第三章

 共通歴1942年の正月から春にかけて、真国軍はおよそ敵なしでその勢力を拡大していた。

 大陸での泥沼の戦争を終わらせることが出来ない二流の軍隊とあなどられていた真国は、新兵器である伽藍人形と、空母による機動部隊戦術、士気の高い精鋭部隊によって戦線を拡大することに成功したのである。

 連合国はこれに対し、ヨーロッパでのドイツ・イタリアとの二正面作戦を強いられ、適切な反撃を行えないままでいた。

 12月13日、香港陥落。

 2月15日には、シンガポール要塞陥落。

 2月28日深夜に行なわれたバタビア沖海戦での勝利は、東南アジア方面での制海権を決定的に真国側に傾かせた。

 3月8日、ビルマの首都ラングーンが陥落。

 4月9日、セイロン島を海軍機動部隊が急襲、伽藍人形の威力をもって英東洋艦隊を潰滅せしむ。

 5月6日、フィリピンのコレヒドール要塞に籠もっていた米軍が降伏。

 ここに、真国が開戦当初夢想した作戦目的は、達成された、といえる。

 日本が戦勝の喜びに沸き立ったのは言うまでもない。

 無論それは、歴史の大きな流れの中で見れば、侵略者同士の殺し合いであり、踏みつけになったのは現地の民衆である。

 が、そのようなことは十年にも渡る長い大陸での戦争の中で窮乏を強いられていた人々にとっては見えてこないことで、ただ、目の前の灰色の生活に曙光が指したということに喜びを覚えるのだ。

 歴史という歯車が動き出してしまえば、そこには善も悪もなくて、ただ機械的に人が死んでいくのだ、とも言える。

 それは無残なことで、どこにも美しいものは、ない。

 が、伽藍人形の輝きは、人の叡智が産み出したものであるように見えたから、その栄光は悲惨さを覆い隠してしまったし、そのことが後のさらなる流血につながっていくことを人々は知らない。


 *


 いずれにせよ――

 この勝利が真国の全力を注いだ一瞬の輝きであることは誰の目にも明らかであった。

 強く燃える炎は早く燃え尽きる。

 おそらくは、西に英米、東にソ連を敵に回しているドイツ・イタリアもそうであろう。

 どれだけ伽藍人形が戦術的勝利を収めたとしても、それは戦略的勝利にはつながらない。

 人口・資源・技術力、いずれにおいても米英が圧倒的優勢にある以上、長期戦になればなるほど敵が有利であることは自明である。

 ではどうするか。

 真国が米国を占領するまで戦うか。

 もちろん、それが出来れば理想ではあろう。

 が、そんな真国ならそもそも開戦には至っていないのである。

 大陸での泥沼のいくさもなければ、外交で資源を締め上げられた上に追い詰められて半ば暴発のように宣戦布告する必要もなかった、ということになろう。

 勝てるなら戦っておらず、勝てないからこそ戦っている。

 その矛盾を覆すための兵器が、精神で物質を覆す伽藍人形に他ならない。

 それを誰よりも認識しているのが、前線で戦い続ける神谷たちであった。

 勝利はさらなる戦場を生み、戦場の増加は戦線の拡大を促していく。

 それだけではない。

 戦線が拡大すれば真国の“占領地”も増え続けていくことになる。

 地図の上が真国の色に塗りつぶされていくことに無邪気に喜ぶ子供たちにとってはいざ知らず、後方の参謀たちにとってそれは悪夢の光景だった。

 本国からの補給線は果てしなく伸び続けていき、その補給線を維持するために“占領地”の治安を維持するための兵員もまた幾何級数的に増大していく。占領した土地の人民を喰わせもしなければならないし、“解放”した植民地の経済は宗主国との貿易に頼っていたのだから、その経済を立て直してやりもしなければならぬ。

 喰わせなければ反乱を起こすのは自明なのだから、やる他にない。が、資源を収奪して戦争経済の釜にくべなければ、崩壊するのは真国そのものである。

(結局のところ――大陸の泥沼から抜け出すためにはじめたはずの戦争が、新しい泥沼を産み出しているのではないか――)

 その恐怖は神谷の足首をがっちりと掴んで話さなかったが、だからといって妻や上官に話せるようなことであるはずがない。

 彼は決定的なまでに誠実な人間なのだ。

 が、その神谷を揺るがす出来事があった。

 帝都空襲である。

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