第二章「ハワイ・マレー沖海戦」①
伊400型は、この戦争に参加した潜水艦の中でも最大規模のものである。全長122メートル、水中排水量6560トンは、破格という他ない。
(こんなものを、我が国は建造していたのか)
それが呉の秘密ドックに浮いている姿は、壮観だった。あたかも、巨鯨が腹を晒しているがごときである。艦の前方の格納庫に、クレーンで伽藍人形が格納されていくのを見れば、その巨大さがうかがえる。
神谷は驚愕を禁じ得なかった。
「本来は、アメリカの命脈を叩くために、爆撃機を搭載してパナマ運河を叩くための船だ」
“大佐”はそう説明した。
「あと四年もしなければ完成しなかっただろうが……そこはいろいろと、な。まあ、大和型が一隻くらい減るかもしれんが、負けるよりマシだろう」
相変わらず男の言うことは要領を得なかったが、神谷は技術屋というのはこういうものだ、と割り切ることにしていた。
「では、伽藍人形はこれの艦載機ということになるのですか?」
「そうだ、神谷少尉」
「ですが……あれの性能なら、わざわざ潜水艦から発艦しなくとも、空母を用いれば良いようにも思いますが」
「そこだよ」
珍しく、“大佐”は苦笑いして頭を掻いた。どうもそこについては聞かれたくない、という顔だった。
「大佐殿?」
「飛べるのは、神谷少尉の伽藍人形だけなのさ。今のところ、な」
「飛ぶものでしょう、あれは」
「そうだが、飛ばんのさ」
「?」
「つまりだ」
“大佐”は大仰に手を広げて見せた。
映画の中の米人のようだな、と神谷は考えた。やはり留学経験者なのだろう。
「伽藍人形は信念で飛んでいる。虚構を信じる力と言ってもいい。少尉の愛国心だな」
「失敬な! 大佐、それは聞き捨てなりません。国や民族は、活動写真や小説のようなものではありません! 形なくとも、そこにあるものでしょう!」
神谷は憤激した。上官侮辱、何するものぞである。譲ってはならぬものがこの世にはあり、その最上のものが国家に対する敬愛である、と彼は考えていたし、それを産まれた時から疑ったこともなかった。
「ああ……すまん。言い方が悪かったな」
“大佐”は素直に頭を下げてくれた。
「いえ」
「少尉の言い方が正しい。つまり、形なきものを信じられる資質、ということだ。この表現でわかってもらえるか?」
「それはわかります。誰もが自分と同じ愛国の情を抱いているとは限りません。愛国心は養うもので、強要するものではありませんから」
占領地で神谷は幾度も、現地人をビンタで殴りつけ、真国への愛国を抱かせようとする者たちを見て、時には制止してきた。子ですら、親に殴りつけられれば恨みを覚えるものなのに、見知らぬ外国人に殴りつけられてどうして愛することができるだろうか。
「もちろん、他の伽藍人形のパイロットにも、愛国心の持ち主を選びはした。が……それが操縦士かというと、別でな」
「アア……」
その説明で、神谷はピンと来た。
伽藍人形の操縦において、操縦桿やペダルというものは、イメージを助けるものでしかない。最終的には、動かせる、という信念こそが伽藍人形を歩かせ、戦わせることができるのである。
が、そこに“飛行”というプロセスが関わると、また別のことが起きる。
人間は三次元空間で機動するように出来ていない。
上下、という概念は重力によってもたらされたもので、首を上下に向けることすら、不得手なのである。
だから、飛行士は最初に何をやるかというと、模型飛行機を自分で作って、手に持って、“飛ばす”のである。
冗談ごとではない。これを最初笑ったり憤激したりしたりして、教官に怒鳴られるところから、飛行士は始まるのである。
模型を手で動かして、上昇とは何か、下降とは何か、どのように舵を切ると機体がどう動いて、それがどう風を捉えるか。それをイメージできるようにならなければ、座学だけで飛行機を動かせるものではない。
そしてようやく離陸できるようになってからも、教官についてもらってほとんど上下の移動を伴わない周回コースを何度も飛んで、ようやく自分が空を飛んでいる、という感覚が掴めてくるのだ。
宙返りのような曲技飛行は、その先の先で、その過程では何人もの友が、みずからの状態を把握できずに、死んだ。
雲に突入したり、背面飛行を行なったり、あるいは長時間飛ばしているだけでも、人は自分が今どういう状態にいるのか把握できなくなる。空と地面の見分けがつかなくなったり、落ちているのか前進しているのかわからなくなって、死ぬのである。
飛行をイメージするというのはそういうことなのだ。
「伽藍人形を歩かせることは想像できても、飛ばせることはできない、ということですか」
「そうだ。ま、せいぜいジャンプさせるくらいのものでな。ゆくゆくは機械のほうで補正をかけて、飛行能力を拡大したいと考えているが……いつになるか見当もつかんな。五十年とか、それくらいの課題かもしれん。それくらい、人が空を飛ぶのは難しいことだ」
「それで……潜水艦から発進するということですか」
「飲み込みが早くて助かる」
つまり、伽藍人形を小型潜水艇のように使おう、ということだ。敵基地の沖合いまでは伊四○○で移動し、そこから伽藍人形を発進させて、敵の港湾地区を叩く。そこから伽藍人形でふたたび母艦に戻る、という戦い方だ。いわば、空中母艦を潜水艦でやろう、というのである。
驚天動地の発想だが、それを言えば伽藍人形そのものがそうだから、その戦い方にもこれまでの常識を覆すやり方が必要となるのだろう。
だが、それが意味するところはひとつしかない。
「対米開戦は避けられないということですか」
「ああ、そうだ」
“大佐”はまるで知らなかったのか、とでもいうような顔をした。
「まあ、初耳でもおかしくはないのか……いやすまんすまん。既定路線だと思っていた。司令長官あたりは頑張っていたからな……歴史の流れが覆せるわけでもあるまいに」
「やれとおっしゃるなら、やるのが軍人です」
「立派だよ、君らは」
わずかに“大佐”の言葉には皮肉の調子があったが、神谷はそれを陸軍が海軍に対するもので、もっと深い意味があるのではないか、と想像することはしなかった。
*
対米戦の開始が決定された時には、神谷はすでにハワイ沖の海中にいた。
それが戦争というものである。
宣戦布告が通達されると同時に、機動部隊はハワイを叩き、同時攻撃でシンガポールを落とす。
そういう段取りだと聞かされていた。
艦内は蒸し風呂のように暑かったが、攻撃開始の命令が下されると、沸き立った。
この時のために鍛え抜いてきたのだ、と誰もが確信していた。
神谷も、ふたりの部下、龍造寺と新見もそうである。
龍造寺は陸軍の出身で、元は戦車兵だ。大陸での戦いでソ連の戦車から直撃弾を受けながら、手榴弾を持って戦車から飛び出し、肉薄攻撃で敵の新型戦車を破壊してのけた、という剛の者である。ひげ面の強面で筋肉質だが、身長が低くダルマのように手足が短いのが、なるほど戦車兵という雰囲気の男であった。よく笑い、よく酒を飲み、海軍の神谷ともうまく付き合ってくれる、そういう人物である。
新見のほうは、一度徴兵されて内地で軍役についていただけの兵士あがりである。ひどく無口なこの男が選抜されたのは、熊撃ちの腕によるものだ。北海道で暴れ回っていた人食い熊を射殺し、その腕を買われて東北でも何頭もの凶暴な熊を殺したという。
(まあ確かに……このふたりに空を飛べ、というのは酷だろうな)
潜水艦の艦内でタバコを吸うわけにはいかないので、三人は黙々と格納庫で酒を飲んでいた。出撃までには覚めるが、多くは飲めないから、ちびちびと、水で割った酒を、やたら塩気のつよい沢庵で飲む。龍造寺に至っては、それでも足りないのか、塩を舐めていた。
「ついに、この時が来ましたな」
龍造寺がそう言った。
瀬戸内海で上陸戦闘の訓練は何度もやってきたが、本番は、この一度だけとなる。
「ああ」
杯を口にし、神谷はあの燃える帝都の光景を思い出していた。
「帝都を燃やしてはならん」
「熊本もです」
「室蘭も」
三人はそれぞれに、それぞれの地獄を見せられていた。
自分たちが敗れれば、あの地獄絵図が現実のものとなる。それだけは許してはならない。海軍も陸軍もそこにはない。階級もない。三人の男たちは、伽藍人形という正体不明の機械に魂を託してでも、国を守らねばならないと考えていた。
まさに、護国の鬼であった。
「いいか、私たちはとうに死んだ身だ。命を祖国に捧げた身だ。だからこそ、命を粗末に扱うことは許さぬ。我らの命は、真国の財産であるからだ。死ぬのは、この戦いに勝利するその日だ」
「もちろんであります!」
龍造寺が唱和し、新見もうなずいた。
それが最後の会話だった。
その後は言葉はいらなかった。
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