第五章「ラバウル伽藍空戦録」①

 が、時代はそうは進んでいない。

 ミッドウェーでの勝利は、真国を狂奔させた。

 あらゆる戦線が拡大し、活動写真も小説も愛国一色になった。

 言論統制などというものではない。

 もちろんそれはあったし、戦前から軍による新聞や小説へのプロパガンダは行われていたのだが、もはや、時代の空気が“愛国”と“戦争”以外のものを許さなくなったのである。

 見回せば、誰もが家族をこの戦争で失っていた。

 それに見合う戦果を、領土を、賠償金を求めていた。

 それが単なる講和で済むだろうか。

 それで死者の魂が慰められるだろうか。

 死者は答えない。

 ただ生者だけが血に飢えて、叫ぶ!

「米英を討て!」

「大東亜に真国の旗を翻させよ!」

「挙国一致の戦争に協力せぬものは国賊である! 平和を叫ぶものは、英霊に報いようとせぬ不忠・不孝の輩である!」

「不謹慎な表現は自粛するべきだ! 愛や恋、ありもせぬ世界について語るような作品は、焼いてしまえ!」

「青少年に愛国の念を抱かせぬ作品など、必要ないのである!」

 そういう勇ましいことを叫ぶのはいつでも、前線の兵ではなく、それを代弁したつもりになる、大人たちだ。

 彼らには塹壕の泥、熱帯のスコールの中で、慰問袋に入った漫画の本を回し読みする兵士たちの気持ちなどは、わからない。戦友が女装をして演じる芝居に涙する気持ちなど、わかろうはずもない。知ったところで、軟弱だ、と怒ってみせるだけのことである。

 それが勝利によって真国が得たものである。


 *


 神谷はラバウルの夜空を見上げていた。

 他に、することもない。

 士官用の料亭も作られていて、そこに遊びに行けば酒もあれば芸者もあるのだが、そういうところに顔を出したいとは思わなかった。

 が、悪所に繰り込む同輩たちを責めようとも思わぬ。

 彼らとて、明日をも知れぬ身である。

 その不安を酒や白粉の匂いでごまかしたくはなろう。

 無論、将軍たちまでがそうしているのは、何か違うのではないか、という思いもなくはない。

 いずれにせよ、死の恐怖は戦場にいる限り、いつでも染みこんでくるもので、忘れようとすることしかできない。

 神谷の場合、それは星を見ることだった。

 ラバウルで見上げる星空は、帝都のそれとは違う。

 南十字星の輝きは鮮やかで、魂までもが吸い込まれていくかのようだ。

(いつか、自分たちの子供はあそこへ行くのだろうか?)

 成層圏すら我が物にしたのだから、やがては宇宙へと旅立つことも夢ではない、と活動写真は語る。

 が、そうなれば、あの世界すら人は殺し合いの舞台とするのかもしれない。誰のものでもない星空さえも……。

(そこで戦うのも、伽藍人形なのかもしれん)

 それは許されることではないだろう、と思う新八郎と、真国の旗が月に、火星にはためいて欲しいと考える新八郎は同時に存在する。

 もうすぐ産まれてくる自分の子供には、真国の旗に恥じぬ勇気ある者であってほしいと願うのだ。

 そのような空想は、兵士にこそ許されるべきものであろう。


 *


 本来、ミッドウェーの勝利後は、真国軍はオーストラリアのさらに東、珊瑚海の果てにあるフィジーやニューカレドニアなどの諸島を攻略し、完全にオーストラリアを孤立させる作戦であった。

 が、現実に伸びきった補給線はそのような余力を残しておらず、真国が制圧できたのはオーストラリアの北東にあるソロモン諸島までである。

 無論、これらの島々は真国のものでもなければ、オーストラリア人のものでも米人のものでもない。

 現地に何千年と住んできた人々のものである。

 それを踏みにじり、戦火に巻き込んでいくのが、真国の義戦の正体であり、米英の掲げる自由のための戦争というものであった。

 ともあれ――。

 あえてともあれ、と書くしかない――。

 共通歴1942年には真国軍はガダルカナル島全域を制圧。突貫工事でホニアラの地に飛行場を作り上げる。

 この地を根拠地としてオーストラリア方面に睨みを利かせ、ゆくゆくは補給路を確保してフィジー・ニューカレドニア方面に進出し、南太平洋の制海権を確固なものにしよう、というのである。

 が――

 真国本土から六千㎞以上離れたこの地がどのような場所であるのか、理解しているものは真国軍にはほとんどいなかった。

 ガダルカナル島の大きさも、そこまでの距離も想像できるものではなかった。いやそもそも南太平洋の専門家と呼べる人々があまりにも不足していた。“南洋”と呼んでひとくくりにし、“土人”“蛮人”の棲まう土地で、真国軍がゆけば諸手を挙げて歓迎すると楽観的に考えている者ばかりであった。

 陸軍はガダルカナルなどという“島”の護りは海軍が責を負うものだと考えていて、ようやくに見えてきた大陸での戦勝に熱中していたし、海軍は海軍でガダルカナルという巨大な“陸地”を守るのは陸軍の仕事で、米軍の空母を珊瑚海方面から撃滅すればそれでよし、と考えていた。

 ガダルカナル島に作られた飛行場をどう守るか、という合意はなされていなかったのである。

 ただ、「誰かがやるだろう」という安易な考えがあった。

 驚くようなことではない。

 負け戦ならともかく、勝ち戦である。

 誰もが勝利の後に自分がどのようなポストにつくのかを考えていた。そうなれば、面倒事を背負い込み、対立する派閥から失点を攻撃されたいとは思わない。

 自分が責任を取らずにすむ立場に座り、他人の責任を追及する好機を狙う大人の姿だ。

 だからこそ、共通歴1943年の春を迎えようとするその時期に、フィジー方面を基地化し、補給拠点を蓄えた米艦隊が大規模な反撃に出た時、真国軍は適切な反撃を行えなかったのである。

 そしてその責任が陸海軍いずれにあるのか、現在でも歴史家の間で結論を見ていないのが、現実なのだ。

 が、現実として米軍が真国軍の抵抗を粉砕して、ガダルカナルの飛行場を制圧したのは事実であった。


 *


 ガダルカナルから神谷のいるラバウルまでは1000㎞以上離れている。零戦の巡航速度なら片道2時間程度、神谷の伽藍人形の全速をもってしても、小一時間はかかる。

 すなわち、ラバウルからの航空支援を適切に行うことはできない、ということだ。

 が、ラバウルとガダルカナルの間の小さな島々に補給用の飛行場を作るというプランは立案されていても、実行に移されることはなかった。

 輸送船の不足が原因である。

 海軍の輸送力の大半は、民間から徴用している船舶に多くを依っていた。

 が、それは短期決戦に勝利すれば民間に返還する筋のものである。故に、現在のものを返還してしまえば、戦線を維持することはできなくなる。が、これ以上民間から徴用すれば、今度は後方の経済が維持できなくなる。戦争開始前から、真国本土は海外植民地からの食糧と燃料がなければ生きられない国であるのだから。

 故に、輸送力そのものは現状維持が精一杯で、これ以上細かい基地を増やすようなことはできない、という計算になる。

 なる、と言われても神谷たちは困惑し、怒るばかりだ。

 往復4時間、という距離は、ただ事ではない。

 飛行機を飛ばすという行為そのものは集中力を要する。

 座っていれば飛行機がひとりでに飛んで目的地に着くようなことはない。絶えず自分の位置を観測し、列機を見張り、高度を確認し、舵を操りながら風に乗って飛ぶのである。

 その上で、ガダルカナルの上空で空戦をやる。

 燃料の都合で、戦えるのはせいぜい30分。

 たった30分の間、敵機を追い払ってやることしかできない。足の遅い爆撃隊の援護ならさらに燃料は乏しく、15分。

 あとは地上でどれだけ友軍が撃たれていようと焼かれていようと、ラバウルに戻るしかない。

 それも空戦で疲労困憊した体でである。

 ガダルカナルで必死の防衛戦闘を続け、飛行場奪回を願う陸軍の兵たちを眼下に見ながら、たった30分を戦うことしか、ラバウルの飛行士たちにはできなかった。

 無論、神谷は違う。

 彼の伽藍人形ならば、敵飛行場に単身降下し、味方部隊が再度飛行場を制圧するまでの間橋頭堡として戦い続けることができる。

 幾度も神谷はそのように具申したが、彼はあくまでラバウルに留め置かれ、零戦部隊の直衛を求められた。

 そのような戦い方は伽藍人形の性能をムダにすることだ、と神谷はいつになく猛烈に抗議もしたが、軍という組織の中で届くものではない。

(“大佐”がここにいてくれれば)

 未だ名を明かさぬあの男なら、旧態依然たる将軍たちを一喝し、政治力の魔法を使って神谷をガダルカナルに吶喊させてくれたことだろう。

 だが皮肉にも、ミッドウェーの勝利は、神谷と“大佐”を引き離す結果となった。

 伽藍人形の戦略的価値は疑うべくもなく、“大佐”は伽藍人形の量産と、その大規模な編制のために、帝都と大陸とを飛び回っていたからである。

 故に神谷はラバウル方面司令部直轄の兵として運用されることとなった。

 結果、海軍が機動部隊を用いて本格的な飛行場奪回作戦に乗り出すまでは、いまだガダルカナルで抵抗を続けている陸軍の上空支援のみを行うよう、厳命されたのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る