第五話 聖女なら全て解決

 国王が来店した翌日から三日間、クラリスは熱を出して寝込んだ。

 彼女にとって、王族や貴族とのやり取りは相当な精神的負担になった。

 いつもの接客は屋台のカウンター越しで、同じ平民の男性客ばかりが相手なのである。

 しかも、クラリスは若く見た目もいいため、客の方も愛想がよくて商売しやすい。


 そんな中、王族や貴族が突如来店し、屋台のカウンター越しで対応する訳にもいかず、真横について接客するという極度の緊張状態を強いられた。

 王子や令嬢が連日来店して精神的疲労が溜まっていたところに、ダメ押しで国王が来店したため、何とか接客をこなして帰宅まで見送った後にはとうとう緊張の糸が切れてしまったのだ。


「やっと復活できたわ。今日こそはいつも通りの商売に戻るわよ」


 家を出る際に気合いを入れたクラリスは、炭と串打ちした仕込み済みの材料を背負って屋台へと向かったが……。


「ちょっと、何の騒ぎなの?」


 串焼き屋台の大分手前に人だかりが出来ている。

 近くの人を掴まえて様子を聞くと、どうやら人だかりの中心は自分の屋台のようだ。


「すいませーん。ちょっと通りまーす」


 もしや留守の間に屋台へイタズラでもされたのかと、彼女は慌てて人を掻き分けて進むと急に開けたスペースに出た。

 後ろの集団と前の集団との間にスペースが出来ている。

 前の集団をよく見ると、明らかにこの通りの普段の客層とは違うのが分かった。


 仕立てのいい服を着た貴族と思われる人、軽装ではあるが帯剣している剣士、部分的な甲冑を付けた兵士たち、それぞれが集団になっている。


「すみません。ちょっと通してもらえませんか」


 クラリスが集団に申し出てみるが、振り返った数人が彼女を上から下まで見た後、興味なさそうに前を向いてしまった。


「あのっ、屋台で何かあったんですか?」


 ラチが明かないので思い切ってクラリスが状況を聞いたら、貴族と思わしき人から蔑んだ目で見られた。


「お前のような平民が知る必要はない」


 取り付く島もない返答だが、相手が貴族であれば答えてくれただけマシだ。

 とにかく屋台までたどり着かねばと、頑張って食い下がる。


「すみません。私、屋台まで行かなきゃいけなくて」

「今取り込んでいるのが分からんのか! 通すのはこの事態を収拾できる屋台の店主だけだ。いいから他所へ行け」


 しっしと片手を払って追い払おうとする。


「そ、その屋台の店主がなんですよ!」


 彼女が必死に訴えると貴族は目を丸くした。


「ほ、本当か! で、では貴女がクラリス様!?」


 クラリスの名前が出た途端、周りの貴族や剣士、兵士が反応した。

 皆で顔を見合わせるとさっと人垣が割れたではないか。


「ど、どうぞお通りください」


 通り道を作った貴族や兵士たちが、口を揃えて屋台へ行くことを促す。

 もう彼女には嫌な予感しかしない。




 せっかく、疲れが取れて熱が下がったのに……。

 奥にいるのは王子殿下かしら、それともアンジェリク令嬢? 

 まさか、また国王陛下が来てる訳ないわよね?

 に、逃げたいかも……。

 でも、皆の商売に迷惑かけてるし、私がこの事態を収拾しないと……。




 商売の荷物を背負ったクラリスは、やっとのことで人垣を抜けると屋台の前にできた小さなスペースに出る。


 とたんドレスを着た女性が駆け寄ってきた。


「クラリス! 貴女、体は大丈夫ですの?」


 アンジェリクに声を掛けられ両手を握られたクラリスは、この騒ぎの原因が彼女によるものかと納得しかけたが、辺りを見回して違うのに気付く。

 上下白のジャケットを着た金髪の青年が一歩前に出たのだ。


「熱を出して倒れたとスミスに聞いたが、もう仕事をして平気なのか?」


 アルフォンスが心配そうにクラリスの顔色を伺った。

 貴族令嬢と王子がいるから騒ぎが大きくなったのだと彼女は理解したが、王子の後ろにいる人物を見つけて、その認識に不足があると気付く。

 その人は濃い赤と黒で彩られたジャケット姿の男性、落ち着いた雰囲気の漂わせながらゆっくりと口を開く。


「心配したが、流石に自宅へ見舞うのは遠慮した。ここで貴女が出勤するのを待っていた」


 エドワールはクラリスの近くまで来ないものの、その穏やかな口調からは本当に彼女を気遣っているのが感じられた。




 いやいやいや、おかしいでしょ!

 心配してくれるのは嬉しいけど騒ぎを大きくし過ぎよ。

 大体、ちょっと串焼き食べて一緒にお酒を飲んだだけで、平民の私相手になんで王族や貴族がここまでするの?




「病み上がりなのに押しかけて悪かったわ。でも私の苦悩を理解してくれる優しい貴女は、かけがえのない存在なの。とても心配だったから……」


 アンジェリクはクラリスの手をもう一度握ると顔を覗き込んできた。


 心から心配してくれるアンジェリクを見たクラリスは、日々辛い思いをしていた彼女が自分を本当に必要としているのだと感じた。


 とはいえ、王族である国王と王子が自分をここまで心配する理由が彼女には分からない。

 何かあるかもしれないが、とりあえず事態を収拾することにした。


「わ、私はもう大丈夫です。あの……、おもてなしの準備をしたいのですけど、その前にみなさまにお願いが……」

「何でも言って欲しい。私と父上ならば大概のことはできる」


「すみませんけど、他のお客さんや屋台の店主たちが困っているので、側近の方以外は違う場所での待機をお願いできますでしょうか」


 クラリスの頼みを聞いた三人は、表情をハッとさせて互いに顔を見合わせた。

 三人ともどうやら他の利用者のことなど全く考えていなかったのだろう。

 王族や貴族からすれば、自分たちは特別な存在であって、平民相手に我慢を強いるのをわざわざ気にしないからだ。


「アルフォンス、アンジェリク侯爵令嬢。従者と護衛を一人ずつ残して後は他所で待機させなさい。サロモン、余の従者たちもそうするように」


 国王が指示を出したお陰で、だれも逆らうことなく事態が収拾した。

 今この場にいるのは、国王、王子、令嬢とそれぞれの従者サロモン、ヘムンズ、マチアス、それに護衛たちで計九名となった。


 平民のやじ馬たちが遠巻きに見ているが、これはもう仕方がないだろう。

 屋台通りに王族と貴族令嬢がいるのだ、どうしたって気にする人はいる。


「国王陛下、王子殿下、アンジェリク様、ありがとうございます。じゃあ早速、串焼きの準備をしますね」


 クラリスが屋台に入り、焼き台に炭を入れて火おこしを始めると、アンジェリクがエドワールとアルフォンスの方を向いた。

 何か決意を感じさせる表情だ。


「陛下、アルフォンス殿下、私もご一緒させていただくこと、お許しください」


 国王が笑顔で答える。


「元よりそのつもり。気にすることはない」


 王子はというと、少し表情を曇らせたので彼女が同席するのは気が進まないようだ。

 婚約者候補の女性がそばに居ては、気まずい理由があるのかもしれない。


 三人は仲良く屋台の丸椅子に座った。


「さて、アルフォンス。クラリスが来たら余に言うことがあると言っていたな」


 アンジェリクのことを気まずそうに見たアルフォンスは、それでも意を決したように口を開く。


「父上、私は真実の愛を見付けました。クラリスを私の婚約者にしたい」


 屋台で焼きに入っていたクラリスが驚きで動きを止める。

 聞き間違いかもしれないと会話に集中した。


「待て待てアルフォンス。急に何を言っている?」

「私は彼女を好きになりました!」


「確かに彼女は魅力的だ。余もそう思う。だが平民だ。我々王族と彼女にはどうにも出来ない身分という壁がある」

「それは、承知しています。ですが、……ですが平民であっても、彼女が伝説の存在ならば逆に王家こそが相応しいはずです!」


 勝手に話が進んでいくのをどうにも耐えられなくなったクラリスが、焼き台でブタバラ串を焼きながら口を挟む。


「で、殿下。殿下が私を好いてくださるのは身に余る光栄です。ですけど、私はただの平民なんです」

「そうですわ、アルフォンス様。それにクラリスが殿下に嫁いでしまっては、もう彼女と気軽にお話が出来なくなるではありませんか」


 クラリスは意見に同調したアンジェリクの態度に違和感を覚えた。

 何故か彼女が王子と婚約するために言っているようには聞こえなかった。

 まるで王子との婚約に興味がなくなったように感じたのだ。


「このヘムンズは反対ですな。串焼き屋の平民女と王族が婚姻するなど、他の貴族が黙っていませんぞ」


 屋台の丸椅子に座った王子は、従者であるヘムンズの意見を聞くと険しい表情で彼の方を見た。


「だから言っているだろう。彼女が伝説の存在なら逆に王族こそが相応しいと!」

「一体何をおっしゃっているのですか?」


「お前も見たはずだ。クラリスが串焼きの調理で出来たヤケドの痕を消すのを」

「あの手品が何なのです?」


「手品ではない。彼女の手が青白く光っていただろう。あれは聖属性の回復魔法だ」

「な、なんですと!?」


「父上、皆の者、彼女こそ伝説の聖女様だ。さあ、これで身分の問題はないだろう?」


 国王を含めその場にいた者たちが口を閉じ、静まり返った。

 屋台で串焼きを調理しながら話を聞いていたクラリスは、理解が追いつかなかった。




 え? 聖女様!? まさか私のこと!?




「アルフォンス、お前はクラリスが回復魔法を使うのを見たのだな?」

「ええ見ました。確かに自分の手のヤケドを回復していました」


「なるほど。クラリスが伝説の聖女様ということならば、余との身分の壁もなくなるのか……」

「ち、父上?」


「だが、その程度の回復魔法は王室魔導士でも可能だぞ」

「そ、それはそうですが……」


「もし伝説の聖女様なら、過去に受けた深い傷ですら治せるというが……」

「ふ、古い傷など治せるのですか?」


「クラリス、すまないが手を止めてこちらに来てくれないか」

「な、何でしょう陛下?」


 クラリスが国王のそばに行くと、自分の後ろに立つ片腕の従者サロモンを彼女の前に立たせた。


「彼はサロモン。十年前、余が隣国の暗殺者に襲われた際、命を張って守ってくれた。そのとき顔に深い傷を受けて右腕を失った」

「そんなことが……」


「すまぬが彼の顔の傷を治療してみてくれぬか。腕が戻らなくとも、せめて顔の傷は元に戻してやりたいのだ」

「クラリス殿。十年前の傷です。もうあきらめておりますゆえ、上手くいかなくてもお気になさらずに」




 父さんの古傷を消したことがあるからたぶんできるかな。

 でも腕が無いのはもっと可哀そう……。




 クラリスはサロモンの顔に刻まれた古傷を見る。

 額から両目の間を通り頬に抜ける、大きく斜めに刻まれた刃物による古傷だ。


 彼女は両手を古傷にかざすと目を閉じた。


 手の平が青白く光り輝きサロモンの顔を照らす。

 徐々に古傷が薄れていき、五秒ほどで彼の顔には傷跡など最初から無かったように綺麗になった。


「!!」


 その場にいた者たちは言葉を失った。


 場の様子を感じ取ったサロモンが恐る恐る左手で顔を触り、驚きの表情を浮かべる。


「ク、クラリス殿! ありがとうございます!」

「喜んでいただけて良かったです」

「おお、サロモンの傷が消えた! 良かった、本当に良かった!」


 国王が手放しで喜ぶとヘムンズが口を挟んだ。


「大変喜ばしいことですが、これで聖女様と言うには少し足らぬかと……。古傷も元々治療された痕ですし。アルフォンス殿下、聖女様の伝説には奇跡を起こして、失った手足を復元させたとあるのですぞ」

「何を言うかヘムンズ。サロモンの顔が元に戻るだけで十分奇跡ではないか!」


「私は貴族と平民の壁を覆す例外を簡単に認めるべきでない、と申し上げているのです。もし例外とするなら、貴族、平民の全て、国民全員が認めるような奇跡でなければ。そうでなければ、今後、同じようなことを主張する輩が出てきてしまいます。だから、例外を認めるなら伝説と同じように手足を復元する程でなければ! まあ、流石に部位欠損を治すのは無理だと思いますがね。つまり、それくらい身分制度とは厳格であるべきでして……」


 ヘムンズがとうとうと自分の考えを述べる間、クラリスはサロモンの切断された右肩あたりを触っていた。




 ダメで元々。

 少しでも良くなれば……。




 目をつむったクラリスが口を強く結んで両手に力を籠めると、彼女の手を中心に激しい光が放たれた。

 同時に大気がビリビリと震え、風が巻き起こる。


 彼女の白い三角巾は風に飛ばされて何処かへ飛んで行った。

 お団子が解けて彼女の長い銀髪が風でなびくと、青白い光に照らされてキラキラと神秘的に輝く。


 サロモンの右肩からは、本来そこにあろう腕が霞のような半透明の状態で現れると、徐々に色付いて実体化していった。


 国王、王子、侯爵令嬢とその配下だけでなく、平民のやじ馬たちも含めたその場に居合わせる誰もが、固唾をのんで見守った。


 見守る者には長い時間、実際は一分程掛けてサロモンの右腕は実体化した。

 サロモンは無言で自分の右腕を見つめると指を曲げ伸ばし、肘を曲げ伸ばし、遂には肩を回した。


 皆が見守る中、サロモンが静かに口を開く。




「へ、へ、陛下。腕が……治りました……」

「ああ、ああ! 良かった……本当に良かった、サロモン!!」




 ウ、ウオオオォォーー!!!!


 歓喜が爆発した。

 奇跡を目の当たりにした者たちは、互いに顔を見合わせて感動を分かち合った。


「そ、そんなまさか……。失ったものが戻るなど……。部位欠損が回復するなど……。それではもはや、伝説そのものではないか……」


 ただ一人、ヘムンズだけは目を見開き棒立ちで固まったまま、ぶつぶつと呟いていた。


 ドサッ。


 皆が歓喜に震える中、銀髪の聖女は力を使い果たしたのか、崩れ落ちるように倒れた。




次回、「最終話 三つどもえ」

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