第19話 吉野とメリーの月下美人で出来た縁
意識を持ったときには既に身体はなかった。
いいえ、身体はあるけれど人間ではなかった、それがメリーを自称する美少年の根底だった。
美少年は浮遊し続け自分の存在を探していた、そんなときに出会ったのだ。
とても眩しい、明けの明星に。
「そうか、お前は自分が誰か判らないんだね」
「そう。だからどうすればいいか判らないんだ」
「簡単だ、なりたいものになればいい。昔好きな怪談はなんだったんだ?」
「メリーさんが好きだった!」
「じゃあ俺が見立ててあげよう、生け贄の第一号も見繕ってあげる。だから、期待に添えるんだよ」
猿のお面を外した青年からは、とても懐かしい見ただけで暖かい涙でいっぱいになる顔をしていた。
メリーは泣くと、猿田彦は頭を撫でてどうしたと笑いかけた。
「わからない、とても懐かしいんだ。僕の、僕の大事な顔だ」
「そうなのか、じゃあ大事な顔を持つ俺の言うことは聞けるね?」
「うん、僕はいいこだから。いいこだから、聞く」
メリーは約束をすると怪異になりすまし、目標物を見つけつきまとう日々を始めた。
大掃除の時期はとっくに過ぎて年もあけて、まだ三月にもなっていない。
だというのに、部屋の掃除をしなくてはならないし、資料の整理も必要だ。
その合間に電話は鳴る、いつもの可愛らしい少年はつきまとい続け、電話を鳴らす。メリーとして。
輝夜はとにかく忙しかった為、強気に出た。
「君も手伝い給え、私が殺される前に資料に殺されてもいいのかね」
明確な脅しである変な理由だというのに、気の優しい子なのかメリーは断れず。
そのまま手伝うこととした。手伝いの最中、メリーはとんでもないものをみつける。
華石だ。
華石を部屋の奥に閉じ込めていたので、メリーは仰天して叫んだ。
「なんてことしてるんだお前ッ!」
「え? それはそんなに大事なものなのかね」
「ばかだな、これは妖怪にとって……あれ? 僕はいったいどうして……そんな知識を」
輝夜が知らないと言うことはその知識は一般的では無いし、もっと言うなら市松が知っていれば輝夜ももっと丁重に扱うはず。となれば、市松でさえ華石のことは知らないはずだ。同じく末端である自分が知るはずもない。
脳裏に、中年の男性が過れば顔を顰める。
メリーは不明瞭な知識に気持ち悪さや苛立ちを覚え、華石を輝夜に手渡す。
「とにかくこれは大事に扱え」
「判ったよ。休憩しようか、何か食べたい?」
「うどん!」
輝夜は華石をポケットにいれれば、頷き台所に向かい調理を始める。
メリーには換気をしてもらい、メリーは換気をしたところで、外に人が立っていることに気付く。
猿田彦だ。猿田彦を見ると頭がぼんやりとする。
メリーはふらふらと猿田彦の元へ歩いてしまった。
「メリー、うどんできたよ、メリー?」
メリーはそうしてうどんを仲良く食べる機会を逃した。
事務所にいくと、必ず階段下には青い鬼がいた。今日も階段下に鬼神がいて、猿田彦は気付けばいない。
青い鬼は、吉野といって獲物をとても愛する変な鬼神だった。
メリーにはどうして鬼がそこまでの情熱を捧げるのか、過程を知らぬものだから感じ取ることもできない。
吉野もメリーの経緯を気付いてはいるが、どう止めてやればいいかは判っていない。
「また来たのか、メリーくん」
「吉野さん、そこを退いてくれ。あの方がいた気がした。あの方がお呼びなら受けないとお喜びにならないの」
「……メリーくん、君は……いや、どう言えば良いのか。とりあえずやめるんだこんなこと、悲しい思いをするのはメリーくんのほうだと俺は思うな」
吉野はメリーの過去を知っていた。
猿田彦に出会うまでのことも、見抜いている。ただ、メリーに記憶がないだけ。
吉野にはメリーに不思議な縁があったから。
「吉野さん退いてくれ。僕だって怪異だ、僕だってあいつをいつだって殺せる」
「それが目的なら俺は君を何とかしないといけないんだよ。でも俺に君を排除する気持ちはない。君は大事な友人に頼まれた子だから」
「お友達なんているの? 意外だね、吉野さんはひとりぼっちが好きだと思ってた」
「俺もそうだと思っていたんだけど、カグヤと出会ってからだいぶ俺も変わりつつあるようだ。要らぬお節介をしてしまうくらいに。ほら、おいで。ちょっと公園に行こう」
「またそうやって子供扱いする!」
ぷりぷりとした様子でメリーが怒れば吉野は笑い、一緒に手を繋いで公園に向かった。
公園では子供達は一切おらず、ただただ無人の寂しい遊具のないただの広場と化している。
昨今公園なんてこんなものだ、危険だからと遊具を潰しているらしい。
吉野とメリーが出会ったのは、市松がメリーを追い出して即玄関下に構えていたときのことだった。
本物の怪異は市松が何とかしてくれると思って、何故子供の浮遊霊が怪異に拘るのか判らなかった。
メリーのことをあれから調べて判ったのは、猿田彦は丁寧に市松から存在を見えない程度の距離で干渉していること。それからカグヤを狙っていること。
メリーが利用されたならあとはどうすればいいのかと自称人間大好きとして思案を巡らせているところに、最後の便りが届いた。それは大きな恩を感じている存在からの、最後の祈りだった。月下美人の酒を譲ってくれた男だ。
何処かで自分を奉っている神社を探し当てたのか、そこからの祈りが文となり届いた。
手紙の内容に驚いた吉野はそれからずっとメリーの相手をしている。
(事情を話すのは簡単だ、だけどそれすらもあの猿に利用されそうで……これはきっとメリーが自力で思い出さなきゃ意味が無いんだ。カグヤも面倒なのを敵に回したなあ)
まあそれもあの人間の特性か。
極度に好きと大勢に言われる人がいれば、誰かしらに好かれてるからという理由なだけで極度に嫌う輩もいる。
好意を抱かれやすいということは、嫌悪されやすいことにも繋がる。
カグヤは極端に、人の好意や嫌悪を激しく無自覚に引っかき回し引きつける天才だ。本人の何者にも属さない飄々とした様子が個性的だからなのか。不安定だからか。
とにかく、何らかの感情を抱かせる天才ではあった。
とにかく。
嫌悪になったということは好かれる可能性もあることだ、とメリーの事情を知った吉野はしつこくメリーを懐柔しようとした。
何事かが起きる前に悲劇を避けたかった。
「メリー、お前はさ、怪異じゃなくて真っ当な人間の浮遊霊なんだよ。思い出すのがそんなに怖い?」
吉野は小首傾げて、隣のベンチに座るメリーの顔を覗き込んだ。
メリーは不満どころか苛立ったままつーんとそっぽを向いた。
そしてその視線の先に、道路越しに手を繋いで歩く親子がいる。若い父親に幼児。
メリーの表情は一気に能面となった。
吉野は気付くと、メリーにやたら頬をつつき、頬をつつく数が三十回を越えそうな頃合いにメリーは怒って吉野にぽかぽかと赤い日傘で殴りかかった。
「なにをするんだ! この青鬼!」
「残念ほんとは赤鬼なんだ。メリー、ほらキャッチボールでもしようか」
「ボールなどないぞ」
「大丈夫、木の葉がある」
メリーを立たせると、吉野は手の中に木の葉を呼び、木の葉を風で固めてボールを作り上げた。
面白い手品のような神秘にメリーは驚くと真顔で目を輝かせ、はっとするとぷいとそっぽをむく。
吉野はお構いなしに木の葉ボールを投げた。
「わっ! 危ないな! ……ほうら見ろ、僕は幽霊なんかじゃない。幽霊じゃないから受け取れるのだ、このボールが。受けて見ろ、僕の魔球!」
「いいや、君は幽霊だ。でも思い込みから身体が出来ている」
そこにさらにあの猿からの手品も加わって、との言葉は飲み込んでおく。
木の葉ボールをキャッチし合い、投げながら言葉を交わす。
カグヤから昔の風習として習った会話法はとても役立つ。
「メリー、星が綺麗だね、もうすぐ日が落ちそうだ」
「……星の話はやめろ」
「どうして、ただの天気の話だろう」
「違う、違うんだ。やめろ、やめろ! 吉野さんの馬鹿! それ以上は貴方でも怒るぞ!」
「……まだ禁句か。メリーくん、暖かいもの食べようか、奢るよ」
メリーは心が揺れたが、猿田彦との誓いを思い出す。
本当はとても心が揺れたし、吉野に対して悪い感情は抱かなかったのだけれど。
まだあの懐かしい顔を思い出すだけで、言うことを全部聞きたくなる気持ちがよぎる。
『あの鬼は暖かい食べ物で人を惑わす、口にしては駄目だよ』
騙されてるとも知らないメリーはふるふると首を振った。
「……日が暮れるなら、帰る」
やっと年頃の少年らしい言葉が聞けて、安心した吉野は今日はこれで満足だとメリーに頷いた。
「それじゃあまた明日な」
「明日もきていいの? 僕は迷惑じゃあないのか」
「カグヤを殺しさえしなければ俺は構わないけどな。ただの来訪なら君相手だとカグヤだって喜ぶだろう」
「へ、変なやつらだ。ま、まあきてやっても構わない。……帰る! なんか負けたみたいでくやしい! このままじゃすまさないからな!」
メリーは瞬きをする間にぷんぷんと怒ったまま綺麗な刺繍のスカートを翻し消え、吉野は見送って手をひらひら振るとポケットから月下美人の酒を取りだした。
まさか。
まさかあの人が命の果てに、願ったことがメリーのことだなんて。
あの人の甥があの子だなんて。
カグヤに願いが叶う酒を命がけで譲ってくれた人から、メリーを助けるよう願われるなら、恩も返せる。
「人生は不思議だね、カグヤ」
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