第一章「帝都の燃える日」④

 脚立を用いて乗り込んだ操縦席は、狭かった。腹の部分が空洞になっていて、装甲板とシリンダーに取り巻かれた空間に、椅子があって、操縦桿とペダルがある。

(確かに、戦闘機に見た目は似ているが……)

 計器パネルの上から土足であがりこむようにしないと椅子に座れないのは閉口したが、これは試作機ならでは、ということで理解できる。戦闘機でも、操縦士の乗り込みやすさなどはあっという間に犠牲にされて、繊細な翼を踏み潰さないようにしながら、操縦席に転がり込むものなのだから、おかしくはない。

 奇妙なのは、側面に取り付けられたガラスのパネルのようなものだった。

(テレビジョンか……? まさかな……?)

 遠くの映像を活動写真のように映し出すことができるテレビジョンは、次のオリンピックまでに完成させるという宣伝をされていたが、まだ実験段階の装置であり、そんなものを兵器の操縦席に貼り付ける理由がわからなかった。

(だいぶ薄い……中にブラウン管があるなら、テレビジョンはもっと箱型になるはずだ……それに、ガラスにしてはいやに軽く見える。どういう素材なんだ……。アクリルとかに近いものにも思えるが……)

「動かしてみてくれ」

 “大佐”はこともなげにそう言った。

 肉声ではない。驚くべきことに、通信機越しの声である。戦闘機に積まれているノイズだらけの通信機とはまったく違った。クリアそのものの声が、操縦席の壁面に埋め込まれたスピーカーから聞こえてくるのである。

(この技術を米国にでも売れば、戦争などはしなくてもすむのではないか? ハリウッドの活動写真屋は、こうしたものに飛びつくだろうに……)

 そんなことまで、考えた。

「そう言われましても……私はこのような機械は扱ったことがありませんから」

「右のペダルを踏めば、前進する。一歩歩かせてくれるだけでいい」

「機体のバランスは!?」

「操縦桿で取れる。少尉のカンなら、出来るはずだ」

 冗談を言っているのかと思ったが、そこまで言われて、やれないというのは操縦士のプライドに関わった。

「歩かせるだけでしたら」

 ペダルを踏み込む。クラッチも何もないのが不安だったが、ままよ、と考えるしかなかった。航空機のフット・バーのようなものであるのかもしれないが、あれは方向舵を操るためのものだ。

(ままよ!)

 ぐい、と踏み込むと、予想に反して、機体はさほど揺れるではなく、一歩を踏み出した。

 歩く!

 鉄の巨人が、確かに歩いて見せた。

 壮観! というしかない。

 ワァッ! と周囲のスタッフたちの歓声が上がった。

(凄い)

 どのようなエンジンを用いているのかはわからなかったが、確かにこの数トン、あるいは十数トンもある機体を歩かせているのは、素晴らしいものだ、と思えた。

「どうかね」

 “大佐”の声は誇らしげだった。

「すごいものですね」

 それは神谷の素直な感想だった。

 が、だからこそ、誠実であらねばならなかった。

「が、これは、私が扱うべきものではない、と考えます」

「ふむ?」

「私は戦闘機乗りです。両足が大地から離れている限りにおいて、もっとも真国のお役に立てると、そう信じています。この絡繰り人形には、もっと適した操縦者がいるでしょう」

「そうじゃないんだ、少尉」

 “大佐”がかぶりを振る気配がした。

「今、これを動かせるのは、君だけなんだ」

「……仰ることが理解できかねます」

 我ながらシャバっけの抜けない言葉使いだ、と思ったが、そう言う他なかった。先ほど神谷がしたことは、ペダルを踏んだだけのことである。少なくとも健康な兵士ならば、誰であってもそれができよう。

「そのままの意味だ。真国全土を探しても、こいつを動かせるのは君しかいない。本当だ」

「…………?」

 士官にあるまじきことだが、神谷は絶句した。

 目の前の“大佐”が明敏なことも、冗談を口にするような手合いでないこともわかる。本気でそう言っているのだ、と理解できればこそ、神谷は二の句を継ぐことができなかった。

「口で説明するより、体験してもらうほうが早いか」

 バクン! と、操縦席の扉が閉まった。

 真っ暗になったコクピットの中で、鬼火のような光が灯る。

 両脇に二面、それに扉の内側にあったもう一面のテレビジョンが、輝き出したのである。


 *


 それは、地獄絵図だった。

 文字通りの意味である。

 都市の燃える光景だ。

 灼熱の炎が渦を巻いて、風に巻かれて立ち上っていく。

 その下では、炎によって酸素を奪われた人々が、苦悶のうちに、喉を高熱で焼かれながら死んでいくのだろう、と想像できる。

 河が見える。

 隅田川だ。

 一度、妻と花火に出かけたあの美しい河に、ぼとぼとと、黒いものが落ちていく。

 それも、人だ。

 火に巻かれて、水を求めて、飛び込んで溺死をするか、上からさらに飛び込んできた人々に潰されて、圧死をするのだ。

「これは、なんだ!」

 そう、叫んでいた。

 三面のテレビジョンに映し出されている光景はあまりにも鮮明で、天然色で、現実の光景としか思われなかった。

(空を飛んでいるのは……四発の重爆か……? 私が体当たりをしたボーイングのB17タイプ……いや……もっと大きいか……? あんなものを米国は開発しているのか?)

 それがB29と呼ばれる機体であることを、神谷は知らない。

 わかるのは、その漆黒の化鳥のような爆撃機たちは、無数の焼夷弾を降らして、下町の建物を焼いている、ということである。

 軍需工場などはない。

 人々が江戸以来平和に暮らしてきた木造家屋を燃やすために、丹念に準備されたナパームの塊を降らすのである。

 それはバケツリレーなどで消えるようなものではなくて、あっというまに建物や木々を燃やし、防空頭巾に燃え移っては、人を生きたまま苦悶のうちに殺すのである。

「熱いよーッ」

「お母さーーーーんっ」

 そんな悲鳴が、果てしなく響いている。

 必死に広場に逃げた人々を、火炎の嵐が取り囲む。

 逃げ場がないまま、助けが来るのを信じながら、親が子を、子が親を抱きながら、酸欠と灼熱の中で、人々が生きたまま蒸し焼きにされていく。

「あ、ああ……アアアアア……」

 言葉にならぬ怒りがあった。

 灼熱のような涙があふれ出た。

 飛行機乗りである神谷にはわかることだ。

 上空の爆撃機は闇雲に爆弾を落としているのではない。風向きを計算し、燃え移る方向を計算し、人を効率良く焼き殺すように、そういう風に焼夷弾を落としている。

 それは、科学の外道だ。

 ライト兄弟以来、人が空を飛ぶために積み上げてきた計算を、数理を、論理を弄べば、あたかも神になったかのごとく、火の雨を降らして人を焼くこともできる。

(確かに……我々も大陸で都市爆撃をやった……! その罪はわかる……だが……それは、我々軍人の罪だろう! 報復というなら、これは凄惨過ぎる! 罪ならば、俺を裁け!)

「これはなんですか、“大佐”! あなたは、私に何を見せているのですか!」

 そう、叫んだ。

 これが活動写真の特撮、と呼ばれるものでないことは、わかる。

 ミニチュアの街を焼いても、こうはならない。

 そこに映し出されているものは、間違いなく現実だ。そうでなければ、ケロイドで布のように垂れ下がった皮膚を引きずって、水を求めて死んでいく人の姿などは、撮影者が耐えられはしない。防空壕ごと不発弾に潰されて、悲鳴も上げられずに無惨に死んでいく幼い子供たちのことだって……はみ出した脳漿……そんなもの……

「{傍点:昭和二十年}の帝都だ」

「しょうわ……?」

 知らない年号だった。

 改元の時に、そのような年号が候補に挙がったという話を聞いたこともあったかもしれない。

 が、この街が帝都東京であることは、疑う余地はない。

 東京駅の壮麗なドーム屋根だって、燃やされているし、浅草の仲見世に並ぶ屋台も、灰になっていくのだ。

 人で賑わっていた秋葉原の通りは、焼夷弾の作った火の粉が河のようになって、巻き上げられた風が、紅蓮の竜巻になって、すべてを飲み込んでいくのが見える。その炎は、神田明神や、神保町に迫る勢いだった。

(あそこには……私の家がある……!)

 妻が最初に、東京という街を好きになってくれたのが秋葉原だった。神田明神の見下ろす街は、火除けの神に守られているから、安全だといって微笑んでくれた街だ。

 その通りが、人が生きたまま焼かれる悲鳴で埋め尽くされていて、灼熱の炎は紅蓮、という美しいものではなく、ドス黒い煙をあげて、夜空をおぞましく染めているのだ。

「そしてこれが、四年後の未来だ」

「…………!」

「対米開戦をすれば、こうなる。米国の軍事力には、そういう力がある」

 それは、わかる。

 工業力の差があれば、このようなこともやれよう。

 が、やるのか!?

 それをやってしまえるのが人間だ、という事実は、若い神谷少尉には認められるものではない。

「止めたいか、少尉」

「当然です! それが、国を愛するということでしょう!」

「なら、飛んで見せろ」

「!?」

「その少尉の怒りが、“伽藍”に伝われば、ガランドウの機械に、魂が宿る」

「!」

 なぜ、そうできたのかはわからない。

 が、神谷はその時、ただ、叫んだ。

 天に意志あり、地に神々があるのなら、ただ、その非道を止める力を我に与えたまえ、我が魂を砕いて無辜の民を救いたまえ、と願って、いつもそうするように、スロットルを全開にしてみせたのである。

 そこに、理屈はない。

 ただ、祈りがあった。

 石器時代、害獣の侵入に怯え、狩りの成功を祈って、洞窟の壁画に祈りを捧げた人々と同じ、純粋な祈りがあった。

 それは虚構と呼ばれるものかもしれない。

 が、神話、ものがたりが人にとって必要なのは、そうでなければ、生きるということはあまりに無慈悲で辛すぎるからだ。

 愛や正義や希望があると信じなければ、酷薄な宇宙の在り方に押しつぶされてしまうからだ。


 *


 次の瞬間、神谷の前に広がっていたのは、青い空だった。

 見たこともないほど透き通った、青い空である。

 高度計は、一万メートルを指していた。

 現在の日本の戦闘機では、到達できない高度である。

(飛んでいる……!? 飛んでいるのか……!? この浮遊感は間違いない……! が、テレビジョンの映すものが外の景色であるのなら、機体は成層圏の雲の上で静止していることになる。しかも、一秒のうちに上昇して、だ……!)

 あまりのことに、神谷は操縦席の扉を開きたい衝動に駆られた。

「少尉、扉は開けないほうがいい。外は、一万メートルの空だ。飛行機乗りの天国とかには、行きたくないだろう? あのたくさんの飛行機が飛んでいるやつな……」

 “大佐”の声がした。

「私は……飛んだのか……この機体で……」

「そうだ。それは“ガランドール”。人の、物語を信じる力で動く機械だ。虚構の力で現実に勝利するための、希望だよ」

「伽藍……」

 それは、空洞であり、神仏のおわす場所、ということだ。

「今一度問うぞ、神谷新八郎少尉。それに乗って、この真国を救ってみるつもりはないか」

 答えは、決まっていた。

 自分がこのがらんどうのマシンに宿るべき魂ならば。

 それに生命を捧げることが、国を愛するの意味なのだと。

 共通歴1941年の神谷新八郎は、その時、そう信じていた。

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