第2話 海

 この話はノンフィクションではあるが、記憶に齟齬や勘違い等で事実誤認しているかも知れない点は留意して頂きたい。




 我が家は毎年、八月の初め頃に近くの海に行くのだ。

 そこは車で1時間ほどで、少し遠出となる。

 この行事は私が小学4年生の時まであった。

 というのも、姉が中学に上がると、拒否を示し、自然と行事はなくなったのである。

 

 行事が無くなるのは悲しい事である。

 私は海に行くのは好きであったからだ。

 しかしながら、未だに何が好きであったのか言葉に出来ない。


 そもそも私は泳げない。

 海に行ったところで、浅瀬で海に浸かる事しか出来ないのだ。

 『海の家の飯は上手い』なんて話も聞くが、うちはいつもお弁当なのである。

 それも途中で寄り道をして買う、安めのお弁当なのだ。

 ……兵庫県出身であれば、『たいこ弁当』は馴染み深いかもしれない。

 地域に愛されたお弁当チェーン店であったが、杜撰な一族経営によって潰れたのだ。

 今あれば懐かしくて有り難いが、当時であればそれ程嬉しいとは思わなかっただろう。 



 さて、そんな海であるが、何故か毎年楽しみにしていた。

 小さい頃は浮き輪を使っていたらしいが、面倒だとして、小学生の時には使わなくなったのだ。

 泳げない私は沖に出る事も無く、浅瀬でチャプチャプするのが定番の行動であった。

 

 忘れもしない小学3年生の時、私は少し深い所に行ってしまい、波に浚われて、足の届かないところに流されてしまったのだ。

 私は手をバタつかせて助けを呼んだ。

 というのも、目の届く範囲に父が居たのである。

 

 水面から顔を出す時は、空気を取り入れる事で精一杯で、声を出して助けを呼ぼうとすることが出来なかった。

 いや、満足に空気を取り入れる事も困難であった。


 後で聞いたところ、父には手を振っているように見えたらしい。

 警察官であるのに、洞察力が鈍いと言わざるを得ない。

 警察官は閉じた世界であるのか、偏屈というか、偏った認識なのも問題である。

 父は人の意見を聞かず、自分が見て、聞いた事が正解と断定するのだ。

 この場合もそうで、私が言いがかりをつけたと思っている節があった。

 前述した通り、お昼はお弁当なのだが、偶には洒落た物が食べたいと言い合いになっていたのだ。

 ちなみに、我が家では外食する場合には『ラーメン』か『王将』であった。 

 人によっては贅沢な、と思うかもしれないが、毎回同じだと飽きるのである。


 話を戻すと、海で溺れかけていたのであるが、あるいみ父には気付かれなかったのである。

 結局、ジタバタしたのが功を奏したのか、爪先が届く場所まで戻って来ることが出来た。

 そうなれば後は早い。

 それを足掛かりに、少しづつ浜に戻れば良いのだから。

 こうして自力で戻れたのである。



 この事があり、泳げるように練習はした。

 練習はしたのだ……。


 小中高と学校で水泳の授業があったのも幸いしたのだろう。

 高校の時は泳げない生徒はクラスで私1人であったのだ。

 レーンの隅の方で、体育教師とマンツーマンは苦い思い出であった。

 そんなこんなで、25mプールなら泳げるようになったのである。

 とはいえ、息継ぎも拙く、蹴伸びで10m以上は進まないと辿り着けないのだが……。



 水難事故というのは、一瞬の気の緩みで起きるのだという事に気付かされた出来事であった。

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