第16話 一生涯変わらない貴方になりたかった

 その男は天狗面をつけていた。

 天狗面の男は、狐面の男を抱きしめ熱い抱擁を交わす。

 狐面の男は仄かに口元だけで嗤うと、天狗面の男はそっと身を離す。

 狐面の男は、腹に赤い花のブーケを散らし、花を千切るように力を込め抑えた。

 狐面の男は膝を折り、笑みを悲しげなものにし、身を崩した。


「これを以てして、お前は咎人だ」

「これが罰だというのですか」

「そうだ、お前は人間に感情移入したあまり、顔を奪わなかった。あまりにも人一人に割く時間が長すぎる……見たところ守っていたな? それは我々の仲間より、人間を優先した以外何を意味する?」

「……本当に、仰るとおりです、馬鹿らしい。あんな、鈍感な人のためになんて。何処かの鬼のお人好しでも伝染ったのでしょうか」

「それ以上はわが一族の誇りを潰える、もうよい、喋るな。楽にしてやろう」


 天狗面の男がゆるりと狐面の男から面をとり――面を取られた男は微笑んだ。

 男の顔には、綺麗な形の鼻と口以外何もなく。

「どうか、お幸せに、隣人よ」


 男は切ない声を載せて、はにかみ天狗面の男を蹴り飛ばした。

 蹴り飛ばした先には、千の数の日本刀。

 どれもが切っ先を、天狗面の男に向いていた。





 市松が、事務所の前で倒れていた。

 腹に赤い血液を滲ませ、いや、コートに沢山の血液がべっとりとつけている。

 ぜいぜいと呼気を荒げ、長い長い前髪が素顔を隠す。

 いつもの狐面は何処へいったのか、素顔を前髪で隠し、輝夜を待っていた。

 帰宅した輝夜が慌てて駆け寄ると、市松は安心したように口元を見せて笑った。


「ご無事で何より、なんて、僕が言えた義理じゃないですが」

「いったいどうしたというんだね!?」

「救急車はご遠慮を。それより、早く吉野に保護して貰いなさい」

「どうして」

「僕のお仲間が沢山、此処へ来てしまいます――お前のその世界で二番目に美しい顔を、盗みに」


 さらりと前髪が揺れ、瞳を――そこには存在しない瞳を見せた。

 鼻と口だけが存在する顔。瞳も眉もない。

 輝夜が声を失うと、市松は微苦笑めいた口元で「お逃げ」と優しく囁いた。


「状況が掴めない、どうしたんだ君は」

「……お前に、近づいたのは顔が目的でした。僕の一族は世界で最も美しく、世界で最高に不幸な顔を集めているんです。僕の一族はのっぺらぼうの亜種。顔を集めて、他人からは最も会いたい人の顔を映すのが得意なんです。そうして招き寄せ、――顔を餌に獲物を釣り上げる。その為に色んな造形を得るため、他者から顔を剥がし……お前もその候補でした」

「もしかして私を庇ってくれたのかい? いつもの君らしからぬ行動だね」

「自分でも思います、それより早く逃げてください、杓子(しゃくし)がきます。僕の里の、長が。早く吉野か、最悪ジェイデンでもいい、守って貰いなさい」

「市松、君の素顔を初めて見るのだがね、素敵だな」

「……お世辞を言ってる場合じゃ、ないんですよ」

「でも……」

「まだわかんねえのか、このくそがきが! 今はお前の感傷に浸ってる場合じゃねえんだよ!」


 瞳も眉もないのに、傷つきながら苛ついた市松の顔つきを見た気がした輝夜は、ふふと「いつものお前に戻った」とにこやかに微笑んだ。


「他人の顔を借りる君よりはいいってことさ、吉野なら今は神の世界に戻っている期間らしい、数日人間界へ行けなくなると聞いた。ジェイデンは……いるかもしれない。どうせ聞かれても構わない会話なら事務所に入ろう、そのほうが君の手当もできるし、あいつも盗聴器を通して事情が分かるだろう」

「……貴方はつくづく運のない御方だ。吉野だけが貴方の幸福しか考えてないのに」


 輝夜が市松に肩を貸して事務所の階段を引きずる形で何とか登り切ると、事務所の中へ入ろうとする。

 事務所のいつもの自分が座る社長椅子へ座らせ、救急箱を持ってくると市松は自らコートを脱ぎ、その下にあるサマーニットに染みる血液の毒々しさを確認すれば自力で手当をしはじめた。

 手慣れてる様子だったので、輝夜はそのまま市松に任せることとした。



「君は顔が欲しいのかい?」

「貴方の顔は欲しいですね」

「そうじゃなくて、自分の……自分だけの顔は欲しくないのかね?」


 輝夜の問いかけに、動きの止まる市松は顔がないため表情は判らない。

 ただ口元が真一文字であった。

 鼻先をひく、と動かし、考え込んでから長い間を越えて返答してくれる。


「もしもの話なんて何の意味があるんですか」

「いつか意味が出来るかもしれないじゃないか」

「意味ないんですよ、貴方は人間という種族を生まれながらに変化できますか? 貴方が論じようとしてるのはそういう話。僕の種族は、元から顔がない」

「それってもし願いが叶うなら、種族を変えたいとも聞こえるな」

「普段なら鈍感に流されてくださるのに、こういうときは無遠慮なところ、流石の貴方様です」


 手当を終えた市松はぜいぜいと呼気を荒げ、社長椅子の背もたれへ背を預けた。

 天井を見上げ……目はないのに見つめられるかは判らないが、天井へ顔を向けて、考え込んでいる。


「僕は、美しい顔がいい」

「どんな顔だね?」

「瞳はアーモンド型、鼻筋は通っていて、唇は薄く。睫は長めにね。人間でも顔を持つ人はその全てを持つなんてレアでしょう?」

「どうだろう、私は全人類に会ったことないからな。世界を知らない」

「変わった方、そこはそうだね、って言うところでしょう」

 市松は輝夜を指さしてから、手で輪郭をそうっとなぞる。


「少なくとも貴方はレアケースの美しい顔だ」

「ありがとう」

「言われてるのも慣れている程にね。種族変化でさえ願いなんて叶えにくいのに、更に美しい顔が欲しいなんて贅沢、デショ」

「人生は贅沢に生きた方が……」

「それは持ってる者だから言えることでしょう? 貴方が手にしたことがないものってなんですか、何でも持ってるじゃないですか。神の……吉野からの祝福でさえ、自力で手に入れた」


 輝夜は指摘されれば俯いてから、月光へ視線を向け、悲しく笑みを浮かべた。


「母さんが、いないね。死んでしまっている」

「……失言でした」

「いやいいよ、そう珍しいことでもないだろう。あの人は、そういう運命だったのだろう」

 あとはそうだね、と輝夜は言葉を続けようと考えたがそこは別人が言葉を紡いだ。


「あとは危機感がないようだな」


 部屋の暗がりから現れたペストマスクの人物に、二人は警戒する。

 ペストマスクの男は、黒い外套から手をゆっくりと伸ばし、黒革の手袋を嵌めた手を見せる。


「おいで、その子の顔を奪って。今なら許してやろう、同胞を殺したことも」

「杓子……ッ先生、窓ガラスの支払いは後々にッ!!」


 市松は窓ガラスを開ける手間さえ惜しみ、蹴破ると輝夜を抱きかかえ二階から降りた。

 輝夜の制止も聞かず、市松は輝夜を俵担ぎし、街を走り出した。

 何処へ行こうとも逃げ場などないし、救ってくれる場所もないのに。


 外は気づけば小雨が降り、二人は徐々に濡れていく。


 気づけば、いつか輝夜に顔を見られた大樹の前にいた。

 大樹まで走り込む頃には傷は目一杯開き、限界だった。

 輝夜を下ろし、市松は座り込むと輝夜もしゃがみこんだ。輝夜の顔に手をあて、市松は歯を食いしばった。


「僕は、貴方になりたかった。どんなに、不幸でもいい。どんな呪いを受けてでもいい。それを個性と認め、何でこんな目にあうんだと呪いを否定しない貴方になりたかった」

「市松……」

「どうすればそんな風になれるんですか、顔がある余裕だから? 美人だから? 僕は絶対に顔を持っても、貴方のように理不尽な運命を酷いと嘆く。そんな、大らかになれない。いつしか、何処までその大らかさが続くのか気になり……貴方はずっと一生変わらないのだと気づいた。だから、貴方に、なりたかった」


 人間であったら目から涙を零すような、魂の震える声からの訴えだった。

 何事も無関心を貫いた男の本音だとすぐさま気づいた。

 この男は無関心でいながら、関心を持つ真逆の輝夜に憧れていたのだ。

 輝夜はそうして男が憧れになりうる要素である大らかさを露わにする――市松を抱きしめ、頭を只管撫でた。

 母性を見たことがないはずなのに、母性の塊を見せつけられ、畏怖した市松は輝夜を突き飛ばした。


「貴方はきっと、化け物だ」

「どうして」

「人間はこんなに理解力は無い。何処かで否定する、貴方の理解力は何処まで広がるんですか」

「判らない、ただ否定されたら悲しいだろう?」


 輝夜の笑みがとても美しく、嗚呼だからそれになりたいのにな、と市松は黙り込んだ。

 遠くから杓子が近づいてくる。

 逃げ場ももうない、救いは望めないだろう。

 市松は輝夜を背に庇う。


「坊主、どうした。その子を殺めよ、許してやると言ってるだろう」

「杓子、……この人は許してください。他の人を狙います」

「坊主おかしいな、その子の母は笑ってお前が殺しただろう?」


 輝夜の驚く顔が恐くて見られない、背に庇いながら市松は俯く。

 ――予感はしていたよ、と涙ぐんだ声が後ろから呟かれた。

 そう死んだ者の顔を奪う一族だとばらした時点で、予想されても仕方の無いこと。

 あの日、理想の顔を見られたのだから。


「どうしてその子だけは駄目だと言うのか理解できんな」

「情が芽生えた、で納得して帰って頂けません?」

「駄目だな」

「そうかい、じゃあ後は殺し合うしかねえな、蛮族どもよォ!!」


 大樹の真上からジェイデンが降ってきた。

 チェーンソーを起動させながら杓子という者に降ってくると同時に斬りかかり、杓子は間一髪避けたものの痛手を負う。

 ジェイデンはサングラスを外し、目を見開き笑う。


「よーく見ろ、オレの瞳を。美しいだろ、綺麗だろ、宝石に勝る魅力だろ!?」

「……メデューサの末裔か……忌々しい、身が鈍るな」

「何もたった一人っきりの人間に拘るこたあねえだろ、妖怪様よう!? オレや、ましてや鬼でさえ気に入ってるんだ。それにいつか呪いで野垂れ死ぬかもしれねえような不吉の塊に何をそこまで拘る!?」

「……見逃せと?」

「うじゃうじゃいる人間どものなかでこいつだけに固執する必要性はないだろ、これ以上はそっちの一族が破滅するぞ。親父もこいつの熱狂的ファンでなあ、筋金入りの殺人鬼なんだ。切っ掛けを作ったなら大喜びされて、……あとは判るな?」

「……此度は引こう、坊主。お前ももう里に戻れないと思い知れ」

「……感謝致します」



 チェーンソーは振動音を響かせていたものの、杓子が背を見せれば振動音を止め、その場に置けばサングラスをかけてからジェイデンが振り返る。


「鬼がいない期間にくるとか、あっちは調査済みって感じだな」

「吉野はそんなに有名な鬼なのかい?」

「どうだろう、人間様や妖怪の感覚はわかんねーからな。おい、このままだとカグヤが心配するからうち行くぞ、くそ狐。怪我が治るまでぐらいはいてもいい。カグヤ、何かあったらまた事務所で助けを求めてこい、暫くはねえと思うが……」

「ジェイデン、市松が私の母を殺したの知っていたのかい?」

「……ああ、怒るか?」

「いや、……お前にも言えぬ事情があったのだろう」


 ジェイデンは輝夜に呆れる。

 そうやって何もかも受け入れるから危うくなるのだと。

 輝夜の衣服についてるパスケースに仕込んだ盗聴器から聞こえた、市松の願いは歪であり、理解もできる。


 こんな人間いないから、何処までそれが通用するかは見てみたくなる。


「カグヤは一人で帰れるな?」

「いや……私もいくよ、側にいる」

「は? 仇だぞ、腹が煮えくり返らないのか?」

「……いいんだもう。市松は私のことは守り通そうとしてくれた。それが今、の出来事だ。過去に縛られて恨む必要は無い」

「めでてえ頭してるな。判った、うちにこいお前も。……何が起きても、知らねえからな。それこそ親父が乗り込んでくるかもしれねえぞ」

「大丈夫、熱狂的ファンは遠く見守ってくれる者だろう? その姿勢を親父さんはもう壊そうとしないはずさ。ねえ、市松。提案があるんだ」


 輝夜は市松に微笑みかけた。

 市松は意識を失う直前に、とんでもない祈りごとを聞いてしまった。


「ケサランパサランを見つけ、君が人間になって美しい顔を持つようにって願おうよ」


 そんな方法提案するなんていかれてますよ貴方、なんて嗤いながら市松は気を失った。


 小雨の勢いが強くなり、月は朧のまま輝いている。

 いつか桜の下で、輝夜の母の顔をした自分と、輝夜が笑い合う夢に旅立つ市松であった――。


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