第三話 嘆きの令嬢

 翌日、クラリスは気合いが入っていた。


 昨日は王子が再び訪れて、一緒にエールを飲んで酔っ払ってしまい仕事にならなかったのだ。

 そこで今日は大好きな接客を頑張り、昨日の稼ぎを取り返そうという訳である。


 腕まくりをした彼女は、いつものように炭をくべると火おこしに取り掛かる。

 すると、またも間近で馬の蹄音が聞こえた。


 クラリスはドキドキしながら大通りを見ると目を見開いた。

 三度みたび、屋台の横に馬車が止まったのだ!


 まさか、また王子が来たのかと一瞬クラリスは考えたが、これまでと馬車が違うようだ。

 年配の御者が扉の前に移動して丁寧に開けた。


 馬車から出て来たのは、ドレスを着た令嬢。

 年の頃二十歳前で端正な顔立ちに少し鋭い目、綺麗な白の手袋、つばの大きな帽子を被っている。

 年配の従者が手を取ると、彼女はタラップから歩道へ優雅に降り立った。

 帽子の陰からは綺麗な金髪が見えている。


 令嬢はつかつかと屋台の近くまで歩いてくると、腰に手を当てて通りを見渡した。


「汚いところですわね。ここは一体何なの!? ねぇ! 本当にこんな場所であっているの!?」


 屋台の店主や通行人がいるのもお構いなしに、思った印象をそのまま口に出しているようだ。


「確かにこの通りとヘムンズ様から聞いております。……あのアンジェリクお嬢様。何かあっては困りますので、お早く馬車にお戻りいただけますでしょうか」


 年配の従者がとても周りを気にしている。

 彼女の不用意な発言で、敵意を持った者たちから冷たい視線が注がれているからだ。


「何言ってるのマチアス! まだ何も出来ていないじゃないの。この通りにアルフォンス様をたぶらかす平民女がいるんですよ!」

「お嬢様、殿下はただ串焼きを食べに来ているだけの様でして……」

「違いますわ! そんな下賤な食べ物を殿下が気に入るはずがないもの。絶対に平民女が殿下を誘惑しているのですよ」


 串焼き屋の前で喚き散らされて、この場所だけ通行人が避けて通っている。

 これではとても商売どころではない。


 クラリスはアンジェリクが探す女が自分だと気付いたものの、黙っていても特定されるのは時間の問題だし商売を早く再開したいので、あえて無関係を装って近づいて彼女を帰らせることにした。


「あの、一体どうされたのですか?」

「何あなた。別にあなたに関係ないでしょ。あ、丁度いいわ、ちょっと教えなさい。人を探しているのよ」


「誰でしょうか?」

「女よ。名前までは分からないけど」


「そ、その女が見つかったらどうされるのです?」

「フン! 罪をでっちあげて吊るし上げに決まっていますわ! 平民女の分際でアルフォンス様を誘惑して、婚約者候補の私の邪魔をするんですから」




 ……やばい。

 対応を誤ったら、貴族に罪をでっちあげられて吊るされる。

 ここは慎重に……。




「もう少し事情をお聞きしたら手がかりが分かるかもしれません。こちらに座ってください」


 クラリスが一番上等な丸椅子を進めると、アンジェリクは相当な拒否感を示したが、他に糸口もないので結局は座った。



「それで、アルフォンス様ったら昨日も一昨日も下町で食べた串焼きの話ばかりなさるの」


 最初は屋台の飲み物など飲めないと喚いていたアンジェリクも、女性向けの甘めの果実酒を気に入って結構な量飲んでいた。


「王子殿下は他に何か話されてました?」

「いーえ。串焼きの話ばかりよ。あそこは面白いところだとか、串焼きがエールと合うとか」


「串焼きと探している人は関係があるのですか?」

「それは不明よ! でもアルフォンス様は思慮深い方ですの。本来であればこんな路地には一生来ないはず。なのに二日も連続で来たということは、これは絶対女ですわ」


「こ、根拠は?」

「女の勘ですわ!」




 だめだ……。

 勘が根拠じゃ、誤魔化すのは難しいよ。

 もう彼女を酔い潰すくらいしか、対処が思いつかない。




「……スミスさん! アンジェリク様におかわりを」

「あ、待って。どうせなら別の果実酒も試してみますわ。それにドライフルーツとチョコもいただける?」


「アンジェリク様って王子殿下とよくお話をされるのですか?」

「そりゃ、婚約者候補ですもの。他の候補たちに負けないように毎日話し掛けますわ」


「でも、男の人って何考えてるか分からないところがありませんか?」

「そうなのよ~。ドライなのかなと思ったら、意外なところで妙に固執してこだわってみたり。その辺が私には分からなくて……」


 少し元気なくアンジェリクが答える。

 クラリスは周りが敵ばかりの毎日を過ごすなんて、さぞ大変だろうと同情した。


「ライバルの婚約候補者がいる中、本当にご苦労されているのですね」

「そうなの! クラリス、あなたは私の大変さを分かってくれるのね!」


「あ、新しいお酒がきましたよ。この柑橘系のお酒もさっぱりして美味しいんです」

「ありがとう。ねぇ、あなたも一緒に飲みなさい。ご馳走しますわ」


「え、いや、この後仕事があって……」

「はあ? 私とのお酒を飲めないと言うの?」


「そ、そういう訳じゃ……。じゃ、じゃあエールで……」

「それでいいのよ。ねぇスミス! クラリスにエールをくれるかしら」


 アンジェリクに見えないようにクラリスが頭を下げてスミスへ詫びると、彼は気にすんなという感じで顔の前で手を軽く振った。



「うぇーん、クラリス。私毎日辛いのよー。でもずっと一人で抱えてて……」

「本当にお辛そう」


「なのに今まで悩みを聞いてくれるお友達がいなくて……」

「女性の悩みは女性に相談したいですよね」


「貴女は聞いてくれるの?」

「ええ喜んで! 私で良ければいつでもお話をお聞きします」


「本当?」

「ええ。でも私は平民です。アンジェリク様と一緒にいてもいいのでしょうか」


「か、かまいませんわ! 身分は違えど大切なお話相手ですもの」

「嬉しいです。私は晴れの日なら、いつもこの場所にいますから」


 飲み始めて三時間。


 ベロベロに酔っぱらったアンジェリクは、マチアスに支えられて馬車に乗って帰って行った。


 今日も仕事前からたっぷり酒を飲んで酔っ払ったクラリスは、もうとうに昼を過ぎて日差しが傾き始めたことに愕然とした。


「ま、まあ、今日は我が身を守るためだから仕方ないか……」


 彼女が自分に言い聞かせるようにつぶやくと、すかさずスミスが突っ込んだ。


「贅沢言うな。二日もただ酒が飲めたんだろ? いいじゃねえか」

「……いくないっ!」


 せっかく朝から串打ちをしてきたのに、仕込みがまた無駄になってしまいそうだ。

 しかも今日は最初からアンジェリクの相手をしていて、一本も焼いていない。


 彼女がやるせなさそうに屋台へ目をやると、カウンターに畳んで置かれたハンカチーフが目に入った。




 あのハンカチーフ、彼女の忘れ物よね……。

 王子殿下から借りてたハンカチーフを返せてないのに増えちゃったじゃない!

 そうだ、今度どちらかがまた来たら、渡してもらおうっと。




 そんなことをすれば、クラリスがアンジェリクの探す女だとバレるのに、酔っ払った彼女の頭はちっとも回っていなかった。





次回、「第四話 連れ合いを失って」

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