第三章「帝都空襲」②
奮戦したのは〈第二十三日東丸〉だけではなかった。
〈黒潮部隊〉と名付けられた付近の哨戒艇は驚くべき勇敢さで情報の打電を続け、〈エンタープライズ〉の護衛を行なっていた空母〈ワスプ〉より発した航空機の爆撃の中、次々と沈められながらも生存者を助けつつ、粘り強い戦いを繰り広げていた。
特設監視艇〈長渡丸〉に至っては、これまた大漁旗を掲げ、驚くべきことになんと〈エンタープライズ〉目がけて吶喊を行なった。
誰に命じられたのでもないことは言うまでもない。
彼ら自身の判断で、米艦隊に突撃をかけたのである。
無論、非武装に等しい漁船などは、あっというまに護衛の巡洋艦・駆逐艦の砲火によって粉みじんとなった。
だが、〈長渡丸〉の乗組員たちはあきらめなかった。
彼らは泳ぎだしたのだ。
どこへ?
〈エンタープライズ〉のスクリューに向かって、である!
生身の人間がスクリューに巻き込まれれば、あっというまに肉塊となる。だが、漁師である彼らは知っていた。そうした異物が挟まって故障した船はいくらでもある。そうなれば、一日、いや半日でも進撃を遅らせることができるかもしれない。
狂気というのは優しい。
愚かだと笑うのは簡単だ。
だが、彼らはそうした。
残念ながら成功することはなかった。ボートで駆けつけた米兵たちは、漁師たちをオールでたたきのめすと捕虜としたからである。彼らは数奇な運命を辿り、後に真国に帰還して〈黒潮部隊〉の壮烈な最期を伝える生き証人となるが――それはまた別の物語だ。
*
〈黒潮部隊〉の攻撃は、〈エンタープライズ〉の計画を大きく狂わせた。
本来ならば夜間の奇襲を目標としていた彼らだが、ことこうなった以上は、日本近海をうろうろしているようなことはできない。
艦上に搭載されたB-25〈ミッチェル〉哨戒爆撃機は、両翼にそれぞれレシプロエンジンを持つ双垂直尾翼型の中型機である。
この機種が選択されたのは、ギリギリ空母の甲板から離陸が可能であるからに他ならない。
〈エンタープライズ〉の甲板に文字通り満載されたB-25は、追い風の加速力も受けて、よたよたと怪鳥のように朝の空へと飛び立っていった。
帰還は想定されていない。
すなわち、日本列島を強襲し、そのまま大陸へ抜け、大陸の同盟基地へと滑り込もうというのである。
あらゆる行為が無謀で織り成された作戦であった。
だが、〈黒潮部隊〉の人々がそうであるように、〈エンタープライズ〉の乗組員たち、飛行機乗りたちもまた、狂熱の中にあった。彼らの中に命を惜しむものはおらず、敵を殺し尽くすためならばいかなることでもする覚悟であった。
*
(奇襲とはな……!)
伽藍人形の操縦席で、神谷新八郎は怒りに震えていた。
彼が駐留していたシンガポールを発したのは、日本時間の10時頃である。
〈第二十三日東丸〉の打電から、発進命令が下されるまでの間に間があったのは、大本営内部で伽藍人形を発進させるべきか否かについての短い、だが白熱した議論があったからだ。
“大佐”は強硬に反対したという。
「敵が何機の飛行機を出してくるにせよ、所詮は寡兵の破れかぶれの攻撃です。そんなものが帝都を揺るがすことはありますまい。それとも、帝都の護りは完璧だとうそぶかれた将軍たちは、虚言をなさるのですか?」
そこまで主張したと聞いている。
彼の判断は、わかる。
伽藍人形が飛行能力を有している、それも超音速飛行が可能であることは、断じて敵に漏れてはならぬことである。
いつかは明かされねばならぬ事実であったが、それが今であるべきなのか?
が、結局、神谷には出撃命令が下された。
「結局、面子が先に立ったらしい」
“大佐”は不機嫌そうだった。
「帝都の完璧な護りに、米国ごときが泥をつけるのは許せぬ……まあそういうことであるらしい。スポンサーやプロデューサーというのはいつもこうだ。予測されていたトラブルに対してはまず自分たちのプライドばかりを気にして、それが何を意味するかを考えようとしない。いつも現場ばかりが泥を被ることになる」
それはそうなのだろう。が、今は討論の時間でないこともまた確かだった。
「私は軍人ですから、使命を果たすだけです」
帝都にいる妻のことが頭をよぎらなかったかと言われれば嘘になる。
が、そんなものは戦いの緊張の中に紛れて消えて行くものだ。
どうせ、火線がすぐ側をよぎれば、いやでも思いだし、心の中で名を叫ぶことになるのだから……。
*
〈エンタープライズ〉を発したB-25を神谷が捕らえたのは、茨城県・土浦の上空であった。
水戸を抜けて帝都を目指すコースである。
(一機だけか!)
ただ一機の敵であっても、捕捉できたのは僥倖と呼ぶほかない。
伽藍人形には最新型の電探(レーダー)が搭載されているが、日本の工業力で作れる電探のほとんどは“占いよりはマシ”という気休めとしか呼べないもので、敵機の侵入を確認する最良の手段は目視、次がエンジン音であった。
が、それですらも泰平に慣れた――そう、西南戦争以来本土が戦場になったことはなかったのだから――人々は、空を飛ぶ飛行機ならば味方だと思ってしまい、多くの場合は手を振ったり、歓声をあげて終わらせてしまったのである。
〈黒潮部隊〉が奮戦の果てに送った情報に対し、対処できたのはまだしも神谷と伽藍人形だけ、ということだ。
――国家の命運を懸けて対米戦を戦うというのに、なぜそのようであったのか?
突き詰めれば予算がなかったのだ、と言うこともできるが、それ以上に人は怠惰な生き物である、ということであろう。
現在の防空体制には欠陥がある、と叫べば、それはとりもなおさず体制を作り出した自分の上官たちへの批判につながるし、それが組織の中での出世を妨げることは言うまでもない。
組織そのものを維持し、現在の予算をより増加させることが軍官僚として“有能”だと考えられれば、人は今のシステムをただ在り続けさせることがインテリジェンスなのだと、誤解をする。
ましてや、“それ”が起きるまではシステムには“何の問題もない”のだから、将来に発生する問題を指摘したとしても、それは“机上の空論”であり“現実が見えていない”ということになる。
が、あらゆる指摘が妥当ではない、という現実もまたあって、その現実を人は、“指摘は常に妥当ではないのだ”と心のすり替えを行うことで、己のメンタルを安定させてしまう。
故に、霞ヶ浦の近郊で神谷新八郎がB-25を捕捉できたのは、僥倖というほかない。
敵はまだ、神谷を捕捉していない。雲の上から、伽藍人形がBー25を見下ろす形である。
超音速飛行を行い、空中での急停止と急加速を行える伽藍人形にとって、三分の一以下の速度しか持たぬ敵機は、止まっているにも等しい。
生殺与奪の権は、なべて神谷にある。
(捕虜とするか)
その考えも、頭をよぎった。
が、すぐに神谷はその考えを捨てた。
伽藍人形と航空機の空対空戦闘は、訓練こそしていたが依然として理論の段階に留まるものである。
まして、下には軍の施設もあれば、民間人の住む家もある。
うかつな場所に落とすくらいなら、即断即決で仕留めるのが適切であろう。
「ままよ!」
叫びながら、伽藍人形に抜刀させる。
伽藍人形の背丈ほどもある巨大な日本刀は、大陸で開発された“興亜一心刀”と呼ばれる新時代の刀を元に“大佐”が作らせた特注の武器である。従来の刀であれば、高度一万メートルの寒気の中では炭素鋼が脆くなって、容易に折れてしまうが、科学的に精錬された特殊鋼の刃は、成層圏の寒気にも、熱帯の暑気にも曲がらず、歪むこともない。
日本刀は不変で、伝統に支えられたものが一番強い――そういう神話をかなぐり捨てた、異形の兵器である。
飛行する人型兵器がそんな武器を使うのはナンセンスであるように思えるかもしれないが、伽藍人形を覆う力場によって見かけ上の質量を強化された刃の破壊力は、戦艦の装甲板を両断するに足る。従来の空戦でも、翼そのものの質量を叩き付けて敵機を破壊することはしばしば行われてきたことで、その発展と考えれば、おかしなことではない。
裂帛の気合とともに、伽藍人形が奔る。
すれ違い様、B-25の乗員たちが驚愕を込めて伽藍人形を見つめている顔が見えた。
不思議なもので、コンマ数秒にも満たぬすれ違いのはずであるのに、敵パイロットたちのそり残した髭まで確認できる。
それほどに、神谷の集中力は研ぎ澄まされているのだ。
(尊敬すべき飛行士たちだ)
そう、思う。
太平洋の荒波の中、空母の甲板から巨大な爆撃機を発進させ、着陸すらおぼつかぬ強行攻撃を行うのは、勇気以外の何者でもない。それはかつて蝋で固めた鳥の羽を武器に太陽に挑んだイカロスと同等の、熱意だ。
が、戦場において、情けをかけたりはしない。
そのようなことは、勇気への侮辱だと神谷は思っている。
覚悟を持って出てきた飛行機乗りなら、一切の手心なく、全力で叩き潰すことが、相手が積み上げてきた技倆への礼儀だ。
「御免!」
B-25のコクピットを、刀が両断する。
血とオイルが飛び散る。
パイロットたちは、自分たちが死んだことを実感するヒマもなかっただろう。
それでいい。
墜落していくBー25が、無人地帯に落下することを確認すると、神谷は伽藍人形の機首を返した。
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