第15話 希望の向日葵

 夏がやってきた、この時期は兎に角輝夜は命大事に過ごすことで手一杯だ。

 毎日毎日、非日常に出くわすことが多く魘される。

 そんな日々の中で海での依頼を頼まれた。

 何やら海で人魚が現れるスポットがあるという。

 そのような所に行けば、百パーセント帰ってこられないのがよくよく分かる輝夜は、予防策として吉野と市松を海へ行かないかと誘った。


「先生、インドアなのにアウトドアなこと仰るのね」

 市松にはしょっぱなから怪しまれ、素直に依頼人から写真に収めて欲しいとリクエストされたと告げれば、吉野は呆れた顔をした。

「カグヤ、あんたはいつから新聞記者にでもなったの?」

「オカルト事件とかスポットを調べてる依頼人なのさ」

 依頼人の名刺から妖しい匂いがしないか調べ終わった吉野は、じと目で輝夜へと視線を向けて、名刺を机の上にほっといた。



「間違いなくカグヤは危ない目に遭うよ。小さい頃に攫われたりしなかった?」

「小さい頃か、私は父に連れられて海に行ったことがあるのだがね、幽霊に出会い、でも生きて帰ってきた。すごいだろう?」

『へえ、そう』


 二人が声を平坦にハモらせるものだから、輝夜は目を瞬かせた。


「薄い反応だね、信じてないな?」

「いえ、貴方レベルのこととなると当たり前に自然と出会ったことのように思えるので、反応に困るのですよ」

「カグヤはそういうのに好かれやすいからなー……」


 嘘になりようがない、といった二人の引きつった表情や気まずそうな声にカグヤは青筋立てて笑って二人の写真を収めた。

 強硬手段だ、疑いもしない二人に写真をパシャパシャと撮ってやると二人は慌てた。


「一緒に行ってくれないと、この写真をオカルト雑誌に売り渡すぞ」

「乱暴な手段! 先生の卑怯者!」

「はあ……まあ元から俺は行くつもりだったしいいよ。カグヤをそんな、死の確率百パーセントの場所に一人で向かわせられない。狐もそう思うだろ?」

「確かにね。この年で人魚と再会したら、間違いなく海へ引きずり込まれるお人です。僕はタダでは嫌よ? お弁当は湯河原屋のお稲荷に、巻き寿司もおつけして?」

「分かった分かった、お弁当の味の保障はするよ。吉野、君は人間のふりをしていてくれよ。宿に泊まるときに、角が見えたら厄介だ」

「分かった、貰った帽子探しておくよ」


 吉野の返事に輝夜はにっこりと歯を見せ笑顔を作った。

 吉野と市松は顔を見合わせ嘆息をつく。


 これ以上は止められないと悟ったらあとは守るだけだ。




 海辺の泊まり先について荷物を下ろした後に海辺へ向かうと、そこには大勢の人々が海水浴で押し寄せていた。

 場に沿うように輝夜も水着にパーカー姿で麦わら帽子を被っている。

 市松は白いワイシャツにスキニージーンズ姿で、色合いは爽やかなものの少し暑そうだ。

 吉野は帽子に、Tシャツとハーフパンツ姿で、あたりをきょろきょろとした。


「良い匂いがする」

「潮風じゃなくてかい?」

「新幹線で食べたお弁当では物足りないの、吉野?」

 呆れながら市松があたりをつられて見回すと、海の家と書かれた簡易な店があった。

 店先でソース焼きそばを焼きながら、器用にフランクフルトも焼いてかき氷まで販売している。おまけにビールもだ。

 客足は順調のようで、輝夜が興味を持って店を見た瞬間、市松は輝夜を抱き寄せ目元を隠した。

 店先にはジェイデンが働いていたのだ。

 ジェイデンは一行に気づくと、にこりと微笑みかけてから手元にある菜箸をくるくる回す。


「よう、お守りども。可愛いカグヤも元気そうで何より」

「なんだ、どうした市松。誰かいるのか?」

「オレの声忘れるなんて寂しいな、あんなに熱烈にオレを口説いたじゃないか」

「……嗚呼、判った。この場を離れようか、皆」

「まぁまぁ、お待ちよ。仕事終わったら少し話あるから、待っていて。焼きそばとビールくらいなら奢るから」


 ジェイデンの飄々とした様子に、吉野は唸り睨み付けるが、市松は何かが引っかかるのか頷いた。


「今回はこの方への執着というわけではないのですね」

「カグヤは寧ろ今回は、餌として使わせてほしいな。もう一度会いたい奴がいるんだ」


 ジェイデンは焼きそばを菜箸でパックに三つ詰めると、三人を手招きし押しつけた。

 ビールも一緒に押しつけると、後でな、とウィンクをしてそのまま仕事を続ける。


 三人は焼きそばを食べながらジェイデンについて話し合った。


「肉が少ないぞ、紅ショウガだけはてんこもりだ」

「先生、問題点はそこではありません。貴方、何か怪異を引きずり出す餌にされるんですよ」

「あんなやつからの奢りなんて食えるか」

「食べ物に罪はないぞ」

「先生、吉野、食べ物から一旦お離れになって。思考をね、切り替えて。夏で朦朧としてるのは判りますが。……この辺りで先生の仰ってた人魚以外に怪異って出るんですか?」

「いいや、この海はあの人魚だけだったはずだよ。他の海は判らないけども」

「だとしたら、狙いが一緒だと盗聴器か何かで知ったのでしょうねえ、抜け目ない」

「だとしたら昼間は人魚は出ないのかもな、時間の無駄潰しが嫌いそうだあいつ」


 昼の一切出ない時間を有効活用したくて働いてるのだとすれば納得は行く。

 振り返って金髪の、サングラスをかけた青年を見やれば、ひらりと手をふられて微笑まれた。

 改めて市松は二人に確認する。


「目を合わせてはいけませんよ」

「魅了されてしまうからな。判っているよ、懲りてるもの」

「俺はもともと見つめるつもりもないよ、先生の目と違って汚そうだもの」

「宜しい。そうであれば、昼間は泳いでも大丈夫そうですね。先生は吉野と泳いできては?」

「折角来たのだしそうしてみるか、吉野行こう。焼きそばは市松に任せよう」


 紅ショウガ焼きそばを二人は市松に預け、浅瀬で遊ぶこととした。

 二人を見守りながら市松は仮面を付け直す。

 ジェイデンは此方を見ている、少し反応が見たい。市松は仮面をわざとずらし、一瞬だけ顔が見える隙を作った。

 ジェイデンはサングラス越しに驚いてはいたが、表に出すことなく仕事に専念してる体を作り上げた。


(なるほど、此方の情報も収集済みと)


 だとしたら、いつの日か自分を殴り止め輝夜を守れるのは、吉野ではなくジェイデンなのかもしれないとぼんやり市松は思案し、紅ショウガを口にした。

 やけに辛いこと。




 夕方に仕事が収まり、ジェイデンが輝夜たちのいるパラソルに近づく。

「よっ、お疲れ。海は楽しかったか?」

「まあな、久しぶりの海だ、楽しんだよ。ところで何故此処にいるんだ?」

「幼なじみの引っ越し先でな、この海が。テメェと同じ人魚だよ。同じ奴かどうかはわかんねーけど。オレが浅瀬に出ても、中々でてこねえんだ。ま、そこで、どうせ目的が一緒ならテメェに人魚出して貰おうと思ってな」

「出してってそんなアイテムじゃないんだから、簡単に引きずり出せるわけがあるか」

「そこは愚問じゃない? だってテメェは……」

「不幸の塊ですもんねえ。お前の狙いは判りました、混じりけのない本心であることも」

「お? どうやって判った?」

「趣味でくるならもっと遊ぶはずで、揶揄いならもっとこの単純バカの先生がお怒りになることをしでかすはずです。お前の性質からいってね」

「ようく判ってるじゃないか、亡霊の顔持ち」


 ジェイデンはにひっと茶目っ気たっぷりに笑ったが、それに対する市松の反応は涼しく笑うだけ。

 侮蔑も混じった呼びかけに無視すればジェイデンもまた気にした様子もなく話を続ける。


「大事な預けもんがあるんだよ」

「返して貰う為に海にきたのか、すんなりと返して貰えるようなものなのか?」


 吉野からの問いかけにジェイデンは口元に紙製のタバコを咥え、火をつけ笑った。


「苦労するかもね、そこで我らがお嬢様の出番だ。メロメロにしてやってよ」

「君の目でメロメロにできるだろう」

「人魚は駄目だ、オレより誘惑の力が強すぎる。いいか、人魚にキスをされないように気をつけろ。されたら二度と地上に戻れねえ。まだまだカグヤと楽しみたいのよ、オレは」

「戯れ言はほっといてわかった、いいだろう。報酬はバスルームからの盗聴器を永劫に外すことだ」

「他の部屋はいいんだな?」

「やめろといっても外しても、何回でもつけてくるし、ファンレターで抗議してくるじゃないか君の場合。断って恨まれるのも厄介だしな」


 輝夜の返答に、市松も吉野も反論も思いつかず「確かに」と賛成するしかない現実を受け入れるしかなかった。

 ジェイデンはサンキュと一同にふざけて投げキッスをした後に、「行くぞ」と呼びかけて人魚といつも落ち合う入り江まで案内し、そこにポケットから取り出した蛍のような煌めきを持つ鉱石を海へ投げ入れる。


 やはり反応はない。

 ジェイデンの様子ではこの鉱石が、呼び出す合図だと察するがそれでも来ない。


「引っ越したのかなあ、やっぱり」

「いいえ、魔力の渦は大いに下層から感じられます。沢山います、ね。だとすれば、相手はお前に会いたくないのでは?」

「あー、オレの魔力を読み取って出ないパターンか。しょうがない、カグヤ、オレは宿に帰るからこの石を投げ入れて呼んでくれ。それでオレが、“華石(かせき)”を返してくれと言っていたと伝えといて」

「本当に会わなくていいんだな?」

「いつまでも会えないまま話が終わるよりかは、間接的にさよならの挨拶を聞いた方が気が楽だしな。オレとしては寂しいけど、華石を返して貰えたらそれでいい」

「判った、先に帰り給え。この場は任せておけ。他に伝える言葉はないな?」

「……そうだな、向日葵が咲いたよ、と付け足して。じゃあね、オレがいなくて賑やかさなくなって寂しくなると思うけど、頼んだワ」


 ジェイデンは不思議な静けさを身に纏うと、さっさと宿への帰路を歩んだ。

 去る間際に渡された鉱石は夜中に輝くものらしく、爛々としている。

 ジェイデンが完全に帰ったのを見てから、輝夜はもう一回試してみる。

 ぽちゃりと海に放り投げ、十分ほど経ったところで海から泡(あぶく)が見える。

 吉野は輝夜を隠すように前に出て様子を窺い、市松は仮面越しの様子からは冷静だ。

 泡はゆっくりと近づき、水面から美しい亜麻色の髪を持つ乙女が浮かんだ。

 下半身は魚、まさしく人魚だ。真珠や宝石を遇ったアクセサリーをつけて、輝夜をじっと見ている。

 可憐な面持ちは涙に潤んだ。


「ジェイデンの魔力の痕がする。そう、察してくれたのね」

「会えない理由でもあるのかね? 幼なじみだと聞いていたが」

「……あの人に会えば、多分私はキスを無理矢理にでもして海へ引きずりこんでしまうわ。それは私の望む行為じゃない。きっとあの人も私にそんな想いはない」

「人魚の本気の恋、珍しいこともあるものですね」


 市松の言葉に人魚は切ない笑みを浮かべ、言葉を続ける。


「あの人何か言っていた?」

「華石を返して欲しいってのと、向日葵が咲いたと言っていたな」

「そう、大事な人も自由も得たのね」


 輝夜の言葉に驚くように瞬いてから悲しげに人魚は笑い。

 顔に手を寄せさめざめと泣いてから頷いた。

 人魚の首飾りとしてつけられていた宝石を首から外し、輝夜へと預けられた。

 あまりの綺麗さに輝夜は、赤く輝く華石のアクセサリーにも人魚にも見惚れる。

 人魚はゆっくり手をふって、「じゃあね」と沈んでいった。


「先生、写真撮らなくてよかったのですか」

「あの子は……オカルト雑誌には向かない」


 きっと純真な心を持っていそうな人魚であったから、誰かのネタにされるには惜しい逸材だからと輝夜は諦めることとした。




 次の日相変わらず海の家で焼きそばを売りさばくジェイデンに輝夜は遠慮がちに声をかける。

 勿論視線は絶対に合わせないようにして。


「あの子と会ったよ、はい、これが華石であってるかね」

「お、ちょっと待ってな、もう少しで休憩入る。そこで待っててくれや」


 ジェイデンは今までと変わらない飄々とした態度で頷き、輝夜に席を勧める。

 少しくらいならいいだろうと、席へ座り休憩に入って隣に座るジェイデンに華石を手渡した。


「向日葵を昔、二人で夢見ていた。オレもあいつも向日葵を見るなんてことすら縁遠い世界にいたからな。自分で育てられた経験をしたことを教えたかったんだ、あいつにもいつか自由はくるって。希望の象徴だったんだ」

「君は自由がかつてなかったのかい?」

「あんな親父と、化け物の母親のもとで暮らしていたんだ。人目に出られるのは稀だ。今は大人で世渡りの仕方を覚えたから何とかなってる。華石はお袋から貰ってたんだ。いつか大事な人が出来たらその子に渡しなさいって。オレは知り合いも少ないから、とりあえず預かっててくれってあいつに頼んだ」

「なんでまた返して貰ったんだ? 悲しい顔をしていたぞ、あの子は」

「オレがあの子を好きになる未来は絶対ないからだ。人外とか関係なくな」

「どうし――」


 それを聞いてはいけない気がする。それ以上は聞きすぎだし、きっと望んでない展開が待っている気がし、輝夜は言いよどんだ。

 ジェイデン自身も、その先の言葉を期待してない様子であった。

 華石はポケットへとしまい込み、ジェイデンは輝夜の頭をぽんぽんと撫でた。


「もう少しお前さんは警戒しな。話を聞いてくれるのは有難いけど、それを利用して『寂しいからじゃあ側にいてよ』とかってつけ込まれることもある。それでオレが無理矢理また目を見せてたら、お前どうしてた、ええ?」

「……迂闊だった」

「オレもお前も大人なんだから、適度に自衛していこうぜ。でないと、どんどんつけ込む奴は増える。いいか、あの狐。あの亡霊の顔を持つ男だ。鬼の方は良心的で問題ない。あっちは寧ろ吉兆の塊だ、お前にとって幸福の擬人化みたいなもんだ。だが狐は反対だ、あいつは駄目だね。あいつにも狙いはある、テメエも気づいてないわけじゃないだろ?」


 いつも飄々としたジェイデンにしては珍しく、心のこもった親切だ。

 随分と真剣な様子で忠告をしてくると、輝夜は面くらい瞬いた。


「……どうした、今回はやけに親切で口うるさいじゃないか。君にも人の心はあったのかい?」

「……オレは、獲物がかっ攫われるのが嫌いなだけだ。オレの美と愛の追究を邪魔する奴を、カグヤ自身が排除してくれたらラッキーだしアンタにとっても美味しい話だよ。あいつがいなくなるのって」

「君の作る焼きそば。紅ショウガたっぷりだったな。私にとって、紅ショウガみたいな奴だあいつは。いないと何となく物足りないんだよ。たとえば私に何か不吉をもたらすとしても……もしかしたらあいつ自身が変わって止まってくれるかもしれない。そんな奇跡を願っているよ」


 輝夜は唸りながら返答すればジェイデンは呆れた様子で、親切を無碍にされたと苛つく。

 その心境が分かるからこそ輝夜は微苦笑を浮かべるのだろう。


「カグヤに関わる奴で誰もあいつを信じてないし疑っているのに、アンタだけは信じるなんてよほど脳天気だな。めでてえ頭してるよ、イカれてる」

「私には随分と保護者がいるみたいだから、気構えすぎずに済むよ」

「……お礼代わりに忠告しても、親切にしても無駄とか……流石のアンタだねエ」

 ジェイデンは困ったような笑みを浮かべ、ジェイデンは立ち上がるともう一度カグヤの頭を撫でる。

 やけに手触りのイイ髪質は、手放すには惜しく長く触りたそうであるががこれ以上は嫌われると察したか。

 ジェイデンは「サンキュ」と告げると、そのまま海の家へと仕事に戻っていった。



 ジェイデンが華石を取り戻した理由。

 自分に纏わることなのだろう。それは予想できる。


「ジェイデン、私はその宝石を別の者が心から受け入れ手にする日も願っているんだよ、質屋で売りたくなる私なんかよりもね」


 輝夜は独り言を呟けば、ゆっくりと駅で待っている吉野や市松のもとへと急いだ。


 後日、人魚の写真は友達に頼んで合成してもらい、心苦しいがそれで依頼をよしとして貰った。

 もとより真実味のない生き物だ、伝承が本当か嘘かなんて事実は誰も興味ないのだ。




 後日やたら綺麗な包装で贈り物が届いた。


「……相変わらず私の願いは、天に届かないな」



 華石が輝夜に贈られて、添えていた手紙には一言メッセージがついていた。


『オレだけの向日葵になってよ』


 その言葉の真意は、ジェイデンとあの人魚にしかどれだけ真摯な想いが籠もっているかは心から想像はできないだろう。

 ひとまず、今回は盗聴器はついてなさそうであったし、無事風呂から盗聴器も消えた様子である。

 輝夜はプライベートを少しでも確保できたような気がした。


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