第四章「ミッドウェイ波高し」②
そして、その戦いの中で、敵空母〈ヨークタウン〉に肉薄攻撃をかけた新見は、空母搭乗員の携行するロケットランチャーと、空中からの急降下爆撃を浴びて、機体もろともに海に沈んだ。
即死、であったろうと思われる。
結果的に〈ヨークタウン〉の撃沈に功績があったことは事実だが、この事実は神谷たちを悲しませただけでなく、震撼させた。
すなわち、米側が伽藍人形という兵器を認識し、その対策を練ってきたことが明らかになった、ということである。
そして、適切な火砲と爆撃を集中させれば、伽藍人形を破壊できるという事実も。
伽藍人形を無敵の兵器たらしめているのは、“愛国心”である。
それは真国の不滅を信じ、大義の悠久なるを確信する心である。
それがある限り、伽藍人形が敗れることはない。
だが、搭乗員はそうではない。心である限り、それが揺らぐことはある。絶望に打ちひしがれることもあるだろう。極端な話、力場で衝撃を相殺しきれず、ショックで気絶してしまえば、それで終わりなのだ。
無論、理論的には力場そのものの“物理的限界”が存在するのではないか、とも考えられている。
搭乗員の乗った伽藍人形をどうやったら壊せるか、というテストは行われていないから、あくまで科学者たちの推論に過ぎないが、たとえば極端な話、太陽に投げ入れたり、深海の水圧を浴びせかけたりすれば、伽藍人形はおそらく壊れる、と思われる――が、これも人の心に限界がない以上は、わからない。宇宙終焉の時が来ても伽藍人形だけは残る、という可能性もある、とされていた。
いずれにせよ新見の死は厳然たる事実であり、そこに推論の入り込む余地はない。
同じ頃、大陸でもインド戦線でも、同様に集中攻撃を受けた伽藍人形が大破、あるいは破壊されたという報告が入る。
そうした不吉な状況の中で、ミッドウェーの戦いが始まろうとしていた。
*
「腐っているなあ」
“大佐”は開口一番、神谷と龍造寺の元を訪れるとそう言った。
「私たちは軍人の本分をまっとうするだけです」
そう答えたが、神谷も自分が渋面を作っていることは否定できなかった。
「すまんな。新見の補充が効かないのは俺の力不足だ」
“大佐”はそう言って頭を下げると、詫びであろう日本酒の一升瓶を置いた。
戦場における通貨は酒と煙草である。
受け取るのが礼儀だ、と、神谷と龍造寺は無言で杯代わりの湯飲み茶碗を出し、“大佐”も何も言わずなみなみとついでくれた。
「結局、伽藍人形を飛ばせられるのはおまえたちふたりだけだ。なかなか本物の憂国の士というのはいないものだ――そんな連中はとっくに墓の下なのかもしれんがな」
「龍造寺が飛べるようになったことだけでもありがたいと思っています」
「いやあ……まさか、戦車乗りの自分が空ば飛ぶとは……」
龍造寺は熊のような巨体を縮こまらせて、照れて見せた。
「正直、生身で敵戦車の下ば突っ込むより恐ろしいですよ」
これは本音であるらしかった。
追加の発動機を搭載してどうにか離床できるようになってから二ヶ月、龍造寺は着陸するたびに怖かった、怖かったと騒いでは酒を飲むのである。最初は酒を飲むための理由付けなのかと思っていたが、どうやら本当に地に足がついていないのが恐ろしいらしかった。
そのくせ、模擬空戦では十分以上に戦えるのだから、不思議なものである。確かに三次元戦闘が得意だとは言えなかったが、持ち前の勇敢さと、動物的な勘に裏付けられた射撃センスで戦えてしまうのである。
このあたりが、戦闘機と伽藍人形の根本的な違いであった。人の信念、精神が操縦技術や航空力学をはるかに凌駕するし、そう信じられなければ伽藍人形は答えてくれぬのだ。
「ミッドウェー島への上陸作戦では大いに暴れてくれ。作戦通りなら、島での戦いは史上初の伽藍人形による空挺をやることになる」
「そうですな、それは戦車兵の誉れです」
「ああ。その時は私が制空戦をやる」
「頼りにしておりますよ」
にか、と龍造寺は微笑んだ。
戦場で友を持てるのは、何よりも心強いことだ。死地にあって信じられる僚機がいること以上にありがたいことはない。
神谷はこの好漢のためにも、散った新見のためにも、勝たねばならん、と思った。
「で、神谷。懸念事は何だ」
「いえ、私は」
「言って見ろ」
“大佐”はずい、と身を乗り出して、神谷の肩を抱くようにした。
「俺とお前の仲だろうが。隠さず話せ。部下の心配事はどんなことであれ、取り去っておきたい」
「つまらないことです」
「つまらんかどうか考えるのは、指揮官だ」
こうした時の“大佐”は普段の飄々とした態度の下に、不屈の意志のようなものが垣間見える。おそらくは、神谷同様の愛国心がなせる技なのであろう。言葉にはしなかったが、神谷はその“大佐”の態度に少なからぬ好感を抱いていた。
「出港の前に、宿の主人から“次はミッドウェーですか、勝ってください”と声をかけられました」
「…………」
「乗り込んでからも、兵も士官たちも、次はミッドウェーで敵艦隊を撃滅する、と意気を上げています。が、作戦目標については、公式には発表されていないはず。ましてや、民間人までが知っているのは……」
「敵の目をごまかすための芝居なのではありませんか。自分は、そう思っていましたが」
「気の緩みだなァ」
“大佐”は苦笑して、龍造寺の楽観論を否定した。
「まあ、もちろん敵の艦隊を引き出すためにミッドウェーを叩くのだから、ある程度意図的に情報を漏らしているところもあるだろう。敵はこちらの暗号を解読したつもりでいるし、こちらも解読されることを前提に電文を打っている……俺がそういう風にしたのだからね。敵はミッドウェーに機動部隊が迫っていることは知っていても、珊瑚海で大打撃を受けたはずの〈翔鶴〉が参加していることは知るまいよ」
だが、と“大佐”は続けた。
「なにせ開国以来の大勝利だ。黒船に開国させられて以来、真国はずっと屈辱を感じてきた。その鬱憤を晴らせたので、真国全体がお祭りになっている。祭になれば酒も出て、口も緩む。それは軍人でもそうだ」
「ありえないことです」
「だが事実だ」
ぴしゃり、と“大佐”は神谷をたしなめるように言った。
「覚えておけ、神谷。管理職というのは、原則論を使って説教をしてもいいが、原則論に飲まれてもいかん。人は“ありえないこと”をするものだし、そう思っていなければ、人の上には立てない。原則から外れた愚行は起きるもので、その被害をどう留めるか考えるのが、優れた管理職だ。原理原則で動くのは、おまえのような英雄だけだからな」
「英雄……? 私がですか」
「そうだ。女を抱きたい、金が欲しい、休暇を取りたい、命が惜しい、ポストを確保したい、勲章をもらいたい……そういう打算なしに行動出来ないのが、凡人だ。それが愛国心を曇らせて、伽藍人形の威力を鈍らせるのかもしれん」
「お言葉ですが大佐」
龍造寺が割って入った。顔が、だいぶ赤い。
「自分は人並に報われたいと思っています。報いてくださるから、愛国の念も沸く……違いますか」
「ン……それはそうだ。真国は奉公には恩義で報いる国だよ。この戦いに勝てば、休暇も取らせるし、勲章も昇進もつく」
「そうでなくては! 故郷ではだいぶ男手を取られて農作業に苦労ばしとるようですから、ひとつ大佐殿のお力で便宜ば図ってやってください」
「わかった。言っておこう」
龍造寺がそういうことを言うのは、潔くない、と考える者もあるだろう。
が、神谷はそうは思わない。
家を愛し、田畑を愛することは、故郷を愛し、国を愛することにつながるはずだ。
(それの、何が悪い)
そう思うのである。
愛国の情が報いられることなくば、誰が戦地で命を懸けられるだろう。神谷は国を愛している。
それは妻への愛と同じだ――愛するに値すると思うからこそ、愛することができるのだ。
拝領の酒を飲み干す。
五臓六腑にしみわたる美酒だった。
その真心だけで、死地に征ける、と思う。
単純であろう。
が、そういうものだ。
戦士というのは、男というのは、そうやって誰かに理解されることに喜びを覚えるものなのだから――。
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