神の境目 編

第18話 可愛い可愛いメリーくん

 路地裏の裏通りに男が二人。


 片方の男は狐面で、もう片方の男は猿のお面であった。


 猿のお面をつけた男性は黒髪は艶やかに短髪で、黒いワイシャツに灰色のスキニーパンツを着ていた。


 猿のお面の男は、頬をかき、腕を組み直すと壁にもたれ掛かった。




「もう一度言ってくれない? ばかなオレちゃんでもようく判るように」


「ですから僕はカグヤ……先生のお友達となったの。だから何度呼ばれても、無駄だよ。あの人を裏切って里に戻るつもりはないの」


「いやあ、かつて人間嫌いだった市松文字の言葉とは思えないな。本気であの気移りが激しい種族を友達と呼ぶ?」


「80年くらいなら付き合って差し上げても暇つぶしにはなるでしょう? あの人、とても沢山の怪異に襲われるから撃退が知恵比べみたいで退屈しないの」




 長年の同胞はとても愉快そうな声で笑った。無邪気に嬉しそうに。


 あまりにも楽しそうに笑うものだから、猿面の男は苛立ち真顔になった。


 勿論、狐面の男同様、猿面の男には鼻と口以外顔はないのだが、市松と同じく同族なのだから餌用のは持っている。亡者を惜しんで亡者に焦がれた人間をつり上げるための顔ならば。




「文字のそんな顔初めて見たなあ。そんなに人間が好き?」


「いえ人間は嫌いですよ。ただカグヤという人間だけは肩入れしてもいいって思ったんです。精々長くてもあと八十年だもの、短い付き合いになるでしょう。それぐらいの時間ならくれてやる価値はあの人にはある」


「短くても嫌だなア、お前が人間に肩入れするの。そんな姿見たくなかった。うちの里戻った方が絶対いいに決まってる、そのほうが同胞もいる」


「そうね時代錯誤の同胞たちが。生き方を変えない、厄介なみんな。僕にとってもいい機会なのだと思う。誰かに頼らず生きていくっていう」


 市松の言葉で猿面の男は、市松が人間同様自分の種族を激しく嫌っていて恨んでいるのだと思い知る。


 きっと市松の内側に入れた自分は話は別、というだけでこののっぺらぼうの亜種という種族は嫌いなのだろう。


 思いやることは出来るが、猿面の男はまったく解する様子もない。ただ苛立ちを嘆息に混ぜ髪を掻き上げる。


「理解できねえ、さっぱり。どうしても自分からは戻るつもりないんだな」


「そういうこと。どうか僕なんぞのことはお忘れに、猿田彦」


「……“今は”無理な話なんだなってのは判った、近いうちに気が変わるよう祈ってる。予想より早くその人間に不幸が訪れてお前は解放されるかもしれねえしな?」


「……たとえお前でも僕の初めてのお友達に関する愚弄は許しませんよ、お引き取りを」




 市松は決して、猿田彦を友達と呼んでくれない。


 猿田彦からすれば激しい怒りを覚える、自分はこんなにも気にかけているのにと。


 友達としての嫉妬だった。


 市松が厳しい声を投げかけて狐面をかけなおすと、猿面の男はふわっと虚空に浮いて空を蹴り、そのまま立ち去った。







 どうにも不穏なことを言う男だ、あれでのっぺらぼうの長になるのだから先が恐ろしい。


 あの男は底が見えない、軽薄な態度で誤魔化し、後ろに続かない道の短さをど忘れさせてから奈落の底に気付けばたたき落とす男だ。


 警戒しないとと気持ちを改め、市松は路地裏から抜け出ると人波に呑まれ事務所を目指す。




 都心から少し逸れた事務所のビルには一階に喫茶店があり、二階に探偵事務所がある。


 二階の探偵事務所には世界で一番の不幸を煮詰めたような女が住んでいる。


 つい先日、市松が自分の望みよりも優先した存在だ。


 大事な大事な願望を諦めてまで、存在を熱望した人間だ。


 市松はあやかしであるのに、何故そうしたのかはうまく説明できない。ただ、この人間は面白いからずっと見ていたいと思ったのだ。


 損得抜きで構う相手を友達と言うのなら、カグヤはきっと友達だ。




 階段をゆっくりのぼり、呼び鈴を押して扉を緩い力で押し開ければ、太陽光の入る窓辺に置いた椅子の背もたれで日差しを避けた女が寝入っている。


 黒髪の艶やかな女性だ。美人で名も、佐幸輝夜という如何にも流麗な名前なのだから世の中はうまくできている。


 市松はすやすやと寝入るカグヤを見つめ、そっと囁いた。




「八十年以上楽しませてくれないと許しませんよ」


「んん……? 誰だね、市松か」


「はいそうです。先生お疲れですね?」


「仕事が立て込んでいてな……夢見も悪い」


「そちらも気になるけど、またいつものですね。宜しくないモノが、見えます」




 市松はもうすでに素顔がばれているので瞳のない狐面を外し、まじまじとカグヤの顔を覗き込んだ。




「湯河原屋の巻き寿司がいいかしら、今度は」







「気になる電話があるんだ」




 スマホを目の前において、カグヤはうんざりとした様子で語り出す。


 許可を貰いスマホを操作すれば、着信履歴は全部仕事関係で埋まっている。


 この様子から見れば、着信履歴に残らないタイプのものだろう。




「一週間前は海外から。一昨日は県境から。昨日は商店街に居ると子供から電話があってな、聞き覚えがなくて。知り合いでもないし」


「まあ古典的。メリーさんというやつですね。それでは最終電話で先生は死んでしまうのかしら、大変残念です」


「巻き寿司がいいと言っていたね、用意するから頼むよ」


「判りました、この電話は僕が預かります。それと、この事務所から絶対に今日一日は出ないでくださいね」




 市松が汚いものでも持つような手でスマホを持つものだから、カグヤは傷ついて拗ねた顔をする。市松は人間の繊細な心など気遣わないから、そのままスマホが突然なり出すとそのままさっと電話口に出る市松だ。変わらずつまむような指の持ち方で。


 電話に出たというのにやけに明るい様子で市松は笑った。




「はいはい、なるほど、家の前ですね。わかりました」


 言うなり市松は電話を切ると、カグヤにそこにいるようにと仕草だけで示唆し、市松は事務所の扉前に構えた。


 しばらくして、随分可愛らしい年頃の悲鳴が聞こえたかと思えば、扉が開き市松が少女を脇に抱えて戻ってくる。少女は脚をばたつかせ市松を睨み付けている。


 白い髪の毛に、真っ赤な瞳の兎みたいな少女であった。


 市松は誇らしげな様子で、スマホを返してくれた。




「本物じゃなかったですね」


「メリーさんじゃないのか」


「本物はこんなに可愛らしくはない、格好も現代的ですよ、ほら」




 市松は少女をソファーに下ろして座らせると、クマのぬいぐるみを抱えた中華ロリータのドレスを着た十代前半の美少女は涙目で混乱した様子だった。


 カグヤと目が合うと悔しげに歯を食いしばり、少女は騒いだ。




「メリーなんだ、僕は!」


「おや、しかも女装趣味なメリーくんのほうでしたか、更に現代的ですね」


「うるさいうるさい、のっぺらぼう! 僕はカグヤをたおすんだ!!」


「どうして? またこの人何かしでかした?」


「……判らない、けど、ひっかかるんだ。僕の、大事な者を、穢した」


「私がかい? 不倫現場で不幸をみたご家庭のみたいな言い方だな、心当たりはないんだがね」


「わからない……おもい、だせない。とにかく僕はめりーさんだ、今お前の家にいる!!!」


「家にいて目の前にいるから対処できるんです。目の前にいるメリーくんに何の価値があるんですか。お引き取りを」


「傷ついたぞ!!! 今のは傷ついたからな?!!」


「メリーくん、言ってはなんだが……君にメリーさんの才能はないと思うんだよ。地縛霊か浮遊霊のほうが、君自身楽しめるんじゃないかなと心配するくらいに。私自身、被害者だけど怖くなかったんだ。疲れはしたが。正直辿々しい電話は恐怖というより、保護欲を刺激する」




 カグヤの追い打ちに少年は顔を真っ赤に染め上げてぷるぷると震え。


 真っ赤な日傘を差して、窓を開ければ窓から飛びたつ。




「またリベンジしてやるからな!! 覚えてろ!!」


「あらあら泣かせちゃいましたねえ」




 空にそのまま浮かんでいく自称メリーの姿を眺めてから、市松はカグヤに睡眠を勧めた。




「さて、ゆっくりとお眠りください、戸締まりはお任せを」


「そうさせてもらうよ、眠くてねやけに」




 カグヤは欠伸をしながら自室へ引きこもり、鍵を預けられた市松はそっと事務所の外に出て待ち構える。


 階段の下に立ち尽くしている怪異に、小首傾げ近づいた。




「やあ、本物のメリーさん。少しあやかし同士腹割ってお話ししましょう? なあに、貴方の獲物は逃げませんよ。それよりもっと楽しそうな獲物紹介しますので、そちらにしません? きっとリアクションは其方さまのほうが楽しい」




 仮面越しに見つめた先の怪異は笑い、後にカグヤを除いた人々の周りでメリーさんが流行ったといわれる。


 カグヤさえ守れれば問題ない市松は、そのほか人間に関しては押しつけてもお構いなしであったのだった。


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