第12話 例えばもし。

 その数字が見えだしたのはいつからか。


 輝夜は、父の頭上に纏わり付く数字を見ては、嘆息をついた。


 頭上には「15」と書いてあり、嫌な物を連想させた。例えば寿命とか。




 父や世間の人は見えていないのかそんなことも気にせず、画材道具の整理を手伝う輝夜にお礼にとケーキを振る舞った。暗いアトリエで、アトリエの掃除の休憩がてらに出してくれた。


 簡単な組み立て式の机と、木の丸椅子でお茶会なのだから、世界一素っ気ない。


 それでいてケーキと紅茶、食器だけはやたらと金が掛かっている。


 折角会いに来たのだから、父親の苦労する家のことを手伝おうとした。ジェイデンの言葉が気になって離れなくなったので、父親に真相を聞こうと決意したのである。


 父は、このアトリエで美術教室をしているのだった。習い事の先生というやつだ。


 父親は入院しがちで中々面会する機会は幼い頃はなく、年を経てから仲良くなっていった気がする。


 反抗期もとっくに過ぎてるし、数少ない肉親と縁遠くなりたくはなかった輝夜だから、毛嫌いするわけにもいかなかった。


 世話をしてくれた祖父母も他界している。


 父は自分が食べるとなると金はかけたりしないで、粗食で済ませるのに輝夜に対してだけは金を無制限に使う癖があった。それしか接し方が判らない様子でもある。


 この目の前のケーキだってそうだ、高くて人気店のものだと特集されていたものだ。


 どこで知って手に入れたのか。アポなどつけてからくるのではなかった。




 父親はにこにことし眼鏡の位置を直し、自分はクッキーを口にしようとしたので輝夜はケーキとクッキーを並べ直し。じろりと見やると父親は、驚いた眼差しだ。




「父さんは……母さんのこと、覚えてる?」


「印象的だったからね、生涯の傷だ。失ったことは」


「……父さんたちが、神様に気に入られていたって聞いたけど、ほんとうなの?」




 輝夜の言葉に、一気に父は笑顔ながら気迫が増した。


 目を据わらせ穏やかに目を細めてるのに、冷気が強い。


 輝夜は引くわけには行かない、以前から母の話となるとその恐ろしい表情を見ては自分から「何でも無い」と引いていた。


 変わらず輝夜が言葉を待つと、父親――佐幸翁さゆきおきなは緩やかに首を振った。




「そうだな私の怒りに怯えなくなったなら、もう話す頃合いだ、覚悟が出来ている」


「覚悟のいる内容なの?」


「とってもね。月夜村つくよむらのことは秘密だからおいそれと話すわけにもいかない。鬼門というのを知ってるか、一番の鬼門の帰結にあたる位置にあってね。その為、村には発展性を注ぐわけにもいかず、ひたすらに結界を施した時代遅れの村だった」




 翁はまたしてもクッキーに手を伸ばしかけたら輝夜に凄まれたものだから、ケーキへ手を伸ばし食べる。


 あまりの美味しさに何故可愛い娘は素直に食べてくれないのかと憂う。




「その村では五十年に一度、神様だと分かる者が存在してる。君のお母さんは、その神様と分かる物にいたく気に入られ、大変だった。神様は何でも富を与え、何でも幸福を与えようとした。でも彼女は無関心だった、故に焦れた神様が生け贄に選んだ。私は雲雀を連れて逃げたよ」


「どうして、嬉しくないの?」


「彼女は……雲雀ひばりは人間離れした美しさと性格だった。気紛れなんだ、とても。それなのに、一度情をかけるととても篤い。常人には掴めない人だった。雲雀は富を人に譲り、自力でない幸福を不幸だと告げた。雲雀は幼なじみの、何故か私に惚れ込んでいてね。私にも信じられなかった、あの人が私を選んでくれるなんて」




 輝夜の輪郭を撫で、頭をぽんぽんと叩けば翁は茶を啜ってから、輝夜へケーキを一口差し出す。輝夜は一口だけならと甘んじる。


 にこにこと翁は微笑んでから、気まずそうに話を続けた。




「平凡な私を選んだんだ、神様はそりゃ怒り狂う。今でも信じられないよ、私のほうが選ばれたなど。雲雀は私と一緒に村を出る行為に成功したのだけれど、それから……やたらおかしなことがおきたな。雲雀が子供の声に取り憑かれていったんだ」


「子供? 幻聴なのかな」


「どうやらそうでもない。私の方にも聞こえるからね、そして可視化すると子供達は、沢山居て沢山私達を見張って恨んでいたんだよ。雲雀や私も声がする頃に危ない目に遭うもんで、祟られたと判った」


「じゃあ母さんは祟られて死んだの? 呪いで衰弱……?」


「それがね……これが口を噤んでいた理由だけど。母さんはね、顔を剥ぎ取られていたんだよ。雨の日に路地裏で、顔を失って死んでいた。あれだけ美しかった雲雀がだ」


「……父さん」




 翁の顔には怒りもなく、悲しみもなければ、諦観の眼差ししかなかった。


 輝夜を育てながら謎を追究しようとし、探りきれなかったことが悔しいのだろう。




「父さん、もし、もしもだ。母さんの顔を持つ人に出会ったらどうする?」




 輝夜は狼狽えながら問いかける。


 輝夜の遠慮がちな声色に、不思議そうに翁は微苦笑し、緩やかに首を振った。




「荷物じゃないんだから持つ持たないなんてできないだろう。ただ同じ顔のひとがいたらそうだな……複雑だな」


「持ち物みたいに顔が、盗まれたのだとしたら?」


「……どうするだろうね、許せないんじゃないかな。本当に、物質的に盗んで自分のものにしたんだとしたら。輝夜だってそうだろう? あれだけ大好きだったじゃないか」




 輝夜がクッキーを食べれば、翁は嬉しそうに見つめ、食べかすを指先で唇からはらってやった。




「あんなにいつもくっついていたし、今も母さんそっくりの言動をする。口調は君の大好きな小説の影響だけれど。根本は、母さんそのものだ」


「私の指針たるひとだよ、ああなりたいんだ」


「おやめ。あの人のようになると、生きづらいだけだ。あの人は、善という名に拘り続けていたから、柵がなく拘るのはきっと辛い。それは……君にとっての呪いだ、こうあらねば、という」


「いいんだ! 私は私の思うとおりに生きる。憧れた姿で生きたいよ」




 ふてくされて頬を膨らませる幼い挙動の娘に、翁は困り眼鏡を光らせ一つ意地悪な言葉をかけた。




「輝夜、お前の大事な人がお前が腹が減ったとして大事なクッキーを渡したとしよう。他にはないもので、世界に一つだけだ。目の前でお腹が空いたと騒ぐ子供が居る。お前はどうする?」


「あげるよ、そんなの」


「そうそれがお前のいけないところ。雲雀ならあげないよ。……大事な人が悲しむからね、自分だからとくれたのに、と。お前の優しさには、中身がない。大事な人からってのも忘れていただろう? 今は、まだ判らないかもしれないけれどそういうところだ。表面的なんだ」


「そ、それは父さんの価値観じゃないか! 母さんだってあげるかもしれないだろう?」


「じゃあ聞くよ、君がもし。顔を盗んだ人に出会ったら許すのか? それによって、私がとても苦しんだとしても」




 何かに気付いているらしい翁の目が、細まると輝夜は一気に喉に空気を詰まらせた。


 真綿で締められている気持ちだ、じわりじわりと正論で蝕んでいく。


 輝夜は視線をそらすわけにもいかず、ごくりと、クッキーごと飲み込む。




「そのときにならなきゃ判らないけれど……もし、そうだと、したら。……私は、顔を盗んだ人の感情次第だ。その顔のせいで苦しんでいるなら追究することもない、喜んでいたら怒るし許さない」


「……うん、今は、それが妥協点かな。このクッキー美味しいだろう、お土産にもあるから持って帰ると良い」


「ありが、とう。ねえ、父さん。父さんは私のこと、今は普通に接してくれているけれど……子供がだから嫌いだったの? 昔は、私を見ると怯えた目をしていた、から」


「……君のことは大好きだよ、輝夜。今も昔も私の娘だ。だけど、私は……呪われてから幼い声がとても怖いんだ」






 父親の静かな声に、愛されてないわけではないけれど確執は確かにあったのかもしれないと、輝夜はうっすらと感じ取る。


 確執がある状態で数字のことを告げて良いかどうか悩んだが、もっと苦しめてしまいそうで今は答えを先延ばしにすることとした。


 父親はそのまま画材整理が終われば、輝夜を事務所まで見送り、輝夜が事務所内に入れば灯りのついた事務所を見上げ頬を掻き眼鏡をかけ直した。




「……雲雀、君は怯えなかったよな怖かっただろうに、私もそうなりたかった。私もまた、中身が伴ってない父親かもしれない」




 翁の頭上にあった数字は、15から19へと変化していた。


 輝夜が見れば寿命だとすれば増えるのはおかしいと小首傾げるものだが、翁の周りに居る真っ白い纏わり付く子供を見て頷くだろう。19はいる。




「忌々しい子供だ、普通の子供は好きだったのに。こいつらのせいで……」




 幼かった頃の輝夜にかける愛情も、愛しい人自体も失った最たる原因には憎しみしかない。もう失った取り戻せないものへかける情熱などない、それが諦観たる理由だ。


 顔を盗んだものよりも、翁はただひたすらに村の神様が憎いだけであった。








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