第四章「ミッドウェイ波高し」④

 神谷と龍造寺を待ち受けていたのは、文字通りの弾雨だった。

 ふたりの伽藍人形の侵入コースを待ち受ける形で、上方から米戦闘機が殺到してきたのである。

 それだけではない。空母の周囲には死角なく輪形に米駆逐艦・巡洋艦が配置されており、味方に当たるのも構わずに対空砲を打ち上げてくる。

(電探の差がこれほどとは!)

 米側はコーヒーでも飲みながら、真国の侵入を待ち受けていたことになる。

 こちらのアプローチコースを認識してから、悠々とそれ以上の高度に戦闘機を配置し、待ち伏せをかければよいのだ。

 無論――

 実際には米艦隊は米艦隊で真国の戦力を掴むことができず、試作段階のレーダーを必死に動かして、どうにか神谷たちを待ち受けることに成功したのであって、むしろ投機が当たったにすぎないのだが、そんなことがわかるのは、戦争が終わって歴史家たちが証言だの記録だのを埃の被った記録から持ち出してからのことで、前線にいる彼らにはいささかも関わりがない。

「神谷少尉! 空母を!」

「龍造寺!」

「自分はこういうのが性にあっとりもす! 装甲で持たせるのは、戦車兵のお家芸であります!」

 龍造寺機が上昇をかけた。

 戦闘機隊を迎え撃とうというのだ。

「助かる!」

 神谷はそれだけを言って、加速をかけた。

 後ろは振り返らない。

 振り返れば、龍造寺の気持ちを無視することになる。

(千鳥ヶ淵でまた会おう)

 戦闘機乗りは桜に似ている。

 美しく咲き誇って、後は散るだけだ。

 龍造寺という桜は、このミッドウェーの空に咲きどころを得た。

 泣くな。

 泣いてはならぬ。

 喜ばねばならぬ。

 それが国を愛するということだ。

 国に身を捧げるということだ。

 たとえ、九州の地に、彼の帰りを待つ家族が、美しい田畑があろうとも、負けてしまえば、それらはすべて失われるのだから。

 信じろ。

 我々の死には意味があるのだと信じろ。

(信じなければ――伽藍は応えてはくれぬのだから!)

 血涙を流し、歯が砕けるほどの加速に耐えながら、ただひたすら、神谷の伽藍人形が飛ぶ。

 ただ一機の人型兵器を目がけて、艦砲が打ち上げられる。

 それはあたかも、瀑布が逆流したかのような光景だ。

 光の、雨!

 すべてを避けきることはもとよりできない。

 力場で弾いても見せるが、衝撃が伽藍人形を、揺らす!

(敵空母は、二隻! 帝都をやった奴らか!)

 すなわち〈エンタープライズ〉と〈ホーネット〉である。

 二隻は無理でも、最低限一隻は叩く。

 それが神谷の決意だった。

「うおおおおおおおお!」 

 獅子吼とともに、〈ホーネット〉の飛行甲板に伽藍人形が着地する。

 その衝撃で装甲の半分が吹き飛んだが、構うものではない。

 空母は、それそのものが巨大な城のようなものだ。

「まずは、司令部を潰す!」

 空母甲板上の水兵たちが、携帯型ロケット弾を浴びせかけるのにも構わず、神谷は伽藍人形の後ろ腰に装備した巨大な擲弾筒を取り出す。

 長細い錫杖にも似たそれは、先端部に爆薬を満載しており、これをロケット推進で飛ばす対艦兵器だ。

「南無三!」

 擲弾筒が煙の帯を引いて、空母の艦橋に激突し、炎を上げる。

「指揮系統は潰した! 後は!」

 伽藍人形には大型の爆弾は装備されていない。残りの擲弾筒で甲板に穴を開けることはできるが、そんなもので空母が沈んだりはしない。

 とすれば、水中に潜って船底に穴を開けるか、あるいは艦のエンジンそのものを粉砕するか、ということになる。

(艦艇は手を読まれている可能性が高い)

 とすれば、エンジンだ。そのものを破壊してしまえば、いかに空母といえども、ひとたまりもあるまい。

「神谷新八郎、推して参る!」

 神谷は抜刀した。

 長大な人間に数倍する刀が、立ちふさがる水兵たちを両断し、赤い霧を宙に舞わせる。

「天国とかへ行ってくれ!」

 狙うは、艦載機を甲板に上げるためのエレベーターだ。そこから切り進んで、動力炉を粉砕する。

 そう決意した、その時だった。

 猛烈な揺れが来た。

「ッ!?」

 神谷の体が、シートに叩き付けられた。

 力場で相殺できないほどの衝撃が来たのだ、とわかった。

 甲板が吹き飛ばされ、炎が上がる。

(味方か……いや、違う!)

 それは、米艦隊からの砲撃だった。

(馬鹿な)

 〈ホーネット〉を、周囲の駆逐艦や巡洋艦の砲撃が包んでいるのである。

 神谷は衝撃と爆音と猛火の中で、米軍の意図を悟っていた。

 伽藍人形だ。

 米軍は伽藍人形を空母や戦艦に匹敵する兵器と判断し、それを破壊するためであれば、味方艦の損害すら無視してよい、と考えたのだ。

 無論、〈ホーネット〉の乗員の生命も、である。

(このような覚悟が、米人にあるのか)

 神谷は驚嘆した。

 米国人は贅沢に慣れ、個人主義者で、身勝手な人々だ、というプロパガンダは、嘘だ、と知った。

 彼らもまた、真国人がそうであるように、国家のために命を捨てることができる――あるいは、捨てさせられる人々なのだ。

(だとすれば、この戦いはミッドウェーの勝利では終わらぬ)

 彼らは戦うだろう。最後のひとりまで戦うだろう。神谷たちがそうするように、戦うだろう。

 崩壊寸前の機体を、奮い起こす。

 死ぬわけにはいかなかった。

 戦いがまだ続くのなら、伽藍人形の力で、祖国を、家族を守らねばならぬ。

 死ぬのはそれからだ。勝利の栄光を勝ち得てからだ。

 だが。

「!」

 爆撃が来た。

 米海軍の急降下爆撃機が、味方の空母もろともに、神谷の頭上に500㎏爆弾を投下したのだ。

 飛び立てない。

 すでに、〈ホーネット〉には火が回っている。

 弾薬庫に誘爆するか、動力が爆発するか。

 いずれであれ、いかな伽藍人形でも持つまい。

「くっ……!」

 妻の顔が脳裏をよぎった。

 果たせない無数の約束が、後悔となって襲い掛かる。

(違うだろう、神谷新八郎! おまえが奉じるものはただひとつ、真国の日の丸であるだろう!)

 己を叱咤する。

 爆風の中で、必死に機体を保つ。

 最後の一瞬まで、膝を屈しはしない。

 星条旗を掲げたこの船の上で屈するのは、武士の名折れであるからだ。

 最後の一瞬まで、戦わねばならぬ。

 その刹那。

「!!」

 殺到する爆撃機が、爆散した。

 空のグレーと、大地の緑に塗られた海軍の戦闘機隊が、米軍機を両断するかのように粉砕したのだ。

「零戦か!」

 それは、零戦隊の威力であった。

 ようやく、空母部隊を発した攻撃隊が到達したのだ。

(ああ、そうか)

 神谷は、己の不明を恥じた。

 戦っているのは伽藍人形だけではない。

 これは真国のすべてを懸けた戦いだ。航空隊も、空母部隊も、後方の補給部隊に至るまで、全力の戦いを行なっているのだ。

「神谷新八郎、あとは航空隊に任せて離脱する!」

 〈ホーネット〉から満身創痍の伽藍人形を離艦させると、そこに見えたのは、米艦隊に殺到する真国航空隊の勇姿だった。

 後の事は、覚えていない。

 ただ、敵も味方も、ミッドウェーの海に、炎を引いて落ちていく景色が哀しくも美しかったことだけを、覚えている。


 *


 龍造寺は、死んだ。

 骨も残らぬ、見事な最後だったという。

 結果的には、伽藍人形と真国艦隊、双方を潰そうとした米軍の作戦は、失敗に終わった。

 航空隊の戦力が二分されてしまい、真国側の空母は〈赤城〉と〈加賀〉の大破に留まった。

 米側は〈ホーネット〉と参加艦艇の大半を喪失し、〈エンタープライズ〉のみが恐るべき強運と努力に助けられ、折からの海霧をついてハワイへの離脱に成功したが、その〈エンタープライズ〉も主推進機関と飛行甲板に甚大な打撃を受けただけでなく、航空隊と熟練パイロットのほとんどを喪失した。

 真国艦隊はミッドウェーの航空基地を粉砕すると、占領を断念し、撤退する。これは当初からの作戦案通りであった。どのみち、ミッドウェーまでの補給路を維持することはできない。

 この勝利は米艦隊を完全に太平洋から追放するものであり、真国艦隊が本格的にインド洋方面に戦力を向けられるようになることを意味していた。

 見事な――無数の兵士たちの死に見合う勝利であった、と言えるだろう。

 そうでなければ、哀しすぎる。

 

 *


 だが――。

 第三国経由で行なわれていた秘密講和交渉は、驚くべきことに、真国側によって打ち切られる。

「我々は勝っている。これからも勝つだろう」

「それなのに、何故占領地を手放さねばならない」

「我々は大陸を併呑し、南方の植民地を手にいれる。それでこそ真国の王道楽土が産まれる」

「今さら経済制裁を解除させるだけの講和などに何の意味がある。我々は南方を手にいれ、もはや潤沢すぎる資源を手にしているではないか」

 そうした声がにわかに盛り上がったのだ。

 それは将軍たち、兵士たち、市民たち、あらゆる方面からの狂熱の声であった。

 勝っている賭博を途中でやめることは、負けている賭博をやめるよりはるかに難しい。

 まして、ミッドウェーで真国はあまりにも勝ちすぎた。

 伽藍人形と空母部隊があるかぎり、もはや真国に負けはない。

 米国を完全に屈服させる形での終戦以外はありえない。

 そんな声が、映画館を出た神谷を包んでいた。

 それが、共通歴1942年の冬󠄃の、現実であった。

 終わるはずだった戦いは終わらぬまま――。

 あの、ガダルカナルの戦いが幕を開けるのである。

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