第三章「帝都空襲」③
結局、神谷はさらに帝都に侵入した二機のBー25を撃墜したが、最終的には十数機のBー25が真国の各都市に攻撃をかける結果となった。
敵機の攻撃対象は軍事基地に限られず、機銃掃射や爆撃によって子供を含めた民間人が何十人も死傷する結果となった。超低空で侵入し、経路上の民間人を射殺しながら真国を縦断した機体すら、あった。
陸海軍の迎撃は神谷以外はほとんど行えず、迎撃の戦闘機はB-25を発見することができなかった。これは、大型機を空母に乗せて遠距離から出撃させるという奇策を想定できず、多くの基地が敵の到着をより遅いもの、明日になると考えたからである。神谷がアプローチできたのは、帝都への帰還を最優先した、いわば副産物にすぎない。
高射砲陣地も急ごしらえのものであったから適切な反撃ができたとはいえず、落下した高射砲弾によって死者が出る始末であった。
〈エンタープライズ〉を発したB-25部隊のほとんどは大陸に落着し、現地軍と合流したが、中には真国軍の捕虜となり、民間人殺戮の科で処刑されるような操縦士もいた。
が、神谷の奮戦によって、無防備に等しい帝都司令部や軍事工廠への爆撃という結果が回避されたことも事実である。
*
米側はともかくも真国本土爆撃の事実を喧伝した。
帝都へ突入した部隊が壊滅したことは英雄の犠牲とされ、真国の捕虜になった操縦士たちが処刑されたことは(民間人殺戮のことは伏せられて)、大々的に米国の大義を説明する動機となった。
敗戦に打ちひしがれていた米市民はともかくも戦意を取り戻した。まだ戦争は負けてはいない――いや、我々は反攻しつつあるのだ。
だが現実には米側の戦力は寒々しいものだった。この出撃は残り少ない機動部隊の燃料備蓄を大きく減じており、太平洋艦隊司令部は依然としてその機能を復活させられないままであった。
このまま持久戦に持ち込まれれば米国側が大きく不利であり、ホワイトハウス内部では講和論が半ば公然と語られるようになった。対真国戦から手を引き、欧州戦線に戦力を集中すべきであるという論である。
まさにこれは真国が期待していた展開であった。
伽藍人形という新兵器の威力を見せつけ、そのブラフによって国力に秀でる米側を勝負のテーブルから降ろさせる。
あとは占領地からどう撤退するか、その手じまいを考え、最終的に大陸での戦線を収集する。
その、はずであった。
だが、ことはそのように運ばなかった。
*
「メンツ――?」
“大佐”の言葉を、神谷はにわかに飲み込めなかった。
秋葉原のミルクホールである。
“大佐”は多くの高級将校と異なり、料亭も遊廓も好まなかった。酒を飲まないわけではないが、酒宴が苦手であるらしい。それよりはクリームソーダやアイスクリームを食べるほうが好みであるようだった。それも、喫茶店と称して女を侍らせるカフェーではなく、純喫茶で純粋に甘味だけを喰うのである。
(古武士のような人だ)
神谷はそんな“大佐”に好感を持った。
新婚の妻を持つ彼に取っても、白粉の匂いのする場所で仕事の話をする習慣は実のところ好ましいものではない。
なぜ銀座のような盛り場ではなく、秋葉原のような青果市場にほど近い、裏通りのミルクホールをわざわざ選ぶのかについて、こういう店は秋葉原だろう、と言う理由はわからなかったが――。
「ああ、メンツだ。それが今、海軍陸軍問わず問題になっている」
「私の迎撃に問題がありましたか」
「そこじゃない」
ミルクホールに給仕以外の人はおらず、外には休業中の札が出ている。“大佐”の馴染みということらしかった。
「真国本土を爆撃されたというのが、将軍たちのメンツに関わるということになったんだよ」
「…………」
コーヒーを少しかき回して、神谷は率直な意見を口にした。
「そうであるなら、〈黒潮部隊〉の入電を受けて即座に迎撃機を上がらせられなかった、その事実を問題にするべきなのでは」
「まあそうだ。だがこの国ではいつでも、計画が失敗した時に、それまでの計画立案者の責任が問われることはない。いつでも何か“改革”や“新展開”が持ち込まれて、それで前にやらかしたことはなかったことになっている。ま……漫画映画のテコいれと一緒だな」
「?」
「知らないか……? シリアスなミリタリーものが突然スーパーロボットばりのチャンバラになったり、逆に子供向けの作品がいきなり路線変更したり、しまいには番組名まで変わったりするあれだ」
「すみません。浅学なので“大佐”のおっしゃることはわかりません」
それは本音だった。たぶん、イギリスかドイツの哲学用語なのだろう。神谷は戦争が終わったら改めて大学に入り直すのもいいかもしれない、と考えた。
「いやいい。俺が悪かった。要するに方針変更ということだ」
「まさか」
神谷は青ざめた。
“大佐”と戦っていく過程で、上層部の戦略方針については容喙しているつもりだった。それが、単に本土を攻撃されてオタついた程度のことで変わってしまうのか。
「そのまさかだ。太平洋艦隊を引きずり出して決戦に持ち込む」
「!? 確かに艦隊決戦は望むところですが……」
「だがこのタイミングではないだろうな」
よほど大事なのか、“大佐”はクリームソーダの上のサクランボをよけた。子供がお年玉をしまい込むような、あるいは犬が庭に骨を埋める時のような手付きだった。もしかしたら国の命運より大事なのかもしれなかった。
「ミッドウェーに敵艦隊を陽動し、連合艦隊はこれを殲滅する。伽藍人形はその先鋒を務めてもらう」
春の陽気がどこかに去ったように感じられた。
決戦を前に、伽藍人形が飛行能力を持つことは、満天下にさらけ出されてしまっている。
帝都を守るため戦った人型の兵器の噂は絶えることがない。目撃者はあまりにも多かった。間違いなくそれは、中立国の外交官や潜入した米国のスパイなどを通じて、米側にも伝わっていることだろう。
もはや伽藍人形による奇襲は成立しない。
(これが……帝都を守った代価か……)
“大佐”の手の中で、血のように赤いサクランボが揺れていた。それは、本当に最後まで残しておく価値があるものだっただろうか?
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