メッテルニヒの退陣
夜が明けた。
出版の自由や検閲の緩和を求める声は、次第に、現体制への不満へと代わっていった。
「メッテルニヒは退陣しろ!」
「独裁者から皇帝を解放せよ」
「皇帝を我々に返せ!」
民衆の不満は、決して、皇室に向くことはなかった。
代わりに、メッテルニヒの罷免を要求する声は、日増しに大きくなっていった。
宮殿の窓辺に立っていたゾフィー大公妃の口元に、笑みが浮かんだ。
……フランツル。見ていて?
ゾフィーは、決して忘れることはなかった。
若くして、無念のうちに死んでいった甥を。
最後まで礼儀正しく、彼女に忠実だった、背の高い、金髪碧眼の青年を。
彼に死が迫っていた頃、彼女は、あまりに若かった。
彼女の目には、メッテルニヒは、頼もしい宰相としか映らなかった。
……けれど。
メッテルニヒは、彼が
その事実を知った時、ゾフィーの中で、何かが壊れた。
秘跡の儀。ハプスブルク家の一員が、死に瀕した時、必ず受けなければならない、宗教上の儀式だ。言い換えれば、秘跡を授けるということは、お前はもう死ぬのだと、宣告するようなものだ。
そして、秘跡の儀を受けるよう、フランツルに勧めたのは、ゾフィー自身だった。
もちろん、秘跡という言葉は使わなかった。間近に迫った自分のお産の無事を祈るついでに、彼の回復を祈る。
通常の聖餐だと、説明した。
だが。
……「死ぬ準備はできている」
秘跡を受ける朝、彼は、そうつぶやいたという。また告解の後、司祭に向けて、
……「病が重いことは、知っています。しかし、良くなる望みを捨ててはいません」
と、語ったそうだ。
彼は、知っていたのだ。
これが、秘跡の儀であることも。
自分は間もなく、死ぬということも。
ハプスブルクの人々が、総出で、彼の意識を、死に向き直らせたのだ。
彼は、最後まで、生きようとしたのに……。
そして、ハプスブルク家の先頭に立ち、彼に、聖餐を受けるよう勧めたのは、ゾフィー自身だ。
……。
長いこと、慚愧の思いに、ゾフィーは、身も世もあらぬ思いが続いた。
最後に見舞ってから(それは、彼女のお産の前日だった)、その死までの16日間、彼の元を訪れることがなかったことも、臓腑が捩れるような、いたたまれなさに拍車を掛けた。
……私はあの子に、なんて残酷なことを。
……フランツルは、いつだって、私の味方でいてくれたのに。
彼の死の2ヶ月前、ホーフブルク宮殿から郊外のシェーンブルン宮殿に移った頃、彼の容態は安定したと聞いていた。
大きな発作はあったが、危機は脱したと、医師団は宣言している。秘跡の前に行われた最後の医療会議では、秋になってからの転地を進言しようと、話し合われてさえいた。
……彼に秘跡を受けさせたのは、誰の意思だったのか。
秘跡を受けた後、容態は、格段に悪化したと、ゾフィーは、付き人から聞かされた。迫りくる死を自覚したからだ。
……あの時点で、秘跡を受けさせる必要があったのか。もっと後でも良かったのではないか。
……せめて、お母様のマリー・ルイーゼ様が、お帰りになってからでも。
……そもそも、メッテルニヒが、もっと早くに、転地を許しさえすれば。
そうすれば、彼はまだ、自分の隣にいたはずだ。あの頃と同じく、自分の横に座り、はにかんだような微笑みを浮かべて……。
ゾフィーの心の中で、彼は、いつまでも、あの頃のままだ。
人混みの中で、エスコートしてくれた、優しいしぐさ。
大隊を堂々と指揮し、ゾフィーのいるベランダの下を、彼女の方を一顧だにせず、通り過ぎていった子どもっぽさ……。
おとなになりきった彼を、ゾフィーは、想像できない。彼は、彼女から、永遠に奪われてしまったからだ。
宰相が
……宰相は、フランスしか見ていない。
……
ウィーンから、決して外に出さず、希望の軍務もお飾りのように扱い、それなのに、彼は、身体を酷使し、過酷な訓練に打ち込んで……。
あれほどの絶望を。
想像を絶する苦しみを。
許せない、と思った。
彼女は、じっとチャンスを窺っていた。
今年(1848年)2月22日に、パリで、2月革命が起きた。知らせを聞いたその日から、ゾフィーは、周到な準備を重ねた。
劇場では、メッテルニヒを風刺した喜劇が上演され、好評を博した。これを、検閲する者はいなかった。検閲当局が、見逃したからだ。
街には、メッテルニヒが、皇帝を支配している、という噂が、流された。今の不景気は、メッテルニヒが皇帝を牛耳っているせいだ。
それらの陰に、ゾフィー大公妃がいた……。
「さあ、あなた。行きましょう」
ゾフィーは、夫のF・カール大公の腕を取った。
宮殿の外へ出ていく。
市民の間に、歓呼の声が沸き起こった。
今年、8月。夫妻の長男、フランツ・ヨーゼフは、18歳の誕生日を迎える。
皇帝即位が許される年齢だ。
◇
メッテルニヒのウィーン体制は、完全に朽ち果てていた。
プロレタリアートの不満は募り、暴動は、激しくなる一方だった。
それに呼応するように、メッテルニヒ解任を叫ぶ声も、大きくなっていった。
宮廷は、国民へ譲歩を示す必要があった。
おとなしいと言われていた
「私は、流血の原因になりたくない。また、政府を困らせるつもりもない。よろしい。辞任を受け容れましょう」
メッテルニヒは言った。
さらに続けた。
「これで、私の、フェルディナント皇帝守護の誓約は、無効となります。これは、
辞任を受け容れ、宮廷から自宅へ退こうとした時。メッテルニヒの馬車と知り、叫んだ者があった。
「この、ライヒシュタット公殺し!」
翌日。メッテルニヒ一家は、ボヘミア、そしてロンドンへ向けて、亡命した。
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ライヒシュタット公とゾフィー大公妃については、「ライヒシュタット公とゾフィー大公妃―マクシミリアンは誰の子?」がございます。
https://kakuyomu.jp/works/16816927859493291159
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