良くない。だが、ちゃんと服を来て目の前に立っている。
「あ、あー、そっか」
道理で普通に玄関を開けて出てきたはずだ。
「武市豊さん、ですよね?」
御神さんはあくまで冷静に尋ねた。くたびれているはいるが、目は妙にぎらついている。少しでも妙な言動を起こせば即座に嚙みついてきそうな獰猛さを男は孕んでいた。
「だったら何だ」
しかし私達はこの男に話を聞かなければならない。この家から出てきたという事は、彼はあの武市君の父親なのだから。
「お聞きしたい事があります。よろしいですか?」
そう言いながら御神さんは警察手帳を見せた。しかし豊さんはそれで怯むどころか、更に眼を鋭くさせた。
「警察ぅ? 無能な犬が今更何の用だ?」
そうだ。彼にとっては警察も憎しみの対象であっておかしくない。死んだ息子の一件を有耶無耶に終わらされたのだ。警察手帳なんて見せたのは逆効果なのではないか。ならどうして御神さんはこんな事をしたのか。先が見えない不安と、いつ豊さんが飛びかかってくるかも分からない恐怖で身体はずっと小刻みに震えていた。
「否定はしません。私は当時の事件捜査には加わっていませんでしたが、改めて調べ直した結果その無能さに辟易しております」
「はっ。どういうつもりだ? 今更その無能さを詫びにでも来たのか?」
「いいえ。詫びた所で何も救えません。ただ今起きている別の事件が、当時の真実を解き明かすカギになっているのではと思い、お話を伺いに来ました」
豊さんの表情には以前敵意があった。だが、少しだけ表情が和らいだように感じた。
「どういう事だ?」
「ここ最近、猪下小学校の元生徒が立て続けに不審な死を遂げています。ご存知ですか?」
その瞬間、豊さんの顔から険しさが消えた。頬が緩み、口元が上がった。
笑顔。だが、それは恐ろしく邪悪なものだった。
「ああー、あのガキどもか」
くっくっくと愉快そうに肩を鳴らす。
「当然の天罰だな」
本当に嬉しそうに、豊さんは笑いながら言った。
寒気がした。人の死を心の底から喜ぶ人間の顔を、私は初めて見た。だが、これまで聞いてきた話を繋げれば、彼の反応は分からないものでもない。彼がどこまでの事を知っているのかは分からないが、息子を死に追いやった原因は、おそらく猪下小のクラスメイトにある。
「入れ。たまには人と話すのも暇つぶしにはなる」
私達の反応も見ずに、豊さんは家の中へと戻って行った。私達も後に続いた。居間の座敷に座る豊さんの前に私達も腰を下ろした。
「それで、何が聞きたいんだ?」
御神さんは今回の事件について豊さんに話した。超常的な部分は省いた上で、三人が死んでいる事と、彼らの繋がりが猪下小にあり、その中で武市君が過去に亡くなっている事が事件の根幹に関わっているんじゃないかという事について。そこまで話すと、豊さんの表情がまた険しいものへと変わった。
「おい。まさか俺が復讐であいつらを殺したなんて言うんじゃねえだろうな?」
「そんなつもりはありません。ですが、昌彦さんがこの一連の事件で無関係だとは思えないのです。失礼ですが、昌彦君と死んだ三人がどういった仲だったか、ご存知ですか?」
「詳しくは知らねえよ。後で聞いたが、どうやらそいつらにイジメられてたらしいな。あいつは引っ込み思案であまり自分の事を喋りたがらない子供だったからその時まで知らなかった。だがな、あの日だけは違った」
「あの日?」
「神山ってガキが死んだ時だ。あの時ばかりはさすがに親の俺も何も聞かねえわけにはいかなかった。明らかに顔色がおかしかったからな。最初は何でもないと言っていたが、問い詰めたら、自分が神山君を殺しちゃったかもしれないって。それからあいつは学校にも外にも出なくなった。無理に行けとも言えるわけもねえ。後で聞いたが、教室でみんながいる前で起きた出来事だって言うじゃねえか。あいつが何を考え、何を言われたかを考えりゃ、死ぬほど辛かっただろうって事ぐらいは想像がついた」
豊さんが纏う空気はいまだぎらついている。だが、息子の事を語る豊さんからはぶっきらぼうながら父親としての顔が垣間見えた。
「中学になって、あいつが学校に行くよって言った時は情けねえけどさすがに泣いたよ。俺んとこは早くに嫁さんが亡くなっちまったから俺一人であいつを見てきた。子育てなんてよく分かんねぇし、あいつもあんまり喋らねえし、それでも生活だけはと思って働いてきてたのに、あんな事が起きて引きこもりになっちまって。でも勇気出したんだよ。あいつなりに、このままじゃ駄目だって思ったんだよ。俺はあいつらを誇らしく思ったよ。なのに、なのによ……」
豊さんはそこで顔を伏せ言葉を詰まらせた。その先の事は私達も知っている。
「武市さん」
御神さんは静かに問いかけた。
「率直にお聞きします。昌彦君の死は、自殺だと思われますか?」
豊さんは涙で濡れた顔を上げ、御神さんを睨みつけた。
「自殺なわけがねえ。あいつは負けねえって気持ちで外に出たんだ。実際また辛い目にあったのかもしれねえ。でも、死ぬほど辛くても引きこもって生きる事を選んだあいつが、自殺なんてするわけねえんだ。辛かったらまた部屋に戻ってもいい。そう言ったらあいつは、大丈夫だよって笑ったんだよ。だから、だから……」
答えは同じだ。彼も、そして皆も本当の答えを知っている。
「あいつは殺されたんだよ! 手首が切られているのが何よりの証拠だろ! 見せてもらったよ。すっぱりと手首から先が無くなってた。仮に自殺だとしても、自殺ならそこまでする必要がねえ。手首切って首まで吊るなんて、なんでそんな無茶苦茶な自殺をする必要がある。ねえだろ! 自殺であるわけがねえんだよ!」
全くもって同意だ。誰しもがこれは自殺ではないと考えるのが当然だろう。
だが事件は解決に至らず風化し、自殺ではないかという曖昧な形で無理矢理幕を下ろされた。警察としてはそれで片がついても、残された者はそうはいかない。
死はただの終わりではない。武市君の死は、豊さんにとって今もまだ終わらない報われぬ苦しみとして残り続けている。御神さんが憤慨して当然だ。これは、私達の罪でもあるのだ。
「俺からすれば、あいつらの死は神からの贈り物みたいなもんだよ」
「贈り物、ですか」
「神様が昌彦を殺したであろう人間に罰を下してくれてるんだよ。つまり死んだ三人ってのは、昌彦を殺した理由を持ってる人間なんだよ。だから神様には感謝だよ。はたまたどっかの誰かが代わりに復讐してくれてんなら、俺はそいつに感謝だよ!」
武市君を殺した理由を持つ人間。
あの三人は武市君をおそらくイジメていた。でもそれだけじゃない。自殺に追い込んだ、いや自殺に見せかけて殺したのが、この三人の内の誰かだという事か? だとすれば三人を殺したのはやはり、武市君の復讐もしく代行復讐という事になるのか?
「本当に、それでいいのでしょうか?」
御神さんがぽつりとつぶやいた。
「何だと?」
「本当に、感謝していいのでしょうか」
御神さんの声は静かだったが強いものだった。
「あなたにとっては、確かに好都合な出来事でしょう。我々警察がもっと早い段階で真実を突き止めていれば、昌彦君が死ぬこともなかった。これは警察の罪でもあると私は思っています。そしてその罪のせいで、また人が死んでいます」
「何が言いたい? あんな奴らでも生きる価値はあるとでも言うつもりか?」
「そんな陳腐な事を口にするつもりはありません。ですが、あなたの話を聞いていかに昌彦君が強く真っ直ぐな子供だったかを知る事が出来ました。そんな彼は、この状況をどう思うでしょうか」
「あいつにとっても無念が晴らせていいんじゃねえか」
「それはあなたの意見です。あなたの気持ちです。昌彦君は同じでしょうか? 生きている間に昌彦君が、復讐や憎悪と言った気持ちを口にした事はありましたか?」
「それは……」
「神山君の死に対して、彼は相当混乱したはずです。訳が分からない。でも自分が殺してしまったのかもしれない。押しつぶされるような毎日だったはずです。それはあなたが一番よく知っているはずです。あなたは言いました。引きこもる事を選んでも、死は選ばなかったと。そして彼はまた立ち上がり、生きて前を向こうとした。もう大丈夫だよと。彼の本心を知る事は出来ません。ですが、あなたの話から聞く昌彦君は、不器用ながら真っ直ぐな子供です。人を殺してしまったかもしれないという重責を、簡単に死で終わらせるような子供達では、おそらくなかったはずです。そんな子が、人の死を本当に望むでしょうか?」
私達は生きた昌彦君を知らない。でも、御神さんは僅かな情報から私達の頭の中に昌彦を蘇らせた。想像の範疇でしかない。でも、御神さんの言葉から紡がれる昌彦君の実像は、彼の言う通り真っ直ぐな子供だった。
「私は警察にあって警察にない存在です。常識になど囚われない。この世で起きうる可能性全てを考慮して全力で事件に臨みます。あなたが抱えた武市君の死についての疑念は、私も等しく感じているものです。真実が必ずしも誰かを救うものではありません。ですが、真実を知る事でしか進めない事もまた事実です。今更ながらではありますが、昌彦君の死の真実を解き明かす事が、全てを解き明かす事に繋がると私は思っています。死んだ昌彦君は還ってきません。ですが、彼の死を利用して人を殺しているかもしれない何かがいる。それを私は許すわけにはいきません」
豊さんは真っ直ぐな目で静かに御神さんの言葉を聞いていた。しばらくは無言の時間が続いた。
「……そう言われると、確かに喜べねえな」
ふっと、豊さんの空気が和らいだ。
「頼んだよ、今度こそ。あー久々に人と話したら疲れた。俺は寝るよ」
豊さんはその場から立ち上がり背を向けた。
「そういえば、あいつの事は調べたのか?」
「あいつ?」
「ミハラエイジだよ」
ミハラ、エイジ? 初めて聞く名前だった。
「昌彦をイジメてたガキの一人だよ」
あまりに唐突だった。私と御神さんは思わず顔を見合わせた。
「まだ生きてるんだとしたら、次に死ぬのはそいつかもしれんぞ」
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