跡目は瓶詰め薄荷飴

佳原雪

白樺の枝は群れを成す

ヴィユノクはっている。ロボットにもおやがいて、自分じぶんおやとは親愛しんあいなるベリオザそのひとであると。

まれたときからそこにいて、のようにあつかった。仕草しぐさ真似まねすれば、そのたびちがいはあきらかになった。試行しこうてにベリオザと自分じぶん単純たんじゅんかがみわせでないといたとき、ヴィユノクは自我じがれた。初等しょとう教育きょういく中頃なかごろのことであった。


わりでもなくはじまりでもない。またおなあさる。時間じかんどおあらわれたベリオザが、あなたのまれたになったとげた。自分じぶん自分じぶんであると定義ていぎづけられ、そこに実体じったいともなった記念きねんかえしやってくる節目ふしめがまたひとかさなって、しかし、ただ、それだけだ。

「これをもって中等ちゅうとう教育きょういく満了まんりょうする。これからあなたは、困難こんなん出会であうこともあるだろう。いままで見聞みききしたこと、あたらしくること、その両方りょうほうやし、ことたっていくべし。以上いじょう

おごそかな祝福しゆくふくうなずけば、あとにつづ言葉ことばはない。



目指めざさき不死ふし永遠えいえんほろびず、衰退すいたい否定ひていする。それらがわたしたちのまれる理由りゆう

区別くべつのつきはじめたベリオザが一人ひとりう。目覚めざめの挨拶あいさつ食事しょくじ歓談かんだん。ヴィユノクは日々ひびかれおとずれるのをつ。かおおなおとこ時間じかんごとにやってくる。ただ一人ひとりあらわれては食事しょくじをする。しかめつらをした親愛しんあいなるベリオザがここにくちひらたび、ヴィユノクのつめたい心臓しんぞうふるえた。


いだいた慕情ぼじょうはくすぶるままで、始末しまつをつけようといったのはだれだったか。れたようなつきはヴィユノクをそこなおうとした。機械きかい身体からだ相手あいて狼藉ろうぜき完遂かんすいならず、それが三度さんどつづいたのちにヴィユノクは失望しつぼうた。円熟えんじゅく見込みこめぬ生殖せいしょくのうと、れることのないからだべることさえできたならなやまずにすんだとかされ、ヴィユノクがどうおもったかなどうまでもない。



親愛しんあいよりもいろ愛情あいじょうがあるのだという。おそろしくもこころよいのだというそれをにしたいとねがっている。べることもねむることもできないヴィユノクへ、たっといことだとベリオザはう。あなたには価値かちがあるとおしえてくれる。ることができるようはかららってくれる。ヴィユノクはうことのない凹凸おうとつ夢想むそうした。平坦へいたんはらまじわりを否定ひていする。さらつベリオザならばかなしまずいられるのだろう。それはうらやましくもあり、無上むじょうよろこびでもある。十全じゅうぜんであるのはわたしたちにせられた命題めいだいで、さきんじるベリオザはかなってえた。


◆◆◆◆


ヴィユノクは機械きかいで、ひとしている。まずべずねむらないが、はなかんが記録きろくする。せまひたいまるはベリオザに何人なんにんといるきょうだいをおもわせた。温度おんどもないタイルゆかうえでの、おはようおやすみこんにちは。それがらしのすべてだった。


れておぼえておもす。三度さんどにすればそれはもう自分じぶんのものだ。そうやってたくさんのことをおぼえ、ヴィユノクへとあたえた。この陰気いんき部屋へやはなす、く、たしかめる。それにくわえて『べる』ことが、ひとをもつベリオザのてだった。

閲覧えつらんがための摂食せっしょくなど、いぬにでもやらせたらいい。必要ひつようがあるのはヴィユノクのほうだ。興味きょうみぶかけられる視線しせんいとわしい。憤懣ふんまんやるかたない。頻度ひんどといには『毎日まいにち、それを三度さんどずつ』とこたえる。したを、を、かわくことない粘膜ねんまくを、無遠慮ぶえんりょはじっとのぞく。強要きょうようされる脱衣だついよりか屈辱くつじょくてきだ。いのちよ、いみじき命令めいれいよ。いまここでゆかしたわせて慈悲じひえたら、わたしはやくりられるのだろう。わたしとよくきょうだいのように。



ひとそなわる様々さまざま機械きかいのヴィユノクはない。それは欠陥けっかんじみた利点りてんであった。もののわたしたちでは『機械きかいでいる』ことがわからない。かれにはわたしたちがわからない。自分じぶんのことをり、管理かんりしろ、とう。おおくのわたしたちにはあなたのことがわからないとふくめる。べることからはのがれられないとおしえてやる。人間にんげんたち自分じぶんのことで一杯いっぱいだといって、ベリオザはほそめる。それが役割やくわりだからだ。機械きかいひととのちがいをって、あらたにひとろうとしている。それゆえさじにぎってせきにつく。はだかかれるほうがマシだ。視線しせんうのが気持きもわるい。にく線維せんいしたうえ千切ちぎられていく感触かんしょくと、した穀物こくもつのむっとするようなにおい。一日いちにち三回さんかいしゅう二十一にじゅういちきざんだカウントもななころやくのがれたきょうだいたちがにくかった。慈悲じひ恩赦おんしゃうえきょうだいが、まぶたうらからわらうようだった。



あわいろがベリオザとぶ。自分じぶんのことを。自分じぶんだけのことを。高等こうとう教育きょうき中程なかほどの、あさのことだった。ヴィユノクはこちらをいて、親愛しんあいなるベリオザとんだ。かずいるきょうだいと自分じぶんとをわけたようなかたは、けしてわるいものでなかった。


またあさる。節目ふしめからのベリオザはつねべているようだとわれ、食事しょくじはそこで中断ちゅうだんされた。よごれたしたれたさじいかりと沈黙ちんもくひろがったかゆからのぼ生命せいめいのにおい。そうして、『頻度ひんどたかいことならば時間じかんをまとめられないか』とたずねたあわれなヴィユノクへは黙殺もくさつが、ベリオザには数日すうじつ謹慎きんしんあたえられた。



けた再会さいかいあさにもさらかえり、ベリオザは孤独こどく思考しこうつね最良さいりょう結果けっかをもたらすわけではないことをしめした。やけどをしないはだ更衣こういようなき装甲そうこううらめしかった。ベリオザはきょうだいのすべてがきらいだ。くさらない身体からだひとのようにうヴィユノクは、人造ハンドメイドで、人型ヒューマノイドで、薄荷はっかあめいろをした、ベリオザからひとしたのきょうだいだった。


よくかおよごかゆが、湯気ゆげとも臭気しゅうきく。さじくちれれば、かわいた舌下ぜっかへはあつらえたようにおさまった。抵抗ていこうかえらず、叱責しっせきひとつもばないのは所詮しょせんそれらがまやかしだからだ。ツラ一枚いちまいがせばしたにはなにもない機械きかいからだ。したくない食事しょくじをせず、ねむりをもまぬがれる。かずいるきょうだいのだれよりあとつくられた、一番いちばん優秀ゆうしゅうすえおとうと


たったひとつあとまれただけで、特権とっけんじみたせいをなぞるヴィユノクはらたしい。苛立いらだちにむねうずく。自分じぶがヴィユノクであればいとおもった。自分じぶんよりよほど立派りっぱ役目やくめたしえるヴィユノクがにくくてたまらない。両肩りょうかたつかむと、れたかみから悪臭あくしゅうがした。おもわせぶりにつむったヴィユノクへ苛立いらだまぎれにみずかぶせ、ベリオザはろくにぬぐいもせず部屋へやへときずっていった。



私室ししつ寝床ねどこ鉄板てっぱんる。ほうった上着うわぎにヴィユノクをかせたベリオザは、しなに『そこにだれもいないならひとつくちづけをけてくれ』とたのまれた。理由りゆうけば単純たんじゅんなことだ。機械きかいこころ欲望よくぼうすることをたとえる。ベリオザはかおちかづけてやった。ひとつふたつととされて、あとなにかがつづくことはない。かたかしをらったような気持きもちで『なにもしないのか』とたずねる。途切とぎれてかえされた回答かいとうで、ベリオザはかずいるきょうだいの悪行あっこうった。それが中断ちゅうだんされたことによるヴィユノクの失望しつぼうをも。


開花かいかつような期待きたいがヴィユノクのなかにある。ベリオザはまどった。きょうだいの狼藉ろうぜき退しりぞけたことがにわかにしんじがたかった。わたしが相手あいてではなにもできないでしょう、といったヴィユノクの表情ひょうじょうに、あきらめてほうしたであろうきょうだいたちのかげた。ベリオザは様々さまざまおもいをめぐらせ、『わたしが相手あいてつとめるとったら?』とたずねた。喜色きしょくにじんだのも一瞬いっしゅんのことで、諦念ていねんさえにじこえはそれがありないことだと物語ものがたる。『わたしがあなたをさえつけたとして、あなたは自分じぶんなにこらないのだとおもっている』。きつけるようにえば、『ちがわないはずだ』とかえった。



ベリオザはかた寝台しんだいへとげた。狭窄きょうさくした部分ぶぶんもぐんでヴィユノクのひざやすねへとうで沿わせる。足先あしさきれるれてつめたい。あま手足てあしきつけて心地ここち場所ばしょさぐる。せま部屋へやなかるヴィユノクは普段ふだんちがってえた。子犬こいぬのようにかさなって、天地てんちさかい曖昧あいまいになる。えりのごろつくならし、くびからまった脚部きゃくぶあたまあずけてふと、かかえているおとこくつぐことはないのだとづき、あわれにおもった。


そでくようもとめられ、承諾しょうだくする。痴態ちたいさらすようないだって今更いまさらだ。丁寧ていねいたのまれるのは気分きぶんかった。れてもいかとたずねられて、ベリオザはうなずく。あたまのてっぺんから爪先つまさきまでをたしかめるヴィユノクが乳首ちくび存在そんざいいぶかしむので、ベリオザは『深海魚しんかいぎょにものこるし、わたしにもへそがある』とこたえた。はなしているあいだ検分けんぶんあしおよび、ひらひざかかとももあいだへとまわる。ものしの感触かんしょく機械きかいであるヴィユノクへ『自分じぶんおなじだ』とわせた。



結露けつろしたみずつぶあせおもわせる。はだいまやうっすらとれていて、おなじだとったヴィユノクの言葉ことばさえ本物ほんものだと錯覚さっかくしそうになる。ぐるぐると手足てあしからませれば、生得せいとくてき快感かいかん脇腹わきばらめる。たのしみとうにはほどとおく、しかしわる気分きぶんではなかった。ひろがってつぶれているヴィユノクが、自分じぶのどがあればとつぶやいたので、ベリオザはいや気持きもちがするとともに、ヴィユノクが自分じぶんけるまなざしのわけをさとった。あれほどつよくあったにくしみはうすれて、いままえのヴィユノクがただあわれにおもえた。


ヴィユノクがほっするくだ開口かいこうは、本来ほんらいのどがわではない。結実けつじつのないもとめられるのは狭窄きょうさくしているという特性とくせいだけだ。のどはあなたをすくわないとえば、ヴィユノクがあんじたのはベリオザのことだった。あっけにとられたベリオザはわらい、十分じゅうぶんだとってがった。きょうだいがあきらめたのは、ヴィユノク当人とうにんにもなしえないことだ。それをベリオザは完遂かんすいした。ヴィユノクはすべてにおいてうえくわけではない。ベリオザが一人ひとりである自分じぶん完成品かんせいひんたりない。ならば、それで十分じゅうぶんだろうとおもった。



みずみた上着うわぎをヴィユノクにゆずり、かず部屋へやる。今度こんどのことは謹慎きんしんではまないだろう。まどのない廊下ろうかあるく。自分じぶんも、恩赦おんしゃきょうだいやヴィユノクのように、べずねむらずつかれないようになるのだろうか。のぞみがかなうとい。ベリオザはねがい、とびらこうがわへとった。



またあさる。かれらに夜明よあけがたかどうかはさだかではない。



(おわり)

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跡目は瓶詰め薄荷飴 佳原雪 @setsu_yosihara

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