第四章「ミッドウェイ波高し」③
払暁を期して、ミッドウェー島を爆撃する攻撃部隊が〈赤城〉〈加賀〉〈飛龍〉〈蒼龍〉〈瑞鶴〉の五隻の空母から飛び立っていく。
神谷と龍造寺はそれをただ見送るだけである。
あらゆる戦闘局面にたった二機の伽藍人形を投入することはできない。ミッドウェーの航空基地を叩くことはあくまで準備段階であって、決戦ではない。
目的はあくまで米艦隊の機能を完全に喪失させ、講和に持ち込むことにある。ハワイ作戦から行なわれてきたすべての戦闘行為は、そこに行き着くためのものでしかない。
何本かのタバコを灰にし、もう何ど読み返したかわからぬゲーテの詩集を読み返す。
兵士の時間のほとんどは、待つことである。
外で何が起きているのか、提督たちがどのような判断をしているのか、今ここがどこであるのか。
そんなことはわからない。
ただ、次の瞬間にも自分たちの頭の上から爆弾が落ちてきて死ぬかもしれぬということを、紫煙に紛らせて忘れようとするのである。
五時間ほどが過ぎて、そろそろタバコの残りが心許なくなってきたころに、“大佐”が駆け込んできたときは、むしろうれしさがあった。少なくとも、こんな狭い部屋で死にたいとは思わない。死ぬなら敵の目を見て死にたいものだ、と思う。
「上がれるか、ふたりとも」
「無論です」
「重巡〈利根〉が敵機を確認した」
「ミッドウェーの攻撃機ですか」
「おそらくはな」
会話はそれだけで十分だった。
伽藍人形の整備はとうに終わっている。“大佐”が登戸から連れてきた技術班がピカピカに磨き上げてくれてすらいる。
ハワイのものとは、少し形が違った。
完全な人型だった機体が、頭部が巨大化し、胴体部分が小型化して、寸詰まりの土偶のような姿に近づいている。肩部分には大型の放熱装置が追加されていた。
ハワイやマレーでの戦訓を反映した〈壱式〉である。
無理に人型そのものを模すことをやめて、操縦士が人型と認識できる範囲で、電子装備や制御装置を必要十分なサイズに大型化することで、神谷以外の操縦士でも飛行を可能とすることを目的として開発されたものだ。現実には、龍造寺と、本土で訓練を受けている数名を除いては適格者は見つからなかったという話だが――。
(女は候補に選ばぬ、家柄が悪いものは選ばぬ、真国に産まれなかった者は選ばぬ……手段を選ばぬと言う割りには、非合理的なものの考え方をしたがるのさ、大本営はな)
“大佐”はそんなことをぼやいていた。
女が戦争をするべきだ、と神谷はまったく思わなかったが、国を愛するということに男女も産まれも民族もないだろう、とは思う。彼の属する真国は、そういう偉大さを持っているはずなのだから。
新型の操縦席は、神谷の体にフィットする仕上がりになっていた。
“専用機”として作り直したらしい。
操縦者ごとに仕上げるワンオフの機体などは、戦闘機として考えればナンセンスだが、伽藍人形で超音速戦闘をやれるのが神谷だけである以上、神谷個人に合せてこしらえるのは理屈が通った考えである。
「神谷」
操縦席のハッチを閉めようとするタイミングで、“大佐”が声をかけた。
珍しいこともあるものである。何かあれば、通信を使うことが多い司令官なのだ。
(盗聴を忌避しているのか?)
敵機が接近しているのなら、あり得ることだった。そうでなくても、軍規の緩みというものもある。
「超音速戦闘はギリギリまで避けろ」
「……なぜです」
「これまでの戦闘データで、超音速飛行後のおまえの疲労が著しいことがわかっている。その隙を突かれて力場が維持できなくなれば、元も子もない。長い戦いになりそうだからな」
「了解です。ですが、次はもっと早く言って下さい。心構えというものがあります」
神谷は苦笑いをした。まあ、“大佐”がこういう人なのはわかっている。どうせ今朝方にでも思いついたのだろう。そういうアイデア・マンである部分は、気まぐれさと表裏一体のものだ。ひとつの考えにこだわる男からは、柔軟な発想は出てこない。
(が、柔軟すぎるんだよな……)
そうも、思う。
「上がります! “大佐”は下がってください!」
「了解だ! 武運を!」
伽藍人形が動き出す。
空へ向かって。
*
米爆撃機部隊は、戦闘機の護衛なしに艦隊に吶喊をかけてきた。
ミッドウェー島から急速離脱して、そのまま艦隊攻撃に向かったということだ。
それはつまり、ミッドウェーに向かった攻撃部隊は滑走路を耕したに過ぎない、ということになる。おそらく島を発した戦闘機隊は全力で攻撃隊を叩いているだろう。
(厳しいことになるな……!)
爆撃機を両断しながら、神谷はそう考えざるを得なかった。
本命の空母部隊はまだ発見されていない。つまり、空母を見つけてからは、こちらは消耗した航空隊で戦わねばならぬ、ということだ。
(珊瑚海での消耗が祟るな)
そういうことになる。
〈翔鶴〉〈瑞鶴〉の航空隊が無傷なら、予備戦力は確保できる。が、こちらにそのような余力はない。戦艦〈大和〉を始めとする主力艦隊はあくまで後詰めだ。
ならばどうするか。
答えはひとつしかない。
「艦隊を守るぞ、龍造寺! この戦いは長くなる!」
「合点だ!」
そうだ。
航空機も搭乗員も弾薬も限りはあるが、愛国心に限りはない。
神谷はひたすら、斬って斬って斬りまくることを選んだ。
それは少なくとも戦術的な正解だった。
ミッドウェーから発した爆撃隊は奮闘したが、護衛機のない爆撃機が伽藍人形と零戦隊に敵するはずもなく、ほとんど有効な打撃を真国艦隊に与えることはできなかった。
が、それは前哨戦に過ぎない。
それは明白であったから、神谷はそのまま上空待機することを選んだ。
想念の力によって重力を振り切る伽藍人形は、操縦士の意志力さえあれば、浮かび続けることができるからだ。燃料が尽きれば海に落ちるしかない零戦とは違うのだ。
*
ミッドウェーを叩いた航空隊が戻って来たのと、偵察機がようやく米艦隊を発見したのは、ほぼ同時期である。
急ごしらえの空母部隊は、大混乱になった。
艦隊の中でも、主目的がミッドウェーなのか米空母部隊なのか、という意志統一が図られていなかったからである。
そのようなことがあるのか、と問われれば、組織というものはそういうものだ、と“大佐”なら答えるだろう。システムの中に埋没してしまえば、自分の目の前のことにあるものだけに拘泥するのが人間だ。
だから、出撃した百を超える航空隊の着艦が先か、米艦隊を叩く攻撃隊を出撃させるのが先か、という悶着も起きるし、攻撃隊の出撃が先だ、と決まっても、基地攻撃を前提とした現在の爆装のままで行くか、対艦兵装に切り替えるべきか、という議論も起きる。
帝都空襲を受けて、大わらわでまとめあげた作戦案というものが緻密でなかった証左である。
また、艦隊全体に、伽藍人形があればどうとでもなろう、という気分が溢れていることも事実だった。
大ざっぱで失敗のことを考えていない上層部のプランを現場の殺人的な頑張りによって解決してしまうのは、真国のあらゆる場所で見られる悪癖だ。
そして、神谷新八郎と伽藍人形は、まさにその“殺人的な頑張り”を体現した兵器である。
「神谷! 艦隊に構わなくていい! 貴様らは、米空母を叩け!」
だから、“大佐”がそう命じたときも、神谷は反駁しなかった。
それは単騎で敵空母に吶喊しろ、ということであり、「死ね」と命じられているに等しい。
十中八九、どころか十中が十、死ぬであろう。
だが、それがよかった。
なぜなら、“大佐”もまた、〈飛龍〉と命を共にする覚悟であろう、とわかるからである。すでにミッドウェー地上部隊がこちらを捕らえている以上、米空母からの攻撃部隊が迫ってくるのは時間の問題だ。その規模は、真国の防空能力をしのぐやもしれぬ、と考えるべきであろう。
が、それでも米艦隊を太平洋から消滅させれば、講和への道は開ける。空母部隊が壊滅したとしても、〈大和〉は残るし、珊瑚海を生き延びた〈翔鶴〉もある。
二兎を追うものは一兎も得ずとの例えの通り、まずは作戦を遂行することがすべてだ、という“大佐”の判断は正しい、と考える。
自分たちが倒れても、航空隊は後に続いてくれるものだと信じて、神谷と龍造寺は流星のように飛んだ。
それはまるで、戦争という状況の中に現出した、あり得ざる虹のごとくに美しい軌跡で、空母の甲板からたまたまそれを目撃した水兵たちは、長く、その姿を子や孫へと語り継いだ。
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