第一章「帝都の燃える日」③

 通されたのは、格納庫のような場所だった。

 何人もの技術者たちが、神谷と“大佐”のことなど知らぬ気に立ち働いている。

(よい開発チームだな……)

 これは、すぐにわかった。

 それぞれの技術者たちの目が輝いているからだ。

 軍の仕事をやらされている、という空気ではない。

 自分たちが時代のパイオニアとして、新しいことをやっているのだ、という気概が、それぞれのスタッフから伝わってくる。

 そのためなら、登戸のような郊外の研究所から一歩も出られない暮らしも、酷暑の中で鉄板の上に雑魚寝するような生活も厭わない、という情熱である。

 いちいち、上官である“大佐”に敬礼をして騒ぎを起こさないのは、彼らが無礼だからではなく、目の前のことを一意専心で成し遂げることこそが敬意だ、と考えているからであろう。

 事実、スタッフは、神谷たちのことなど知らぬ気に立ち働いていても、ふたりの歩く道を妨害するようなことはなく、ごく自然に、動線に配慮した動きをしてくれるのである。

(尊敬されているのだな……)

 そう、感じた。

 格納庫中に広がる機械は、パイロットとして、最新鋭のテクノロジーに触れているはずの神谷にもほとんど用途が分からぬものばかりであった。が、その工作精度が、日本人の手になるものとは思えぬほど高いことは、わかる。

 日本の科学技術は、進んだものではない。

 ネジひとつとっても、欧米のように完全に規格化されてはおらず、職人ごとの揺らぎがあって、歩留まりがよいとは言えない。エンジンのカウルが寸法通りに作られていることはごく稀で、現場の整備兵がそれぞれのクセに合わせて、漏れるオイルと格闘しながら、飛行機を飛ばしているのである。

 そうなってしまうのは、江戸時代の職人の空気が続いていて、発注通り、寸法通りにものを作る、という考え方が浸透していないからなのだ。

 職人と芸術家が分離していなければ、仕様通りにものを作らないのも、当然ということになるし、定時に出勤させることも、勤務中に酒を飲ませないことも難しい。それもまた、日本の持つ“伝統”の一側面である。

 時計でも家電製品でも、舶来品のデッドコピーしか作れないのが、現実だ。まして、飛行機や軍艦においておや、である。

(それがどうだ……ここのパーツは、まるで鹵獲したアメリカ機のようだ……部品が完全に規格化され、図面通りに組み立てられているのがわかる。それでいて……日本人の丁寧さ、職人の気質のようなものも残っている……)

 神谷は、感動していた。

 通路の脇に置かれた磨き上げられたナットの、完璧な正六角形が削り出されている、その美しさに、泣きそうになる。

(内地では、これほどに切磋琢磨がなされていたのか!)

 このような豊かさを獲得できたなら、自分たちが大陸の泥にまみれた甲斐もある。そう信じられた。

「おいおい、そんなもので泣かれては困るな」

 その有様がよほどおかしかったのか、“大佐”は苦笑をした。

「失礼しました!」

「まあ最初は呆れたよ。こっちはメートル法で発注しているのに、尺貫法で解釈して納品して、しかもその寸法まで合っていないんだからな。メートル法が使われるようになって十年以上経っているのに、コレだ。そりゃあ米英だってヤード・ポンドだが、あちらの職人はきちっと、単位系の中でものを仕上げてくる。国民の科学的な考え方が、遅れているんだな……」

(なるほど……洋行帰りか……そうだろうな……)

 ドイツか、フランスか、アメリカか、どこか先進国に留学をして、きちんと先端の学問を学んだ人間なのだろうと神谷は当たりをつけた。妙な贅沢趣味ともつながる。決定的に裕福な人間なのだろう、と想像させた。

「ま、だがな。日本人だってやりゃあ出来る。細かいものをコツコツ作ることについては、我が国には伝統があるんだからな」

「そう思います。それが大和魂であり、和魂洋才です」

「その精華が、これだよ」

「……!?」

 “大佐”が指し示した先には、巨大な人の姿をした鋼鉄のマシーンがあった。

 全高は、6メートルもあろうか?

 仏像のようにも見えるが、装甲板の打ち出された形や、鋳造のなめらかなラインを見れば、それが戦うためのものだとわかるし、鋲のひとつひとつまで空力を考えて削り込んであるのは、空戦を意識しているのか、と思えた。

 機体の装甲は、派手な赤、白、青の原色で塗り分けられている。これも、試作機だからであろう。その動きをチェックするときに、色分けがきちんと成されていなければ、動作の確認が容易ではないからだ。玩具のように見えるのは、玩具が現実の兵器を模したものから発展したものなので、当然であろう。合理的なものだ。

 が――

 人型は、人型である。

 確かに、前大戦の戦場に戦車が最初に現れた時も、人々はその奇妙な形に驚きはしたが、それにしても、大型作業機械の延長線上にあるものだ、とすぐに理解できるものではあった。

 が、これは違う。

 人の姿をした機械が、実用的なものであるはずもないし、またそもそも、発動機、エンジンと呼べるものが見当たりもしない。それでいながら、関節部のシリンダーなどは異様な精緻さで作り込まれていて、仏像を思わせる美しさすらあった。

(これは、なんだ!?)

 神谷の理解を超えるものであることは確かだった。

 人型という不合理と、人間の叡智という合理。

 そのふたつが、矛盾を矛盾のまま孕みつつ、彼の眼前にただあった。

「これの操縦士を、少尉にはやってもらいたいのさ」

「これを……!? そうは言いますが、私は戦闘機乗りで……」

「愛国者だろう? それが大事なのさ」

「?」

「それに、こいつだって戦闘機の類いではある」

 ますます、言葉の意味がわからなかった。

 百歩譲って、これを歩かせることはできるだろう。もしかしたら、たとえば巨大なロケットのようなものをくくりつけて、“飛ばせる”ことはできるかもしれない。

 が、それは単に一時的に重力の束縛を離れているという意味で、神谷たちがやっている、空を飛ぶという行為とは、違う。パイロットがやっているのは航空力学の精緻ともいうべきもので、風を読み、大気に乗って、自在に三次元の空間を移動する行為だ。そのために必要な揚力、推力というものを、人型のマシーンが得られるはずもないし、得られたとしても、その形はあまりに不合理すぎる。飛行機がどの国でも同じ形をしているのは、それが合理的だからなのだ。

「乗ってみるだけでいい。頼む」

「命令ではなくて、ですか?」

「そうだ。陸軍の俺が海軍の君に命令できるものではない。客人だからな……が、それ以上に、俺は神谷新八郎という男が好きになった。俺の仕事を評価してくれている、と思える。そういう男に、俺の仕事を見てもらいたい」

「…………」

 それは殺し文句だった。

 海軍も陸軍もない。

 同じ男に、日本男児に自分の仕事をわかっている、わかってくれ、と言われるのは、自尊心を震わせるものだ。

「乗ってみるだけでしたら」

 そう言ってしまったのは、そのような由であって、海軍の命令だからではない。

 “大佐”の前髪の奥に隠れた瞳が、自分を見てくれているのを、嬉しい、と感じたからだ。

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