第五章「ラバウル伽藍空戦録」③

 その海は、鉄底海峡――アイアンボトム・サウンドと呼ばれている。

 “大佐”がそう名付けたのだ。

「あそこは難所だった。この世の地獄のようだった」

 “大佐”は何度もそう繰り返した。

 なぜ日本海軍のほとんどの人間が場所すら知らぬその海域について“大佐”がそれほど詳しかったのか、後年になっても神谷は理解できなかったが、真国側が名付けたその呼称が後に米国側でも用いられるようになったほど、実感に富んだ言葉であったことは事実である。

 鉄底海峡とは、ガダルカナル島とその対岸にあるフロリダ諸島・サボ島の中間の海域を指す。

 ガダルカナルの飛行場を射程距離に収めるためには、どうしてもこの海域の制空権・制海権を握らねばならぬ。

 それ故に日夜真国と米国の航空機と艦船がこの海に飲み込まれては、消えて行った。

 水底が鋼鉄で舗装された海域――アイアンボトム・サウンド。

 ガダルカナルを巡る光芒が始まってより、この海は無数の人の死を呑み込み続けてきた。

 が、その海は限りなく青く、深い。

 人の生き死になどは、大自然の前にあっては意味などをもたないのかもしれぬ。

 そこに意味を持たせるのは常に人間なのだ。


 *


 何度目かになるソロモン沖での海戦は、スコールから始まった。

 熱帯のスコールは、内地で想像する土砂降りのようなものではない。

 空そのものが崩壊して、質量を持った水の塊ともいうべき雨粒が、機関銃のごとく天から降り注ぐのである。

 航空機の発進など考えられるものではなく、索敵もままならぬまま、飛行場を目指す真国艦隊はその速力を落とさざるを得なかった。

 月齢はほとんど新月に近い闇夜である。

 世界は雨に包まれ、漆黒の闇の中、鋼鉄の船体を叩く音だけが聞こえている。

 米艦隊がすでに進出していることは、先行して飛行場を叩きに行ったラバウル各飛行隊の報告から、明白である。

 が、それは巡洋艦と駆逐艦によるものであったから、やはりハワイ攻撃以来の成果が大きく効いていて、米大型艦の進出はないものと考えられた。

 ゆえに、戦艦〈比叡〉〈霧島〉は対地攻撃を想定した三式弾を装備しており、対艦戦闘を想定した状況にはなかったのである。

 そこに、闇の中から突如として米艦隊が現れた。

 距離2000メートル強――。

 陸上では果てしない距離だが、海上にあっては目と鼻の先である。

 敵艦を発見した駆逐艦〈夕立〉は敵艦との衝突を回避するために必死であった。

 戦艦〈比叡〉がサーチライトを放ち、闇夜とスコールの中で猛烈な砲撃戦が始まった。

 空母はこの状況では単なる置物に過ぎぬ。

 これぞ海戦の本領と、巡洋艦・駆逐艦が砲と魚雷とを闇の中へと放つ。〈比叡〉〈霧島〉も、対地攻撃用の砲弾を雨あられと浴びせかける。

 後の記録では――。

 米側のレーダーもスコールでそのほとんどの機能を発揮できておらず、真国側の戦力を計りかね、艦隊の隊列も統一されていないまま、砲撃戦に突入することとなったとされている。

 こうなると勝敗を決するのは戦術や兵器の性能以上に、兵士たちの訓練であり、勇気である。

 その点においては両軍ともに劣るところはなかった。

 あるいはそれこそが戦争というものの滑稽さであったかもしれない。

 破壊のための破壊、殺戮のための殺戮、だがそれはあまりにも人間的であり、芸術的なものであった。

 数十億という人を地球の上で生かせるようになった科学の精華、レーダー、酸素魚雷、三式弾、そうしたものが、ただ人を殺し、アイアンボトム・サウンドを屑鉄で埋め尽くすためにだけ用いられるのだ。

 サーチライトを放った〈比叡〉には、米艦の集中砲撃が飛んだ。

 が、これこそが真国側の狙いであった。

 神谷の伽藍人形である。

 伽藍人形の力場を巨大な楯として用いることで、殺到する砲撃を受け止めることができたのである。

 夜戦において強力なサーチライトを放つ旗艦が集中砲撃を受けることはこれまでの戦いでわかっていた。それを囮にしようという奇策である。

 これが勝敗を分ける形となった。

 〈比叡〉はさしたる損害を受けることなくよく敵艦隊を照らし出し、〈霧島〉以下の各艦の砲撃と雷撃は的確に米艦隊を撃破した。

 結果、駆逐艦〈暁〉沈没、〈夕立〉〈天津風〉〈雷〉大破という損害を受け、百名を超える死者を出しはしたものの、米側は重巡のすべてを失い、撤退を余儀なくされた。

 そして朝、再編された真国艦隊がいよいよ空海からの飛行場攻撃を開始しようとした時――。

 偵察機が、東方より迫る敵艦隊を発見したのである。

 


 *

 

「敵空母は〈エンタープライズ〉と見ゆ」

 それが強行偵察機からの電文だった。

 ハワイ以来、幾度となく真国に煮え湯を飲ませていた艦である。それだけではない。未確認の新型戦艦が数隻、随伴していることも明らかになった。

 その〈エンタープライズ〉が出てきたということは、緒戦で空母と戦艦を撃沈したという報告が、単なる希望的観測の産物であったことを表わしている。

 勝って当然である。

 部下たちの報告を信じてやりたい。

 善意とおごりとが入り交じって、戦力判断を狂わせるのである。

 が、夜戦で撃退した以上の艦隊がアイアンボトム・サウンドに現れたことは現実であった。

 全戦力を敵艦隊に向けるか、あくまで飛行場攻撃を優先すべきか。

 結果として、真国の選択はその両者の達成を伽藍人形に託す形となった。

 すなわち、決戦兵器である神谷新八郎の伽藍人形と、ラバウルから発した航空隊、軽空母〈龍驤〉〈瑞鳳〉の航空隊による第一次攻撃によって飛行場戦力を制圧、主力戦艦および正規空母二隻の航空隊で〈エンタープライズ〉を撃滅するという策である。

 制空権を確保し、飛行場の敵戦力を駆逐した後に、後方から続く陸軍の強襲揚陸艦と大発が座礁覚悟でガダルカナルに吶喊し、上陸して飛行場を制圧しようというのだ。

 二正面作戦の愚は承知していたが、ここでガダルカナルを落とせねば、陸軍への補給機会は永遠に失われる。

 故に、伽藍人形の戦力を信じて、ガダルカナルに送り込む他はない。

 戦艦〈比叡〉〈霧島〉の砲戦火力に匹敵するものが、神谷だと認められたのである。

「さすがに無茶ではありませんか」

 整備員たちの何人かは色めき立った。

 “大佐”から派遣されてきた者たちである。“大佐”式の合理主義を叩き込まれた男たちであった。そう考えるのも無理はない。

 昨夜の戦いで、〈比叡〉に殺到した砲撃を受け止め続けた神谷は一睡もしていない。

 いかに無敵の力場とはいえ、巨艦を沈めうる砲撃の雨を浴びたのである。

 衝撃で機体内部のフレームは歪み、電装品も破壊されていた。

「無茶だ」

 神谷はそれでも微笑んで見せた。

 苦しい時でもニヤリと笑うのが男だ、というのが“大佐”の教えであり、なるほどそれは武士道だ、と神谷はつくづくと思うところであった。

「だが、それでもやるしかない。やるしかないのだ」

「しかし」

「貴様らの判断は正しい。が、正しさという勘定の問題で、祖国への愛は語れぬ。私の判断が、数学的に見て愚かなのはわかっていることだ。だが、愛とは愚かなものではないか。愛とは打算を求めぬものではないか。少なくとも私はそう思っている。そして、それが伽藍人形を動かすものだ」

 強壮剤を打ちながら、神谷はそう説いた。

「私は誰かに強要されているのではない。やらねばならないと思っていることをやっているだけだ。それは後世の歴史家に愚かだと判断されるかもしれん。犬死にになるかもしれん。だが、『葉隠』にもある。武士道は死ぬことと見つけたり、だ。生の意味は生き残った人間が考えてくれればいい!」

 それは本音だった。

 掛け値なしに神谷の自由意志だった。

 何度生まれ変わり、何度神仏の導きを受けてこの選択肢をやり直せると言われても、神谷は自分の命を捨てると言うだろう。

 それを戦争という時代の産んだ悲劇、プロパガンダによる洗脳が産んだものだというのはたやすい。

 が、そうした人間の愛というものが確かに存在することを見落としてしまうから、インテリは世界を統御できないのだ、とも言える。

 人を動かしているのは、常にそうした打算で割り切れぬ愛なのだから。

 だから、神谷の伽藍人形は空に舞い上がることができるのである。

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