第四話 連れ合いを失って

 翌日、クラリスは仕込みの量を少なめにした。

 どうも嫌な予感がしたからだ。


 幸い、アルフォンスの金払いはよかったし、アンジェリクがスミスへ払った酒代も紹介料としてクラリスにキックバックがあったので、ここ三日の収入は悪くない。


 彼女としても今後の商売を考えると、貴族と繋がりが出来るだけでなく、貴族相手に接客も経験できたので貴重な体験ではあった。


 とはいえ、彼女は今回の騒動が何だかこれで終わらない気がしていた。

 

 そしてその予感は見事的中する。

 四度よたび、彼女の屋台の横に馬車が止まったのだ。

 今度は王子かな、それとも令嬢かなと冷静に馬車を見ると、明らかにアルフォンスの馬車よりも大きく豪華なのが分かった。




 お、王子殿下より豪華ってもしかして……。

 でもそんなはずは……。

 だってここは屋台通りよ……。

 流石にありえないわ……。




 彼女は馬車が止まる前に騎馬が四騎も通ったのを思い出す。

 そこまで厳重に警備するとなると、もう思い当たる人物は一人しかいない。


 馬車の前後で騎馬していたであろう兵士が八人駆けてくると、馬車の扉を挟むように片側四人ずつ並ぶ。

 御者がうやうやしく扉を開けた。


 落ち着きのある細身の男性がゆっくり降りてくる。


 濃い赤と黒で彩られたジャケット、肩や胸には煌びやかな装飾と王家の紋章、シャツの襟には金の刺しゅうがされている。


 クラリスにはこの男性の見覚えがあった。

 二年前に王妃が病気で亡くなって、国葬で泣き崩れていた姿が記憶に残っている。




 エドワール十三世。

 間違いない、現国王だわ。

 王子殿下の父親だけあって凄い男前。

 思ってたより若いのね、三十五歳くらいかしら。

 確か王妃様を亡くされて今も独り身のはず。




 彼はゆっくりと歩くとクラリスの屋台の前で立ち止まった。


「少し尋ねる。串焼き屋というのは何処か?」


 火おこしの準備を止めて様子を見ていたクラリスは固まった。

 正確には馬車が到着したときからずっと固まっていた。

 まさかありえないと思いつつも、強い確信をもって予想した人物が目の前に現れたからだ。


 いくら予想が的中したといえ、だから彼女が冷静でいられるという訳ではない。

 明らかに自分に話し掛けていると分かっても、それでも信じられなくて左右を確認する。


「君に言っている」

「は、はいっ」


 屋台からカウンター越しに話す訳にもいかず、緊張しながら店の前に移動すると知識で知っていた淑女の礼をしてみる。


 それを見たエドワールは微笑んだ。


「よいよい、礼など気にするな。それより息子から聞いた串焼き屋を尋ねて来たのだが、もしやこの屋台か?」

「は、はい。私の屋台で串焼きを出してます」

「そうか。じゃよろしく頼むぞ」

「……」




 へ?

 何が?

 何がよろしくなの?




 何を言われているか分からず、クラリスはきょとんとした。

 そばで様子を見ていた従者がクラリスの近くに寄ってくる。


 従者は顔に深い傷があってしかも片腕。

 クラリスは彼がどんな壮絶な過去を経験しているのだろうと震えた。


「陛下は下町の様子を視察されている。特にアルフォンス殿下が推薦された串焼きを召し上がりたいそうだ」


 状況を理解したクラリスは、恐る恐る国王に一番上等な丸椅子を出した。


「こ、こちらへどうぞ」

「うむ」


 出された椅子に国王が普通に座ると、さっきの従者も隣に座った。


「初めての料理は楽しみでございますな」

「サロモンも食べたことがないのか。まあ、庶民の料理とはいえ息子があれほど勧めるのだ。美味しいのだろう」




 か、か、勘弁してよ!

 ここは平民向けのただの屋台なのよ!

 なんで国王陛下が丸椅子に座ってるのよ!

 周りは兵士が取り囲んでるし!

 スミスさんなんか、さっき出勤してきたと思ったら屋台の後ろに隠れるし!


 もうこうなったら……道連れにしてやる!




 白の三角巾を締め直したクラリスは、覚悟を決めると国王と従者に確認をとる。


「それではこちらでお勧めの料理をお出ししますね。あと、串焼きにはお酒が非常によく合います。エールが一押しですがそれで良いでしょうか?」


 国王と従者が頷いたのでスミスに声を掛ける。


「屋台の裏で作業中のスミスさん! 国王陛下がエールをご所望です! こちらに二つお願いします!」


 隣の屋台に大きめの声で伝えたクラリスは、開き直って焼きの準備を始める。


「こ、こ、こ、国王陛下! エ、エ、エールでございますだ」


 クラリスの耳にスミスの震える声が聞こえたが、無視して自分の仕事に専念することにした。



「なんと、十六歳から店主なのか!?」

「はい陛下。私、接客も料理も大好きなのでお客と距離の近い串焼き屋台に弟子入りしたんです。この子は師匠から引き継いだんですよ」


 クラリスは屋台のカウンターを撫でながら、内心なんでこんな状況になったのかと考えた。


 今、彼女は国王の横に置かれた丸椅子に座っている。

 しかもエールのジョッキを持って。

 つまり、彼女は国王と屋台のカウンターで串焼きを食べながら、エールを飲んでいるのである。


「このネギマというのが存外よいのう」

「陛下、このスナギモというのも」


 国王陛下と貴族の従者という二人に串焼きが通じるか心配だったが、幸いにも相手は中年男性、がっちりとハートを掴むことが出来た。


「しかも調理するのがこのような若き女性とは……。ん? 額と鼻が煤で汚れているではないか」


 そう言った国王は胸ポケットからハンカチーフを取り出した。


「これを水で濡らして拭くがよい」




 あ、なんかデジャブ?

 違う! 王子殿下が同じこと言ったんだ。

 流石親子だわ。




 変なところに感心したクラリスだが、国王のハンカチーフを受け取るのは当然にためらった。


「陛下、それなら私のハンカチーフを!」

「待て、私がカッコつけたいのに口を出すんじゃない」


 国王にこうまで言われて申し出を断るのは逆に失礼と、丁寧にハンカチーフを受け取るとカウンターに置かれた水差しで濡らした。


 ふと彼女がエドワールを見ると、アルフォンスと同じように口元が汚れていた。

 王子のときは自分の弟を世話してきたように無意識で口元を拭いてしまった彼女も、相手が国王となると流石に自制が効いて手は出さなかった。

 だが、この汚れた口元に気付きながら帰しては、それも国王に申し訳なく感じた。




 王子殿下のときは無意識に失礼なことをしたけど、流石に陛下相手だと私もそんな不敬はしないわ……。

 ……でも待って! 

 口元の汚れを知りながら放置した方が、逆に不敬に問われたりしないかしら。

 なら、ちゃんと断ってから拭くのがベストかも。




「陛下、失礼します」


 彼女はそう言うと国王の口元をそっと拭った。


 エドワールは一瞬何をされたのか分からない表情をしたが、それが串焼きを食べた汚れを拭われたと気付いたようで顔を赤くした。


 彼の反応を少し可愛いと思った彼女は、顔の煤汚れを拭くために三角巾を外したのだが、その拍子で纏めていたお団子が解けてしまった。


 さらさらと綺麗な銀髪が広がった。

 腰まで伸びる彼女の髪は品があり、エドワールとサロモンは心を奪われたように見入った。


 額と鼻の煤を拭きとったクラリスは、顔の汚れを拭く姿を一部始終見られたと気付くと、恥ずかしそうに顔を赤くして視線を逸らした。


 見入っていた国王と従者も、彼女に気付かれたため慌てて目を逸らしていた。



「クラリス、今日は世話になったな」

「いえ、私も国王陛下とお話が出来て幸せでした」


 笑顔で頷いたエドワールは、一瞬だけ戸惑いの表情を見せてからクラリスに尋ねた。


「貴女には、心に決めた人というのはいるのか?」

「? お恥ずかしながらいないのです。二十二歳になる今まで仕事に一生懸命でして……。でも私もいつかは、素敵な人と一緒になりたいです」


 彼女の返事を聞いた国王は、ふむと意味深に頷いてから「また来る」と言い残すと、従者と共に馬車で去って行った。


 隣の屋台から顔を出したスミスが、辺りに誰もいないことを確認してから疲れ切った顔でこちらにやって来た。


「うへぇ。今日は国王陛下かよ。しかもまた来るって言ってなかったか? クラリス、もう勘弁してくれよ」

「ちょっと! これの原因って私な訳? 私だって勘弁して欲しいわよ」


 スミスと愚痴をこぼしながらクラリスがカウンターに目をやると、さっき国王に借りたハンカチーフが目に入った。


「あ、陛下にハンカチーフを借りたままだった。っていうか預かってるハンカチーフ、とうとう三枚になっちゃったじゃないの。どうすんのよこれ」


 屋台のカウンターの隅には、アルフォンス、アンジェリク、エドワールの三つのハンカチが仲良く並んでいる。


 疲れ切った彼女は両肩を落としてふうと息をついた。




次回、「第五話 聖女なら全て解決」

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