第13話 月下美人の博愛
いよいよ夏の序章がくる季節だった。
地味に暑く、じめっとしていて、気圧も低い。
やけに重い気持ちになる季節のことだった。
この前の詫びに、吉野の頭に帽子を被せ、夜店で酒を飲んでいた。
最初は嫌がっていた吉野だが、神は酒が好きであるのだから、断れない。
鬼であるならば尚更、酒には弱く、ついつい好物を目の前に好きな人からの誘いを断れず。
二人で飲んだくれていた。
飲んだくれていると、隣に幸の薄そうな白髪の青年が座り、酒を無言で味わっていた。
荷物は不思議なことに、テーブルに置いた酒瓶の中に美しく咲く月下美人のみ。
金はあるのかと店主は心配した顔つきをしたが、財布を見せれば店主は機嫌良く酒を出す。
「変わった入れ物だね」
「ああ、こういうリキュールなんですよ。月下美人を入れておくと、味が際立つ」
「何年ものなんだい?」
「言っても信じませんよ」
「最初から決めるなよ、言ってご覧」
「百年物です……大事に大事に飲んでるのですよ、リキュールをつぎ足して。それでも綺麗に咲いたままなのだから、これはまさに神秘です」
神からのギフトですかね、と男は笑いながらつまみを口にし、安酒のビールを飲む。
珈琲を混ぜた安酒を味わいながら、青年は物憂げな眼差しで月下美人の酒瓶を揺らした。
「お兄さん、百年生きてるとかはないよな?」
「まさか。祖父から受け継がれたから、百年と言っているだけですよ。祖父も不思議な体験をしたそうです」
青年は安酒を口にしながら、やけに辛いイカを食べる。
輝夜と吉野も、青年があまりに美味しそうに食べる物だから、同じ物をついつい頼んだ。
青年は兎に角悪い気持ちにさせることのない、不思議な青年だった。
何処か浮世離れしていて、この世の者でもない雰囲気もあるのだが、それでいて輝夜や吉野と話す内容は現実味がしっかりとあるので何とも形容しがたかった。
分かるのはこの青年が確実に、悪人ではないこと。
「この月下美人を持っていると、奇跡を目にするコトが一回だけあるそうなんです。祖母は昔医者からも匙を投げられた病にかかっていたそうなのですが。このお酒を飲んだら治り。それは父も同じ体験をし。こうして今、僕の手に月下美人が次の奇跡を呼び込んでくれるようにと手渡された。奇跡が必要なのでね。大事なお酒です」
青年のお伽噺は、輝夜、それから吉野でさえも素敵な話だと涙ぐみ。
また来週、同じ時間、同じ席で飲み明かそうと約束を交わした。
その約束の日まであと、三日という日だった。輝夜が、謎の奇病で倒れたのは。
病院に入院した輝夜は言葉も発せない程に魘されていて、美しかった顔も今では青ざめている。
このままでは、魂だけを求める妖が輝夜を手招いてしまう。
輝夜にはまだ生きて欲しい吉野は、市松にも頼んだが市松ですら悲しそうな雰囲気を出すので看病を任すので精一杯だった。
「元々この方は呪われていて。病弱の家系なのですよ、一定の年齢になると発病するように仕組まれている呪いが多々ある。黒い糸で執拗に巻かれているのですよ」
輝夜に詳しい市松がこう言うのなら、とそこで諦めきれる吉野ではなかった。
約束の日、吉野は思いきって青年に酒を少しでも貰えないか藁にも縋る思いだった。
約束の日に暗い面持ちで酒を不味い味を感じながら待っていると、青年がやってきた。
吉野は青年にすぐさま頭を下げて頼み込んだ。
「頼む、カグヤが大変なんだ!! アンタじゃないと、アンタの酒を使わないと治せないかもしれないんだ!!」
「……落ち着いて。吉野さん、一体どうしたんだ、輝夜さんは?」
「実は……」
輝夜のこれまで市松から聞いた人生や、在り方。
全てを話し終えると、青年は真面目な面持ちで唸った。
「このお酒には、別に呪い解除みたいな作用はないよ?」
「でも……ッ」
「それに代々受け継がれてきたたった一度の奇跡を譲れ、そう言ってると自覚している?」
青年の言葉は真っ直ぐで、正しい。
だが吉野にも譲れない想いがある。吉野は帽子を外して、角を見せた。
角を見せると、青年は驚いた顔つきで食い入るように見つめた。
「鬼の角に、もし価値があるのならこれを譲ってもいい」
「譲るって……あんたそう簡単に取れたりするもんじゃないだろう?」
「かもな、下手したら神じゃなくなる。でも、もうこの手しか残ってない」
「……どうして、そこまであの人が大事なんだ? 君にとって、その、人間、だろう? 違う種族だし、きっと触れてはいけない人種じゃないのかな?」
青年が躊躇いがちに尋ねると、吉野は爽やかな笑顔で応えた。
この時期は嫌な時期だ。夏の序章でじめっとしていて、気圧は低いし、暑い。
それでも、今の吉野の浮かべた笑顔はやけに気持ちを明るくしてくれた。
「カグヤは、特別なんだ。どう言えば良いか分からない、理由とか想いとか色々あるんだけど。でも、特別って言ったら全部納得できる」
「……君の覚悟は相当なんだね。いいよ、鬼の角は要らない。実はね、僕は人を愛することが出来ない性質でね。この酒は愛情を受けないと長続きしない酒だ。君なら、この酒を何百年も長続きさせられるだろう。君の中にある国宝級の美しい献身的な愛を見せてくれたから信じられる。これを譲るよ。奇跡を起こす条件はたった一つ。君が今後この酒の管理人となり、この月下美人を枯れさせないことだ。リキュールをつぎ足すときは、愛を注ぐこと。そうさな、君で言うなら、輝夜さんのことを想って注げば良い」
「いいのか??!!」
「僕はこれまで譲ってくれと土下座する奴を見てきたが、君はしなかった。土下座はただの自己満足のパフォーマンスだと分かっている。いいかい、愛を絶やしてはいけないよ。愛を絶やしたら、その時奇跡は消えるんだ」
青年は安酒を飲みながら、苦く笑った。
「僕を、長年の“呪い”から解放してくれたのは間違いなく君だよ、有難う。僕に奇跡は起きなかったけれど、君と出会えたことは愛しい奇跡だ」
青年は懐から月下美人の酒を取り出すと、そっと丁重に吉野へと手渡した。
吉野はお礼を何度も告げ、涙ぐみながら病院に辿り着く。
看護師がいない隙に、酒を薄め輝夜の口へそっと移し飲ませると、輝夜はあれほど魘されていたのにあっという間に顔色がよくなり。
酒瓶の中にあった月下美人が閃光を放つと、吉野が感じていた悪い気はなくなった。
少なくとも呪いは断絶とまでいかなくても、今発病した呪いには効果的だったらしい。
酒瓶を抱えながら、吉野が泣き崩れていると輝夜がそっと目を覚ました。
「どうしたんだい、吉野」
「カグヤ、カグヤ。人間って凄いね、人間って素晴らしいんだね」
「……吉野?」
「何でも無い、何でも無いんだ」
吉野は輝夜には言えなかった。
一つ、あの青年は隠し事を持っていて、吉野も気づいていた。その上でお互いに、譲り合い、輝夜を優先してくれた。
自己犠牲の塊のような、美しい人だと思った。
あの青年は、余命が少なく。恐らく花の奇跡に、命の延命を縋っていたのではないのだろうかと。
叶わずとも願わずにはいられなかった青年に、人のためにと諦める機会を与えたのが吉野だと青年は捉えて譲ってくれた。
青年は隠し事を呪いだと揶揄し、愛を注げない故に長く願っても叶わないことで苦しみ続ける奇跡への縋りから、吉野が無理強いすることで救ってくれたことを感謝したのではないのだろうか。
しょうがないと、諦める理由を作ってくれたと。
それは一種残酷で、一種救いだ。
「カグヤ、俺は、俺は――人間を愛してる。カグヤだけじゃない。人間が、とても、愛しいよ」
月下美人が似合う、美しい夜。月明かりを受け博愛を語る鬼は、やけに綺麗に映る。
吉野の涙に、輝夜は生きている実感をし。吉野の思いを知らず、涙を拭ってやった。
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