第三章「帝都空襲」①

 当時の米国は、士気のどん底にあった。

 宣戦布告とほぼ同時に行なわれたハワイ強襲の精度は恐るべきものであり、誰にも文句のつけられぬものであった。

 太平洋艦隊は湾外にいた空母部隊こそかろうじて生き延びたものの、燃料と主力艦とを失い、半身不随というべき状況にあった。

 真国の潜水艦部隊は伽藍人形とともに北米大陸の海岸部に潜伏し、次々と商船を撃沈し、中にはカリフォルニアを直接砲撃する艦すらあった。伽藍人形によるサンフランシスコ上陸という作戦案も起草されたが、これが行なわれなかったのは万が一伽藍人形が鹵獲される危険性を考えてのことである。

 今や米本土はハワイ同様安全な場所ではない、と考えられ、人々は西海岸から堰を切ったように逃げ出しつつあった。

 新聞は連日、開戦を想定していながら真国の攻撃に対しなすすべなく、艦隊と兵員を失った大統領と議会を攻撃した。米政府は有効な反撃を行なうと幾度となく繰り返したが、消滅した艦隊は現実であり、演説の上で語られる反抗作戦はさしあたり虚構であったから、選挙民たちを納得させることはできないままであった。

 が、ここで米国が手を引けば、英国がインドを失陥するという最悪の事態すら想定された。そうなれば大陸の援助ばかりではなく、スエズ運河の防衛すらままならず、アフリカ戦線が崩壊するという可能性すら取り沙汰されていたのである。 

 混乱に拍車をかけたのは、生き残った兵士たちの口から伝えられた、“海から来る悪魔”の噂であった。

 鋼鉄でできたその巨人は素手で戦艦を引き裂き、口から吐く炎で戦車を溶かすという話である。

 まともな写真は一枚も残されていなかったが、弾丸神経症の一種だろうと考えていた将軍たちは、太平洋艦隊の母港に残されていた巨大な鋼鉄の足跡を見て、怯えた。

 真国と独伊は同盟国であったから、否応なく米国は欧州にも手を出す羽目になったが、伝統的な孤立政策を考えれば、欧州の戦争にも大陸の戦いにも関与すべきではないのではないか、という論が公然と俎上に登ったのである。

 これこそが、真国の企図であった。

 開戦直後に衝撃を与え、その衝撃によって社会そのものに揺さぶりをかけ、有利な条件で講和に持ち込み、大陸の戦争を終わらせる端緒を得る。

 そしてその目的は、伽藍人形によって与えられた圧倒的な戦果によって、達成されるかに見えた。

 だが国家を動かすのは打算や保身だけではない。面子や復讐といった感情もまた、国を動かし、時として国を誤らせるものである。

 残存空母部隊を率いて、真国本土を攻撃仕様という計画が、それであった。


 *


 もとより――

 空母から発した爆撃機で、国家を打ち倒すことなどできはしない。兵器はアメリカン・コミックスのスーパーヒーローではないから、帝都に降りたって政府首脳部を制圧するようなことはできないし、帝都と連合艦隊を光の中に消し去って見せることも、しない。

 が、それでもこの作戦が実行されたのは、立案者たちが

「戦術をもって戦略をひっくり返す」

 という、伽藍人形と同じ結論に至ったからである。

 そのために用意されたのが、空母〈エンタープライズ〉である。

 とかく歴史の節目に現れることに定評のあるこの艦は、後の世に月を目指す船の名前となったりもしたが、今はそのことはこの物語とは関わりない。

 が、日本本土への攻撃という冒険的な作戦が、〈エンタープライズ〉の乗組員たちの士気を高めていたことは確かである。

 米国だけが爆撃され、真国本土が無傷であるのでは、米国の空母乗り、飛行機乗りの面子が立たない、という意識があった。

 それゆえに、飛行甲板に巨大なB-25爆撃機を搭載し、荒波を乗り越えて日本近海に進出するという無謀な作戦も実行されるのである。

 

 *


 最初に〈エンタープライズ〉とその艦隊を確認したのは、伽藍人形でも真国のエースでもなかった。鍛え抜かれた海軍の兵ですらなかった。

 驚くべきことに、それは漁船だった。

 なぜ、漁船が戦場にいたのか。

 迷い込んだのではない。

 徴用されたのである。

 つまり、軍によって本来の仕事である漁業からもぎ離され、家族から引き離された漁船が、真国の洋上を紹介するために無理矢理“軍艦”とさせられたのである。

 装甲もなければ、数丁の機銃と、驚くべきことに日露戦争で使われた大砲があるばかり。あとは、敵を発見した時に打電するための通信機だけがある。その通信機も、敵を発見せぬ限りは使ってはならぬ。

 乗組員は無論、漁民に過ぎない。

 死兵、である。

 そんな船を何百と太平洋に張り付かせて、米国の反撃に備えているというのが、真国の現実であった。

 大漁旗を振りかざして、荒波を驀進する彼らの心にあるのは、ただ、生きて帰って魚を捕る、ということだけがある。自分たちが国のために働かねば、魚取りどころではないだろう、という考えがある。

 それは、素朴で愚かであるかもしれないが、笑うことはできない人の思いであろう。

「敵飛行機見ユ」

 そんな木造漁船のひとつ、〈第二十三日東丸〉がこの文章を打電したのは、4月18日、日本時間6時30分のことであった。

 底引き網を引くために六年前に作られたはずの船である。

 そんな船が、戦場にいた。

 真国から東に650カイリ、まさに遠洋漁業の海域である。

 続いて6時50分。

「敵空母見ユ」

 これが打電された。

 すなわち、〈第二十三日東丸〉もまた、敵に目視される距離にある、ということだ。

 艇長の風間兵曹長だけは、軍人である。本来ならば少尉になっていてもおかしくないとされていたが、大陸で市民から略奪しようとする上官を殴って、こんなところに飛ばされたのだという噂だった。

 彼は艦橋に立つと、軍刀を手に叫んだ。

「諸君! 案ずることはない! すでに打電はなされたのだ! すぐに伽藍人形が駆けつけ、敵艦隊を撃滅するであろう! そうすれば我々は殊勲者だ! かならず、かならず徴用は解かれ、諸君らは漁に戻れる!」

 風間兵曹長の目には、涙がにじんでいた。

 嘘をつかねばならぬことを知っている男の涙であった。

「そうなったら、小官にたらふく魚を食わせてくれ!」

 甲板に笑いが起こった。

 大漁旗があがった。

 誰もが、次に起きることを理解していた。

 それでも〈第二十三日東丸〉は、監視の目を決して緩めることはなかった。


 米国の記録によれば十分ほどの後――。

 すでに〈第二十三日東丸〉を確認していた米国の軽巡洋艦〈ナッシュビル〉は、漁船が軍艦旗を上げていることをいぶかしく思いながらも、ためらうことなくその砲を開いた。

 〈第二十三日東丸〉はよく戦った。

 ただ一丁の機銃を武器に、驚くべきことに〈ドーントレス〉爆撃機を撃墜したとの記録すら残っている。米側の記録であるから、信じるに足りるであろう。

 彼らは三十分以上、ひたすらに戦い続け、

「敵航空母艦2隻、駆逐艦3隻見ユ」

 を最後の打電とした。

 後に残っていたものは、〈第二十三日東丸〉の破片だけだった。


 余談になるが――。

 戦力の不足を補うために海軍が徴用した船舶は1300隻を超える。

 うち800隻以上が戻ることがなかった。特設監視艇とされた漁船はこのうち400隻ほど、うち300隻以上が未帰還である。

 だが、別の調査によれば、戦争で失われた民間船は1万5000隻以上だとも言われている。これは、海軍が把握していない徴用が無数に行なわれ、そのほとんどが戻らなかったことを意味している。

 〈第二十三日東丸〉の悲劇は、この後の太平洋において繰り広げられる悲劇のほんの一例に過ぎない。

 国のため――

 忠義のため――

 そんなものが、人々のくらしを破壊する理由になるのか、と問うことも愚かしい。

 そういう時代だ、と弁明することも、ただ、むなしい――。

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