第二章「ハワイ・マレー沖海戦」③

 共通歴8月9日、つまり神谷が到着したその日は、真国・英国両軍ともに、五里霧中の戦いとなった。

 英国側はマレー方面に展開した真国陸軍への対処のために航空部隊の支援を受けられる状況になく、乾坤一擲で真国艦隊を奇襲する腹づもりでいたから、慎重な艦隊行動を余儀なくされていた。

 一方、真国側もシンガポールを発した英艦隊を捕捉するのに手間取り、ようやく巡洋戦艦〈レパルス〉を捕捉したのが午後五時以降、という混乱ぶりであった。

 夜、しかも熱帯のスコールの下で、両軍は互いの戦力と位置を完全に把握できぬまま、行動を続けていたのである。

 が、午後十時頃には、英艦隊は自分たちが捕捉されつつあることに気付き、船団攻撃は無謀である、という判断をしてシンガポールへの撤退を決める。

 これは、臆病ではない。

 シンガポールの優勢な空軍と合流し、戦艦が要塞の防衛に入れば、それはそれで戦いようはあるのだから、負けではなく、適切な判断である、と言えた。

 真国の偵察機は英艦隊を見失い、じりじりとした時だけが、流れて行く。

 神谷は出撃を待ちながら、南洋の空を見上げていた。

 帝都で見る星空よりもはるかに鮮やかな空は、美しかった。

 人は、あの宇宙にすらたどり着けるかも知れない、と夢見られているのに、こうして戦いを繰り広げているのは、滑稽なことであろう、と思う。

(このいくさが終わったら、梨花にこの空を見せてやろう)

 真国によって平和がもたらされるのなら、そういうこともできるはずだ。あらゆる人が、真国の旗の下で平等に、平和に生きられる世が訪れる。そう、信じている。

 だから、長すぎる待機も、苦にはならなかった。

 生きる目的を与えられた、歓喜だけがあった。

 ただ飽かずに、ずっと星を見ていられた。


 *


「敵主力見ユ」

 その電文が司令部に入ったのは、翌日の午前11時45分であった。

 英艦隊の主力艦、〈プリンス・オブ・ウェールズ〉と〈レパルス〉を索敵機がついに捉えたのである。

「上がれるか」

「もちろんです」

 “大佐”の言葉に、神谷は笑ってうなずいた。

「いいか、神谷少尉。これは戦いの端緒に過ぎない。ここはおまえの命の捨て所じゃない」

「大佐」

「これは勝って当然のいくさだ。わかるな」

「わかります。命の捨て所は大佐が示して下さると感じていますから」

「そうか」

「ええ」

「これを持って行け。せめてもの餞別だ」

 “大佐”が差し出したのは、何やら不思議な素材で出来た箱だった。

「これは?」

「受け取れ。空中でも冷えぬように作った試作の弁当箱だ。熱さを保ったまま、食える」

「……よろしいのですか。そんな贅沢なものを」

「まだ真国にはひとつしかない。うまくやれれば、全部隊に配備する。空でも、北方でも、熱い飯が食えるようになる」

「いいですね」

 それは本音だった。

 大陸の戦場で、固まった飯を食いながら死んでいく兵士たちを見てきたからだ。

 兵に暖かい飯を食わせてやろうとするこの男は、仁愛の風がある、と思えた。

「だから弁当箱は返せ。わかったな」

「了解です!」

 勇躍して、神谷は操縦席へと走った。


 *


 英東洋艦隊が迫り来る真国の爆撃機を発見したのは、午前12時45分頃である。

 たちまちのうちに、熾烈な爆撃と雷撃とが、英艦隊に襲い掛かった。

 英国艦隊の対空砲火は苛烈なものであったが、それ以上に真国側の練度は高く、まず戦艦〈プリンス・オブ・ウェールズ〉に魚雷が命中し、甚大な被害を与えた。

 これに対し、〈レパルス〉はよく戦い、次々と爆撃を回避し、的確な対空砲撃で痛打を与えたが、それも、伽藍人形が到着するまでだった。

「海から怪物が現れた」

 そうシンガポールに打電したのも、無理はない。

 一旦海中に没し、水中から〈レパルス〉に迫った神谷の伽藍人形は、文字通り〈レパルス〉の甲板へと躍り上がったのである。

 英国首相が後に「英国史上最大の悪夢」と呼んだ一日の、それは始まりであった。

 神谷の伽藍人形は応戦する水兵たちを蹴散らし、主砲を粉砕し、対空砲を次々と両断すると、刀を艦橋に突きつけて叫んだのである。

「降伏せよ! しからずんば、小生は〈レパルス〉を沈める覚悟があるッ!」

 神谷は、海軍士官として英語を学んでいる。

 その言葉はたどたどしいものだったが、意図は十分に伝わったようだった。

 伽藍人形の機械仕掛けの瞳を通じて、英国の艦長が、呆然と天を仰いでいるのが見えた。

「兵を無為に殺したいか! 犬死にをさせるか!」

 英国の兵たちは勇敢に伽藍人形に銃撃を仕掛けていたが、そのようなものが伽藍人形を傷つけられるはずもない。

 やがて、水平線の向こうで〈プリンス・オブ・ウェールズ〉が沈んでいくのが見えると、〈レパルス〉の艦長は覚悟を決めた。

 白旗が揚がったのである。

 英国宰相の言葉を回想録から引用しよう。

「なるほど、この日は大英帝国最悪の日であった。もっとも最悪であったのは、この日より事態はさらに悪化しはじめたということで、それに比べれば戦艦二隻が手もなく真国に捻られたことなどは、まったく笑い飛ばすに値することだった。私たちはこれが日没だと思っていたが、実は正午だったのだ。これから本当の意味で我々の落日が始まったのだ……」


 *


 活動写真館は、万雷の拍手だった。

 〈プリンス・オブ・ウェールズ〉の撃沈、そして秘密兵器による〈レパルス〉の拿捕。〈プリンス・オブ・ウェールズ〉から脱出する兵士たちに哀悼の花束を捧げ、水上の兵を討たぬ真国兵の潔さ!

 大勝利! 素晴らしい勝利だった。

 素晴らしい勝利の光景が、ありありと銀幕に描き出されていた。

「あなた」

 感動のおももちで、梨花は神谷の手を握った。

 夫の戦いぶり以上に、武士道の慈悲に溢れたその態度が、彼女を感動させたのだ。

 だが、銀幕に描かれていないものもあった。

 それは散って行った者たちであり、そして、その後に行なわれた血みどろの戦い、“ミッドウェイの戦い”と呼ばれた死闘である。

 それについて、神谷は妻に語ることが出来ないまま、ただ曖昧な笑顔を作って、活動写真館を出た。

「見事な映画だった。あれほどの模型を作った人々は、素晴らしい」

 それが、神谷の感想だった。

 自分たちの戦いをああも真実味を持って伝えてくれる映画人というのも、別の戦いをしているのだ、と思った。

 が、しばらくして、神谷は映画を作った人々が、あまりに真に迫った模型を作りすぎたために国家機密に触れたと疑われ、投獄され、獄死したと聞かされた。

 そのような、暗い時代であった。

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