串焼きを作ったら殿下に婚約を迫られました

ただ巻き芳賀

第一話 匂いに釣られて

「このヘムンズは反対ですな。串焼き屋の平民女と王族が婚姻するなど、他の貴族が黙っていませんぞ」


 屋台の丸椅子に座った王子は、従者であるヘムンズの意見を聞くと険しい表情で彼の方を見た。


「だから言っているだろう。彼女が伝説の存在なら逆に王族こそが相応しいと!」

「一体何をおっしゃっているのですか?」


「お前も見たはずだ。クラリスが串焼きの調理で出来たヤケドの痕を消すのを」

「あの手品が何なのです?」


「手品ではない。彼女の手が青白く光っていただろう。あれは聖属性の回復魔法だ」

「な、なんですと!?」


「父上、皆の者、彼女こそ伝説の聖女様だ。さあ、これで身分の問題はないだろう?」


 国王を含めその場にいた者たちが口を閉じ、静まり返った。

 屋台で串焼きを調理しながら話を聞いていたクラリスは、理解が追いつかなかった。




 え? 聖女様!? まさか私のこと!?





 クラリスは王都グランフォーゼの商店通りで串焼きの屋台を営んでいた。

 まだ二十二歳なのだが店主として自分の屋台で商売していて、そこそこ繁盛している。


 接客と料理が大好きな彼女は、両親の商店を手伝って商売の基礎を身に付けると、実家の店を弟に任せて屋台で商売を始めたのだ。


「いらっしゃいませ! トリモモ串とブタバラ串一本ずつですね。はい、どうぞ! どうもありがとっ。また来てね!」


 元気にお礼を言ったクラリスは、白い三角巾を締め直した。

 彼女の髪は、実は母親譲りの銀色で長くて人目を引く。

 だが串焼きの屋台では煤が立ち上るし、衛生面も気になるのでいつもお団子に纏めて白い布を被っている。




 今日は売れ行きがもう一つね。

 まあ、建国祭が終わってしばらく経つし、人出が落ち着いてるから仕方ないかぁ。

 大通りも馬車とかあまり通らないようだし。

 建国祭といえば、パレードで屋根のない馬車に座って手を振る王子殿下、素敵だったなぁ。

 金髪で凛々しい姿の人、私の周りにはいないもの。

 まあ別世界に生きる人だから、私の生活に関わりがある訳じゃないのだけど……。




 クラリスがすぐ横の大通りを見てため息をつく。


 大通りの交通量は祭りの期間と比べて激減していた。

 彼女の屋台は、丁度大通りから入った直ぐの立地で商売にはあまりいい場所とは言えなかった。

 それでも、建国祭の期間は相当な人出があってかなり繁盛したのだが、行き交う人が減ってからは売り上げも半分以下に減少していた。


「……よし!」

 気持ちを切り替えた彼女は腕まくりをすると、自分自身を鼓舞するように気合いを入れる。


「こうなったら少しでもお客が呼べるように、食欲のそそる匂いを沢山出してやるわ」


 クラリスは大通りの方へ風が吹いているのを確認して炭をくべると、脂がのったブタバラ肉の串ばかり十本を焼き台の上に並べる。


「くらいなさい! 胃袋直撃、脂とタレのダブルアタックよ!」


 彼女はふざけた技名を声に出すと、ハケに赤茶色のタレを浸み込ませて、ピンク色をしたブタバラ肉の串焼きにたっぷりと塗り始めた。

 少しだけ粘度のあるタレはブタバラ肉の脂と一緒に滴り、ぽたぽたと炭火に落ちるとじゅうじゅうと音をたてて灰色の煙が出る。

 タレと脂が焼け焦げる香ばしい匂いが辺りに立ち込めると、煙と一緒になって大通りの方に流れていった。


 匂いに釣られたのか、客が大通りから一人二人と入ってきた。


「相変わらず、クラリスの匂い誘引は凄いねぇ」


 隣の立ち飲み屋台で酒を売る中年男のスミスが感心している。

 この屋台通りへ匂いで客を呼び寄せるクラリスは、他の店からも結構頼りにされているのだ。


「まあ、大通りの方に風が吹いているときだけの限定技なんだけどねっ」


 匂いで釣られた客にブタバラ肉の串焼きを渡したクラリスが、すすで顔を汚しながら笑顔でスミスの賛辞に答える。

 急に馬の蹄音つまおとが近くで聞こえたので彼女が横の大通りを見ると、一台の馬車が串焼き屋台のすぐ横に止まった。

 大通りの歩道を挟んで止まった馬車は大きくて、金色の立派な装飾金具が随所に施されている。


 クラリスが首を傾げていると、御者が馬車の扉まで移動して丁寧に扉を開けた。

 中から降りてきたのは、白いスラックスに仕立のよい白のジャケットを身に付けた、金色の髪が眩しい凛々しい青年だった。

 ジャケットの胸元には王家の紋章が象られた煌びやかな飾りが付けられている。




 あっ! あのときの王子殿下だ……。

 近くで見るとかなり若いわね。

 私よりもずっと年下、十五、六歳だわ。




 建国祭のパレードの日、クラリスが屋台で忙しく立ち働きながら見かけたオープン馬車。

 その馬車に乗っていた王子が彼女の目の前に登場した。

 クラリスが見間違うはずがなかった。

 他の屋台の店主たちや仕入れ先の肉屋、串や炭を仕入れている業者など、彼女の取り引き先にこんな金髪の顔立ちの良い人はおらず、クラリスの脳裏に鮮明に焼き付いていたからだ。


 馬車から降りた王子はフラフラとこちらに歩いてくると、彼女の屋台の前で立ち止まった。


「に、匂いの元はここか! すまないが一本分けてくれぬか?」


 なんと王子が串焼きを食べたいと言ってきた!

 クラリスが呆気に取られていると、後ろから気難しそうな従者と軽装備の護衛騎士が駆けて来る。

 従者の方が王子に対して苦言を呈した。


「アルフォンス殿下、急に馬車を止めろとおっしゃったと思ったら、このような下賤な食べ物を望まれるとは」

「ヘムンズ、この食べ物は下賤なのか?」

「庶民が口にされるものです。きっとお口に合いません」


 黙って聞いていたクラリスはカチンときた。

 この串焼きは彼女が、火の強さ、炭との距離、肉の部位、切り分け方、隠し包丁や下味など一切の手間を惜しまずに提供しているもの。

 体裁が屋台とはいえ決して妥協せず、最大限美味しいものを提供している自負がある。

 それを下賤な食べ物と評されたのだ。

 串焼き屋の彼女のプライドが黙ってはいられなかった。


「ねぇ、そこの従者さん。もしかして串焼きを食べたことが無いのかしら?」

「な、従者とな!? 平民にそのように言われるなど許しがたい!」


 ヘムンズは顔を赤くして憤慨する。

 下級貴族である彼は、事実とは言え串焼き屋のクラリスに従者と言われて気を悪くしたようだ。


「もしかして食べたこともないのに串焼きを馬鹿にしたの?」

「煤で汚れた女が調理しておるのだ。食べたことが無くても味など知れておるわ!」


「待てヘムンズ。私はこの食べ物が気になる。如何にも美味しそうな香りではないか。予定がずれて昼食が遅れているのだ。せっかくだからこれを所望しよう!」

「そ、そんな。それでは私の昼食も変更になってしまう」


 残念そうにするヘムンズを無視したアルフォンスは、その後どうしていいか分からないようで、焼き台の上の串焼きとクラリスの顔を交互に見た。


「いらっしゃいませ王子殿下。ブタバラ肉を焼いたタレ味の串焼きならすぐ渡せますよ?」

「ではそれを貰おう」

「そちらまでお持ちしますね。あと、馬車の中じゃ揺れて食べ難いので、どうぞこの椅子を使ってください」


 王子様が立ち食いするはずも無いだろうと、クラリスが一番上等な丸椅子を勧める。


「アルフォンス殿下! そのような貧相な椅子に座られるなど!」

「仕方あるまい。立って食べる訳にいかぬだろう。ヘムンズも座れ」

「は、はぁ……」

「従者さんも食べます?」

「結構だ!」


 ヘムンズは昼食を串焼きに変更されたのがよっぽど不満なのか、椅子には座ったものの何も食べずにクラリスを睨んでいる。


 いつもは焼き台越しに串焼きを渡すクラリスも、相手がこの国の王子とあってはそうもいかず、木皿に串焼きを一本のせて王子のそばまで運んで渡した。


「む、むぅ! こ、これは……お、美味しいではないか!」

「ありがとうございます! とっても嬉しいです」


 そばで立っている護衛騎士はというと、王子と一緒になって食べる訳にもいかないようで、焼き台に並ぶ串焼きを物欲しそうに見ていた。


 ふと、今まで夢中で串焼きを食べていたアルフォンスが顔を上げた。

 目の前にはエプロンに三角巾姿のクラリスが立っている。

 おかわりにと別の皿に串焼きを二本のせて間近で待機していたのだ。


ひたいや鼻が汚れているではないか。これを水で濡らして拭くとよいぞ」

 アルフォンスがハンカチーフを差し出した。


「え、あ、いや……それは恐れ多いというか……」


 クラリスが王子の差し出すハンカチーフの受け取りをためらうと、横で詰まらなそうに座っていたヘムンズがフンと鼻を鳴らした。


「殿下! このような薄汚れた女に気遣いなど無用ですぞ」


 さっきからヘムンズの態度にカチンと来ていたクラリスは、冷静ないつもならありえない行動に出た。


「ありがたくお借りしますね」


 ヘムンズへの反抗の気持ちから、大胆にもアルフォンスの差し出すハンカチーフを受け取ったのだ。


 そのまま王子に言われた通り、屋台の水差しでハンカチーフを濡らすと、額を拭くために三角巾を解いた。

 そのとき髪をまとめていたお団子が緩んで、アップにしていた髪型が崩れてしまった。


 さらさらと綺麗な銀髪が広がった。

 腰まで伸びる彼女の髪は、下町の風情には似合わない不思議な品があった。


「でもその前に」


 小さい頃から弟の面倒を見てきた世話好きのクラリスは、目の前で串焼きを頬張るアルフォンスの口元が気になって仕方なかった。


 彼女は無意識の内に行動していた。

 膝を伸ばしたまま腰を曲げ、椅子に座る王子の目線に合わせると、ハンカチーフでさっとアルフォンスの口元を拭った。


 王子は最初何をされたか分からなかったようでポカンとしていたが、タレで汚れた口元を拭かれたのだと気付いたようで顔を赤くした。


 王子の反応を見た彼女は、自分が王族相手に失礼なことをしたと気付いたが、既にやってしまった後なのでどうしようもなかった。


 クラリスは軽率な行動を反省しつつも、気を取り直して濡れたハンカチーフを広げると、額や鼻を拭いてゆっくりと目を開けた。

 すると顔を赤くして二本目の串焼きを食べる王子と目が合った。


「どうかされました?」


 きょとんとした顔でクラリスが聞くと、アルフォンスは急に目を逸らして慌てた。


「い、いや、なんでもない……。そ、それよりも、この串焼きというのは存外に美味しい」

「殿下に美味しいと言っていただけるなんて幸せです」


「いつもこの場所で働いているのか?」

「はい! この場所が私の屋台の定位置なんですよ」


「そうか、今日は世話になった。とても美味しかった」

「よかったです! 実は他のお肉もあって、タレ以外の味付けも美味しいんですよ。次回は是非違う味も試してください」


 王子とクラリスのやり取りに財布を出したヘムンズが口を挟む。

「次回など無いわ! ほれ代金だ。これだけあれば十分だろう」


 代金を渡してきたヘムンズに愛想笑いをしたクラリスは、今度はアルフォンスの正面に向き直ると膝の上に両手を添える丁寧なお辞儀をした。

「今日は王子殿下に私の串焼きを食べていただけて夢のようでした」


 顔を上げた彼女が王子を見て微笑んだ。

 屋台通りに射し込んだ西日が彼女の長い銀髪に当たり、キラキラと輝いた。

 さっきからずっと顔の赤い王子は、呆けたように少しの間彼女の顔を見ていた。


 しびれを切らせたヘムンズが王子をせかして馬車に乗り込ませると、慌てて騎馬した護衛騎士の先導に続いて馬車が発車した。


「まさかなぁ、王子様が食べに来るとは凄いこともあるもんだ!」


 隣で黙って様子を見ていた立ち飲み屋のスミスが、今になって驚きの声をあげた。


「本当よ! 違う世界の人だった王子殿下が私の串焼きを食べてくれるなんて! 信じられないこともあるもんだわ。いい体験ができたから、実家に帰ったら自慢しようっと」


 上機嫌でそう返事したクラリスは、銀髪をお団子にまとめ直すと三角巾を結び直して屋台に戻った。

 屋台のカウンターに目をやった彼女は、空になった木皿とハンカチーフを見て声を漏らす。


「王子殿下、素敵だったわ……。あ、ハンカチーフ借りたままだった! これ、やっぱり洗って返した方がいいわよね……」




次回、「第二話 聖女の片鱗」お楽しみに!

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