失意の戦姫①

 薄暗く、狭く、天井の低い小部屋の中で私はずっと腐っていた。

 精霊騎士を辞めてまで付いてきてくれた〈魔術師ウィザード〉のレオナを、私はその手に掛けてしまった。

 スキル〈狂戦士化グロウラー〉の影響下だったとはいえ、私の大剣が胸を貫いた感触がこの手に残っていて、悲しそうに血を吐く彼女の顔が今も瞼に浮かぶ。


 ここは『氷河の迷宮』にある隠し扉の中。

 そう広くない部屋の中に明かりは小さなランタンが一つだけ。

 その片隅に、小柄な精霊族リルトトだけが通れる横穴が空いていた。

 もともと迷宮にあったものではなく、精霊族リルトトが迷宮内の魔法の氷壁を切り出すために開けた通路だ。

 迷宮に踏み入る危険は伴うが、魔法の氷結晶は常温でもほとんど溶けず、宝石に勝るとも劣らない高値で取引される。

 本来ならば盗掘として象牙の塔ジヴォワールから罰せられることだけれど、魔法の氷結晶は氷の精霊族ダルト・リルトトの伝統工芸品として黙認されているらしい。

 絶望の淵に居た私だけれど、氷の精霊族ダルト・リルトトのミルルが食事を運んでくれ、日々の何気ないこと話してくれていたこともあって、生きる気力と、時間の感覚は辛うじて保たれていた。


 蠢く死体アンデッドの群から隠れ、迷宮の隠し部屋に籠って今日で十日目。

 昨晩から隠し扉の向こうの、蠢く死体アンデッドの足音が騒がしくなっていた。

 救援のパーティが来たのかとも思ったけれど、どうも戦闘の音はしない。

 いやな感じだ。


「ヴィオ様、ヴィオ姫様……」

「ミルル?」


 氷の妖精族ダルト・リルトトの村に続く側の小さな扉が開き、いつも食事を運んできてくれていたミルルが現れた。

 しかしその手に食事はなく、酷く狼狽している。

 飛び込んで来るミルルを抱き留め、落ち着くのを待った。


「何があったのミルル」

「お助けください姫様、村に……村に死者の群が……」


 恐怖に歪む顔でミルルは懇願した。


蠢く死体アンデッドが村に? 迷宮から溢れ出して……」


 たしかに『氷河の迷宮』の規模にしては、蠢く死体アンデッド数は異常だった。

 それがまさか、十日やそこらで迷宮の外に迷い出るワンダリング程とは。


「どうしたらいいですか……」

「落ち着いて、ミルル。今から言うことをよく聞いて」

「村が……村が……」


 狼狽するミルルに声が届かない。無理もない。冒険者パスファインダーでもない者が迷宮から迷い出たワンダリング・モンスターなど見れば、こうもなる。

 未知への恐怖はヒトを容易に狂わせる。

 冒険者訓練所の座学では、モンスターの生態に相当の時間を割くが、戦術的な意味よりも、未知の存在を目にした時の恐怖を抑える為だと塔の教授は言っていた。


「ミルル、お聞きなさい」


 額を近づけ、目を見、声を出来るだけ低く絞り、しかし出来る限り優しく、ハッキリと彼女の意識に入るように囁きかけた。

 ミルルは恐ろしいものでも見た様にビクリとして、それから正気に戻った。


「は、はい」

「ミルル、いまから言うことを、出来る限り速やかにお願いできますか?」

「でも、村が……」

「その村のためです。手遅れになる前に、急ぎましょう」

「ど、どうすればいいですか?」

「あなたは村へ帰り、皆を集めて頑丈な建物に立て籠もるよう、自警団に伝えなさい。それから頑丈で大きな剣や斧、なんでもいいから武器を探してください。出来れば外套も。それを持って、その通路の出口で待っていてください」

「どうするつもりなのですか……?」

「こうするのです」


 そう言って私は着ていた毛皮や鎧、鎧下をすべて脱ぎ捨てた。

 下着だけになると、部屋に置いてあった水差しの水を頭からかぶる。


「ひ、姫様、何を……」


 ミルルが顔を真っ赤にして言う。精霊族リルトトでも妖精族ティーエの裸体には照れるらしい。

 だけど、今はそんなことを言っている場合ではなかった。


「ここを出ます。精霊族リルトト用の通路でも、小柄な私なら抜けられなくもないはず。さあミルル、村へ急いで。武器がなければ私も戦えない」

「は、はい」

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