第2話 弟

 ふとテーブルにほうり出されていたプリントに目がついた。

 乱れながらもどこか寂し気に重なる二枚のわら半紙をのぞき込むと、高校からの「進路相談のお知らせ」だった。


 こういった類は本来であれば母が対応すればいいのだが、母がいつ戻ってくるのかはっきりしない場合はどうしたものだろうかと考える。

 これまでの経験上、数週間もすれば母は戻ってくるはずだったが、この調子だと母は進路相談の面談に出席できないかもしれないとよぎった。


 弟は、どうするつもりだったんだろう。母が戻らなければ、それはそれで仕方がないと面談は一人でのぞむつもりだったのだろうか。

 彼女は、ひとこと相談くらいしてくれてもいいのにと思った。同時に、姉である私を頼ってくれたっていいのに……とも。


 やったことはないが、母の代わりに姉として面談に付き添うこともできなくもないはずだし、ひとつの方法としてはありだろうと思案が浮かんできた。


 ——バイトの休みも事情を説明して調整すれば、なんとか都合を付けられるかもしれない……。

 代案に考えを巡らせながら、弟の部屋のドアを開いていた。



 そこで目に飛び込んできたのは、パソコンのモニターを注視しながらイヤホンで耳を塞いでいる弟の横顔と、スウェットのズボンを半端にずり下げて椅子にかけ、息を殺して一心不乱にペニスをしごいている姿だった。


 思わず目を剝くも静かにドアを閉め、そろっと部屋をあとにした。

 年頃の男の子だし、性欲処理くらい当たり前のことだろうとはわかっているものの、いざその光景を目にしてしまうと戸惑いと嫌悪の念が頭のなかで膨張していく。


 なんてものを見てしまったんだ……。

 なぜ入るときに声を掛けるのを忘れてしまったんだろうと後悔していた。


 彼女はぐちゃぐちゃした気持ちを鎮めるためにも、いったん外に出ようと思った。けれど身支度をしている途中、弟が居間へぬるっと姿を見せた。


「なんで、ノックくらいしないの」


 不穏な空気を全身に纏いながら、弟は大股で歩み寄る。


「あ、ごめんごめん。気ぃ付けるって」

「あのさぁ、そのへらへらした態度が気に食わねえんだって」


 何の前触れもなく、弟のこぶしが勢いよく彼女のみぞおちへと放たれていた。鈍痛で短く呻く彼女の腹へ、続けざまに容赦なく蹴りが入れられる。

 体勢を崩して派手な音を立てて尻もちをつくのを、なじるような目で弟は見下げていた。


「見たんやろ、なあ。姉ちゃん、見たんやろ」

「見たってなんよ。なんも別に見てないって」

「嘘つき、知らん顔すんなや」


 息を吸うたび、体のうちが疼くように軋んだ。蹴られた腹を手でさすりながら、彼女は顔をしかめる。


「やから、なんも見てないよ。扉開けようとしたけど、ちゃんともっかい台所のプリント見てからにしよう思って、部屋んなか見る前に閉めたんやから」


 苦し紛れに吐いた言い逃れだった。平然を装おうとするも心臓は早鐘を打ち、手のひらにいやな汗がにじんでくる。


「いうてもおかしいやん。扉がけっこうな角度で開いたの、俺見たんやわ。見えてないはずないから。てか、なんで外出ようとしてんの? 俺に用事あったのに、なんで逃げようとしてんの?」


 荒々しい物言いに乗って飛沫が飛んでくる。

 半身をひいて下がろうとすると、すかさず飛びついて覆いかぶさり、弟が這い上るように馬乗りになってきた。

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