第17話 狐と探偵はそして安堵し続ける

 幸せにしたい人だとかではない。

 ただ情がわいた、それだけだ。

 それだけだったはずなのに、どうして今、こうして手を握ってしまうのか。

 懐かしい匂いがする。人間の匂い。

 昔々、共存して笑い合っていた人間の匂いだ。

 どんなに酷い目にあわされても、それが妖怪だからと済まされて共存していた時代は終わったのに。

 どうして、貴方だけは今も共存しようとするのか――。


 意識を戻せば、はにかんだ顔で輝夜が手を握っていた。

 いや、正確には市松が握って離さなかった――幼子のように。





「本気でケサランパサランを探すつもりか? あんなレア中のレアなもんを」

 ジェイデンの心配もしょうがないもの、ケサランパサランは妖怪の一つで幸福をもたらすものだ。綿のような姿で、白粉で増やす行為が出来るらしく願いを叶えるにはそれ相応の質量が必要だという。

 育てるのは問題ないとして、願いを叶える素となるケサランパサランをこの妖怪が一切いない時代で見つけるのも難しい話だ。

 夢物語なのだと罵られてもおかしくはない。

 輝夜は何ともない顔で頷き、ほうじ茶を啜った。


「そうでないと生活しにくかろう」

「今までと同じでいいじゃん、仮面つけてもらってさあ?」

「私はあんなに願いをはっきりと口にした市松を見たのは初めてだよ、苦しげだった。お前も見ていただろう? 出来ることがあるなら、手伝いたい」

「テメエの母親殺した相手の願い叶えるなんて、イカれてる」

「そうかもな、だいぶそこの感情は麻痺してるのかもしれない」


 市松はまだ意識ははっきりしてるものの、体がだらんとし力が入らない。

 まだ眠いという状態なのだろう、微睡みというやつだ。

 そんな最中に真横で話してる二人が悪い、盗み聞きではない、と心の中で断言しておく。


「恨みも憎しみも疲れるだけだよ、だから願わくば私は恩には恩を返したい」

「恩?」

「市松は今まで私を沢山守ってくれた、理由や目的は置いといてな。それだけが、今残ってる事実だよ。里を裏切ってまで助けたというのもね」

「時々、良心の化け物を見ている感覚になる、アンタを見てると。良心で出来ていてとてつもなくでかい化け物で、丸呑みされそうだと。テメエは悪意をぶつけられても、笑顔で善意だと勘違いするタイプだよな。そんなのは聖人君子じゃない、ただのバカだ」

「いいじゃないか、ただのバカ。聖人君子なんてやばい生き物よりかは身近な気がするよ」

「それよりもっとやばいからうちの親父も、あの吉兆の鬼もファンなんだろうが。お、こいつ起きたな、おい狐。お前ケサランパサランの情報持ってないか? 耳ざといだろう、テメエは」


 ジェイデンが市松の様子に気付くとぶっきらぼうに尋ね、市松はぼんやりとした口調でまだ微睡みの中言葉を発する。


「正気なの?」

「それはオレも尋ねたが正気らしい、狂気の沙汰だ」

「だってそういう存在がいるのなら手を尽くせば、願いが叶うかもしれないだろう」

「先生の思考は理解できません、ジェイデンあたりなら単純で判りやすいんですが」

「だな、オレもばか狐なら判りやすいが、カグヤはまるで判らん。人間だからか?」

「人間は、もっと汚いですよう」


 自分を顔無しだと騒ぎ立て迫害してきたかつての共存仲間を思い出し、市松はぼそっと呟いた。

 そうだ、人間は大昔ならまだしも、今の時代で純粋な者なんて絶滅危惧種だ。

 出会えたならそれは大層運が良い。


「代償に僕は何をすれば宜しい?」

「え?」

「代償が欲しいからこそでしょう? ああ、お母様のお顔を見せてさしあげましょうか」

「狐、テメエ……」


 ジェイデンが殺気を放っている。

 それでも殴りつけたりしないのは、市松が輝夜を信じ切れない気持ちも出てくるのが分かるからだ。

 善意をいきなり信じ切れるほど子供でない、自分たちは。

 もっともっと悪意のある大人を知っている。


「いつもどおり事務所においで」


 悪意を露わにしたのに、変わらず輝夜は笑って市松を撫でるものだから。

 とうとう市松は観念した。

 この人間には、善意しか存在しないイカれた存在なのだと。

 だからこそ、呪いが存在を否定したがって、輝夜を殺したがるのだろう。


「吉野がくるまであと何日ですか?」

「あと一週間で恐らく戻ってくると思う」

「判りました、一週間後に吉野が見守ってくれることを前提に話を進めましょう。東北の土地に、雪に紛れていたと仲間から聞いたことがあります」

「そうか、じゃあそこで待ち伏せだな!」

「でも……いや、なんでもありません」


 でも自身の呪いを消す方に使った方がいいじゃないですか、との言葉は飲み込んだ。

 折角願いが叶いそうなのだ、ここで言い出す自分は水を差すようなものだ。

 誰だって自分が一番、それで間違いないはずだ。



「A県に行きましょう」






 一週間時間をかけて情報を収集した結果、天気予報でもあと一週間後に雪が降るんじゃないかと言われていて、条件としてはベストだった。


 仮面をつけて新幹線に乗り、輝夜、ジェイデン、市松の三人でケサランパサランを探し回った。

 雪はしんしんと降ってきて、雪に似てる気がした輝夜や市松は探すのに一苦労する。ジェイデンに至っては見た覚えがない。

 見つけたとしても何も願ってはいけない、少なくとも増殖させるまでは、という条件も厳しく。

 輝夜は雪の寒さに身を震わせ、一生懸命探してくれた。

 この人間は何が原動力となってこれほど尽くしてくれるのか判らない。


「いたーーーーー!!!!!」


 探し続け滞在してから三日目のこと、やっとの思いで輝夜が一つ見つけ瓶の中に閉じ込めた。

 ふわふわと可愛らしく浮遊してる白い毛玉だ。

 こういうときにも見つけるのは必ずしもやはり輝夜なのだ。

 不幸にも幸運にも好かれている、羨ましいとは思わないが、すごいなとは思う。


「よし、これに白粉を与え続ければいいんだな。さて、道中他の者の願いを叶えられては厄介だ、暫くこの地で泊まるといい。二週間もあれば、増殖し続け君の願いもきっと叶う」

「――ありがとう、御座います」

「この管理は君に任せよう、君はこの土地で増殖をし続け給え。私は事務所へ帰るよ」

「あの……一個くらいなら、増殖したら差し上げます」

「要らないよ、願いはないんだ」


 どうにも理解の出来ない人間だ。

 輝夜は笑って手を振りながらジェイデンと共に帰って行った。


 只管に市松はケサランパサランを増殖し続けてきた。

 帰宅したら、一緒に湯河原屋のいなり寿司を食べようと。素顔で食べようと期待していた。

 増殖した後に、市松は願いを叶え、顔を生み出し人間へと変化した。

 満月の夜だった――ケサランパサランは増殖しすぎたせいか、充分に手元に残る。


 生まれ変わった気分がとても充実していて、気持ちの良い夜だった。

 あれしようこれしようと、未来の出来事へ連想が沢山できた。

 東京へ帰るなり、事務所へ向かえば事務所はなくなっていて、不思議に思った市松はジェイデンの元に訪れた。


 ジェイデンは暗い面持ちでサングラスをしたまま、嗤った。


「カグヤなら死んだよ、自殺じゃあない。呪いでもない。オレや鬼が少し忙しい間に、ストーカーに刺されて死んだんだ……」

「嘘でしょう……?」

「そう言うと思って新聞を取っておいてる、これを見ろ」



 ◎月×日、都内某所にて佐幸輝夜さんが暴漢に遭い――。



 その先の文字を読めなかった。

 文字を読んでいても脳に入ってこない。


 人間はこうだ。そうだ、こういう存在だとふと思い出した。


 いつだって、他人思いなくせに、いつの間にか遠くへ行ってしまう。


「あの人が何をしたっていうの」

「もとから短命の運命だろ、あいつは」

「あの人はただ、今までの日常を望んでいたじゃないですか。なんで、どうして――」


 ケサランパサランの瓶を抱きしめて、市松は輝夜のような瞳から涙を流した。


「どうして奪うんですか、何もない人から。過度な願いも過度な幸せも望まない、あの人がどうして……嫌だ、認めない。吉野は何処ですか、吉野、いるんだろ? 吉野!」

「ここに居る」


 ジェイデンの部屋のベランダ越しにある木の枝から座っている姿を現し、枝からベランダへよじ登る吉野。

 吉野はこんな状況でも強い眼差しをしていた、そこに市松は希望を見いだす。


「何か策があるのね」

「お前次第だ」

「どういうこと?」

「お前は存在を変えた、ということは世界線を分けたことになる。わかりやすく言うと、輝夜のいる未来と、輝夜のいない未来にあの瞬間別れたんだ。ストーカーだってお前が側にいれば来なかっただろうしな」

「……時を戻すなんて無理だ」

「奇跡は作り出すものだ、そうだろ?」


 吉野は瓶を指さす。

 要するに、顔のない過去に戻り、顔のないまま未来を迎えれば輝夜は暴漢に襲われる未来もないということだ。

 折角手に入れた顔だ、苦労して手に入れた顔だ。あんな他人のために投げ出すバカがいるかと思いつつ、口は別のことを願っていた。


「ケサランパサラン、どうか過去に戻ってください。僕が、顔を作る前の過去に」

『後悔しないの??』


 ケサランパサランが初めて喋った。

 度肝を抜かれた市松だったが、可憐にはにかんで頷いた。


「一時の夢を与えて貰ったのでしょう、僕は僕が好き勝手するより、あの人が好き勝手する未来のほうが愉しそうで見ていたいの」

『変な狐さん、わかったあ』



 瞬けば、ケサランパサランを手に入れて輝夜を見送りする途中の駅構内。

 ケサランパサランは手元にはもういない。


 市松は、目の前を歩く輝夜の手を握り、驚いた輝夜が振り返った。


「帰りましょう」

「君も帰るのかい? って、ああ! 折角手に入れたものが消えてるじゃないか!」

「ふふ、もういいの」


 市松は狐面を取りだし、そっと顔に付ければ後頭部でヒモを結んだ。

 少しずらして、内緒話をするように、輝夜に告げた。


「先生。先生が、最初で最後のお友達ですよ。お友達がいれば、僕はもうそれでいい」


 不思議なことを言う奴だ、と輝夜はまたしても知らぬうちに市松に助けられたということを知らない。

 知るのは吉野と市松のみぞとなる。

 こうして今後も影ながら不吉を取り除いたり、対処したりしていくのだろう。

 退屈はきっとしないはずだ。そのほうがよっぽど得があると市松は機嫌良く、口元だけ微笑んだ。


 顔についてあれだけ拘っていたのに、市松は清々しささえ感じる声で「もういい」と諦めでもなく告げて輝夜を大事そうに抱きしめた。


 探偵は、市松が側にいると宣言しているようで、ようやく安堵した――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る