第四章「ミッドウェイ波高し」①

「なんだ、こいつらは――」

 空母〈飛龍〉の甲板で、神谷は珍しく不機嫌だった。

 着艦訓練を行っている〈九七式艦攻〉――魚雷を装備して敵艦を沈める攻撃部隊の主力航空機だ――の動きが悪いのである。

 およそ航空母艦というものは、港で見上げている時は黒金の城にも見えるが、いざ空中から見下ろして見ると、ほとんど波間に漂う板きれのような大きさしかない。

 地上の滑走路に降りるのとは訳が違う。何しろその板きれ、すなわち空母は常に移動しているのだ。停泊していたとしても、揺れることは避けられない。互いの相対位置を合わせて甲板に降りることができるのは、空母乗りの誉れである。

 にもかかわらず、艦攻隊の半ば以上は、どうにか甲板に降りるのがやっとという有様だった。

 空母要員の技倆も低い。開戦当初に比べて、動きに雑さが目立ち、下士官は声を張り上げてビンタをするばかりで、統率のために何が必要かを理解しておらず、士官はそれを制御できないでいる。

「烏合の衆ですなあ」

 龍造寺が苦虫をかみつぶしたような顔をした。

 この好漢が、このような顔をするのはよほどのことである。

「自分は空のことはよくわかりませんが……ま、戦車隊でも歩兵でも、下士官が士官の見ている前でビンタをするのは、これは余裕がないからです。見ていなくてもくだらんことですがね……ただ、見ている前で殴るというのは、つまり、自分が何かをやっていると見せたいだけで、これは虚勢です」

「私もそう思う」

 誰も彼もが天下分け目の決戦を目指して奔走しているように見えたが、その実では、何も動いていないのと同じだった。

「ひどいな」

 着艦に失敗した九七式の一機が、脚を折った。

「損害が大きかったのでありますか?」

「……いや」

 神谷はかぶりを振った。

「戦線が拡大しすぎて、熟練搭乗員は引っ張りだこだ。空母部隊から引き抜かれて、ベテランが必要な場所に回される。結果、虎の子の空母部隊に未熟な操縦士が集められる」

「ひとりひとりは書類の上では優秀でも、顔を合わせて間もない男同士がそうそう気があうはずもない。細かいやり方の違いが積み重なって連携が取れず、実力を発揮できない」

 龍造寺は水筒の中の液体を飲み干した。いやに甘い匂いがしたが、それに対して神谷はいちいち指摘をしないことにした。覚めてこんな光景を見ているほうが、よほどまともではない。

「で、死ぬ……陸軍ではそうでしたよ」

「海軍でもそうだ。戦争はどこでも変わらん……残った熟練兵も、この半年、ほとんどまともに上陸すら出来ていない。つまらない間違いが増えて、お互いを苛立たせる」

「精神力は無限でありますが、人間の体力は無限とは行きませんからな……機械部品や弾薬と同じです」

 そう言う龍造寺の顎も、無精髭がひどい。指摘しようかと思ったが、神谷も似たようなものだった。士官たるべきものの装いではなかったが、連日連夜の訓練や折衝、編隊の打ち合わせに時間を取られて、寝るヒマもないのが現実だ。

 だから、弱音も出。

「……新見が生きていてくれればな」

「やめましょうや、隊長。あいつも喜ばんでしょう」

 龍造寺が水筒を差し出した。

 神谷は何も聞かず、ただ水筒の中のひどく熱く感じられる液体を胃の腑に流し込んだ。


 *


 新見が死んだのは、少し前の珊瑚海である。

 真国海軍はオーストラリアと米国の連絡戦を遮断し、米英反撃の中核となるであろうオーストラリア大陸を孤立させて戦線から離脱せんとはかった。

 オーストラリア占領が不可能事であるのは自明であるから、目標となったのはオーストラリア領パプアニューギニアである。この地を押さえ、制空権・制海権を確保してしまえば、オーストラリアは軍門に降るものと考えられた。

 すでにパプアニューギニア北東、ソロモン海に浮かぶニューブリテン島は真国の制圧下にあったから、伽藍人形と機動部隊の威力をもってすれば、不可能事ではないと考えられたのである。

 空母〈瑞鶴〉〈翔鶴〉の二隻を中核とした艦隊は、パプアニューギニア最大の都市ポートモレスビーを陥落せしめんと南下。

 暗号を解読しこれを待ち受けていた米空母部隊との戦いとなった。

 アメリカ側は燃料の不足から空母〈ヨークタウン〉と〈レキシントン〉を除いては戦艦・巡洋艦ともに真国側に劣る数しか揃えることができず、直接砲戦となれば不利を強いられることは間違いなかった。

 が、様々な戦場の事情が積み重なった結果、珊瑚海での戦いは、真国・アメリカ両国の兵士が誰も経験したことのないものとなる。

 それは、ついにお互いの艦影を見ないまま戦いが終わった、ということであった。

 古来、海戦というものは船から船へ横付けにして、切り込んで敵を倒すものであった。

 それが大砲の発達によって、相手の船に穴を開け浸水で沈めることが可能となり、やがて火薬を詰めた榴弾の開発によって、敵艦を粉みじんにすることができるようになった。

 それでもなお、大砲は光学観測で相手を捕らえなければ砲撃できぬものであったから、火砲そのものが水平線の彼方まで曲射できる時代になっても、海戦は何らかの形で互いの艦を視界に収めて戦うものであったし、だからこそ巨大な艦橋構造物が必要ともなったのである。

 が、珊瑚海は違った。

 この戦いでは、両軍は敵艦隊を航空機・潜水艦・レーダーという新時代の兵器で捕らえ、指揮官はそれらマシーンが送ってくる情報を元に判断を行い、航空機を差し向けて敵艦隊を攻撃する、という形になったのである。

 戦争の主役が飛行機になったことをまざまざと物語る、そんな戦いであった。

 真国は敵空母〈ヨークタウン〉〈レキシントン〉を撃沈。敵航空隊を潰滅させることに成功する。

 だが、無傷とはいかなかった。空母こそ無事だったものの、〈瑞鶴〉〈翔鶴〉は航空隊の半分を喪う結果となったのである。〈翔鶴〉は大破し、三ヶ月のドック入りを余儀なくされ、ミッドウェーへの参戦は不可能となった。残った半数の航空隊は〈瑞鶴〉に編入される。

 結果、珊瑚海の制海権そのものは真国側に傾き、ほぼ米艦隊の影響力をニューギニア方面から放逐することは可能となったものの、肝心のポートモレスビーにこもる米英軍の航空機300機を相手にする戦力は機動部隊に残されておらず、艦隊は撤退を余儀なくされた。

 真国・米国のいずれの新聞も戦果を過大に報道し、“勝利”を謳った。両者が勝利し、両者が敗北した。そのような戦いである。

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