第二話 聖女の片鱗
翌日、朝に仕込みを終えたクラリスが、串焼きの素材や炭を持って屋台のある通りに出勤した。
夜の間は屋台を閉じて固定し、火事にならないように燃えた炭や灰を持って帰る。
屋台は何かあれば動かせるが、場所取りの意味も兼ねて同じ場所に置いたままである。
そして付け火や盗難がないように、店主同士で自警団を作って交代で夜警しているのだ。
炭おこしに時間のかかるクラリスと違って、立ち飲み屋のスミスは少し遅れて来る。
酒を飲む客は午後がメインだからだ。
「昨日はびっくりしたわ。一応洗濯はしてきたけど、流石にもう会う機会はないかな」
そう言って、王子から渡されたハンカチーフをカウンターに置いた。
彼女が焼き台に炭をくべて火をおこしていると、馬の蹄音が聞こえて彼女の屋台の横に馬車が停車した。
昨日と同じ状況に驚いたクラリスは、馬車を凝視した。
まさか、まさかと驚く彼女の前で、昨日のデジャブのように御者が馬車の扉を開けた。
開かれた扉の奥から出て来たのは、やはり白のジャケット上下に金髪の凛々しい青年でタラップを踏み歩道に降りた。
アルフォンス王子である。
そのまま屋台の前まで歩いてきて止まった。
「早速違う味の串焼きも食べに来た」
そこへ慌てて駆けつけてくる二人。
昨日より一層気難しそうな顔をしたヘムンズと軽装の護衛騎士だ。
「殿下! 本日は重要な会議がありますぞ。早く戻りましょう!」
「会議は昼過ぎであろう」
「ですが、昼食の時間も考えますと……」
「だから、昼食は串焼きにすると言っているだろう?」
「なんと! あれは冗談ではなかったのですか!?」
ヘムンズがあからさまに落胆を見せた。
どうやら今日も昼食に串焼きを食べると王子が言い出したらしく、従者の昼食時間も王子と同じせいで巻き添えになるようだ。
「私は殿下とご一緒に串焼きを食べられるのが楽しみです」
従者と違って護衛騎士の方は、にこにこと笑顔だ。
どうやら今度は、彼も一緒にクラリスの串焼きを食べるらしい。
「まだ焼けていないようだが早く来すぎたか?」
あっけに取られていたクラリスは、アルフォンスに声を掛けられて我に返る。
「い、今、火おこしが終わったところです。急いで焼きますね!」
仕込んできた串を何種類か慌てて焼き台に並べる。
「味付けは昨日と変えましょうか?」
「ああ、任せる」
王子は返事をすると昨日と同じ丸椅子に座ってから、ヘムンズを見上げた。
座れと目線で指示された彼は、あからさまに嫌そうな表情をしたが王子の指示に逆らえるはずもなく、しぶしぶ椅子に座った。
護衛騎士は座らずに姿勢よく立ったまま、周囲を警戒している。
「はい、焼けました。左からブタバラ串、トリモモ串、トリカワ串です。今日は全部塩味にしました」
彼女は串焼きを一本ずつ木皿に並べると、王子の近くまで移動して説明した。
串焼きを見た王子は口元を狭めてほほうとつぶやいた後、ブタバラ串から噛り付いた。
「し、塩も美味しいではないか! なんともこう肉の旨味が引き立つというか」
「みなさまも王子殿下と同じにしました」
同じ串を盛った木皿を彼女が従者と護衛騎士に渡す。
「わ、私は戻って食べるからいらん……」
「ありがとうございます! いただきます!」
ヘムンズは意地を張って木皿を持ったままじっと見ているが、護衛騎士の方は大喜びで串焼きに齧り付いた。
「美味い! 私は串焼きと言えばいつもタレ串ばかりでしたが、ブタバラ串は塩が合いますね!」
その護衛騎士の反応にクラリスも笑顔になる。
「塩は素材の味が引き立つんです。仕入れに自信のあるうちの屋台では塩もお勧めなんですよ」
アルフォンスがクラリスを見上げる。
「このへにょへにょとしたものが折り畳まれて刺さっているのは何だ?」
「ああ、それは鳥の皮です。美味しいですよぉ」
「か、皮……」
王子が気味の悪いものを見るように眉をしかめる。
「き、貴様、無礼な! 殿下に何というものを食べさせる気だ!」
ヘムンズが憤慨して立ち上がるもアルフォンスが制する。
「いや、待て。美味しいから出したのであろう?」
少し不安げに彼女を見上げた。
「もちろん美味しいです。あ、スミスさんが来た! やっぱりトリカワ串にはエールよね。ねえスミスさん、王子殿下にエールをお願いっ」
「お、王子殿下に!?」
驚いた様子のスミスはそれでも流石ベテラン商人といったところで、注文とあらばとすぐに木製のジョッキにエールをなみなみと注いだ。
ジョッキを受け取ったクラリスは、泡が零れないようにアルフォンスに渡す。
「トリカワ串って外はカリカリ、中は旨味たっぷりの脂でエールによく合うんですよ」
木皿をカウンターに置いた王子は、左手に持ったトリカワ串と彼女の顔を交互に見た後、覚悟を決めたように少量ぱくついた。
従者と護衛騎士が王子の顔色を伺っている。
「こ、これは……カリカリとしてそれでいてクニクニとした歯ごたえ、脂の旨味がまた……お、美味しい……」
最後の言葉は消え入るような感嘆になった。
流れる動作で右手のジョッキを口に付けた王子は、喉を鳴らしてエールを飲んだ。
「プハッ、こ、これは堪らない!」
「喜んでいただけてよかったです」
アルフォンスは気分が良くなったのか、クラリスを手招きすると真横へ座る様に促した。
「すまないが、貴女の話を聞かせてはくれないか?」
え!? どういうこと!?
お、王子殿下に真横へ座る様に言われたわ。
は、話し相手になればいいのかな?
昼時の準備がまだなのだけど……。
でも、そんなこといいか!
こんな素敵な王子殿下と話ができる機会なんて一生に一度だもんね。
それに、王族の命令に逆らうなんてありえないし。
言われる通りに王子の横の椅子に彼女が座ると、彼が隣の屋台のスミスに声を掛けた。
「彼女にも同じものを」
驚くクラリスにスミスがエールのジョッキを持たせてくれた。
王子は楽しそうに笑顔で彼女を見つめる。
「では飲みながら話そう。貴女の名前は何て言うのだ?」
「ク、クラリスと申します」
クラリスと語らうアルフォンスは上機嫌だった。
最初は彼女も遠慮していたのだが、王子の人間性や気さくさがとても権力者とは思えず、エールの力もあって次第に緊張もほぐれていった。
「はい、おかわりのエールですよ。殿下はお話がお上手ですね」
「王都にこのような良い場所があったとはな。ところでクラリス、手をちょっと見せて欲しい」
王子はそう言って彼女の手をとると、まじまじと見つめた。
「で、殿下!?」
「いや、貴女は火を扱っているのにヤケドの痕が殆どない。とても綺麗な手をしているな」
「あ、これは消しているんです。本当は一杯ヤケドするんですけどね。実は私、こんなことが出来るんですよ」
そう言った直後、王子にみせたクラリスの手が青白い光に包み込まれた。
さっきの串焼きで負った小さなヤケドが、あっという間に消えてなくなった。
「ヤケド跡が消えたではないか!」
「そうなんですよ。よく分からないんですけど、ヤケドを消せちゃうんです」
「ヘムンズ! ヤケドが消えたぞ!」
「面白い手品ですな」
ヘムンズと護衛騎士がパチパチと手を叩いたが、アルフォンスだけは驚きの表情を見せたままでしばらく黙っていた。
「殿下? どうかされました?」
「……クラリス、貴女に出会えてよかった」
「私にですか?」
「ああ、こんな美味しいものを出してくれる。それに……」
「それに?」
「貴女は魅力的だ」
「へ?」
「もっと貴女のことが知りたい」
「知りたい!? 私を?」
「ああ、とても興味がある」
み、魅力的!?
知りたいって!?
私に興味があるの!?
え、え、そそそれって一体どういう……。
あれ? 王子殿下の顔、真っ赤だわ。
もしかして大分酔ってらっしゃる?
そうか、酔っ払ってるのね。
呆れ顔で様子を見ていたヘムンズが席を立つ。
「ああ、相手が下町女だと分からないほどに酔われてしまって……。おい女! これから殿下はご公務なのだぞ。どうしてくれる!」
「待て待て、私が望んで飲んだのだ。彼女を責めるな」
そうヘムンズを
「また来てもいいか?」
「ええ! お待ちしています」
酒に酔って頬を赤らめたクラリスが嬉しそうに微笑むと、アルフォンスが彼女の瞳を見つめた後、なんと彼女の手に軽くキスをした。
クラリスは何をされたか理解が追いつかず、ポカンとアルフォンスを見つめた。
すると、急に慌てたヘムンズが彼の手を引っ張って馬車へと連れて行ってしまった。
「殿下! 下町女にあれはやり過ぎですぞ。お戯れもほどほどに……」
馬車に乗り込む際にヘムンズの小言が聞こえた。
馬車が走り去った後もクラリスはしばらくぼーっとしていたが、急に我に返ると慌てだした。
ちょちょちょ、どういうこと!?
お、王子殿下の隣に座って、一緒にエールを飲んで話して、別れ際に手の甲へキス!?
しかも、魅力的って……。
殿下が私のことを知りたい??
まさか、殿下は私に興味があるの!?
王子の顔を思い出した彼女は、急に恥ずかしくなって顔を真っ赤にすると、今頃になってドキドキと脈打つ胸の音に自分が王子を意識しているのだと分かった。
照れと酔いで火照ったクラリスがぱたぱたと右手で顔を煽いでいると、楽しそうに笑っているスミスが目に入った。
「王子殿下、そうとうに酔っ払ってたなぁ。確かにクラリスは綺麗だけどよ、王族が言うと冗談にしか聞こえねぇよな」
「冗談……。そ、そうよね。冗談よね。そりゃそうか……」
「ありゃ、からかっただけだな。王族っていや貴族もかしずく頂点だ。俺らど平民なんか相手にする訳ねえよ」
からかっただけか……。
そのとおりだ。
スミスさんが言うのはもっともだ。
ど平民なんて相手にする訳ないのよね……。
なによもう、私のドキドキ返してよ。
落ち着いたクラリスは、力が抜けたようにへなへなと丸椅子に座りこんだ。
王子の相手で疲れてしまい、酒まで飲んでしまったので今日はちょっと仕事になりそうにない。
気の抜けた顔で屋台のカウンターを見た彼女があっとつぶやいた。
「借りてたハンカチ返し忘れた! 参ったわ。流石にもう来ることはないだろうし、困った……」
次回、「第三話 嘆きの令嬢」お楽しみに!
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