第10話 魅了されたメデューサ

 しととしととと雨が降り、音楽のように静かな雨だったらまだ風情という言葉で済んだのだが、土砂降りの乱暴なほどに強い雨音だった。

 輝夜は冷蔵庫の掃除をしていた。

 自炊はするもの故のいつ冷凍したか分からないものを選別したり、いつ買ったか分からない滅多に使わない調味料の整理だのをしていた。


 ぴんぽんと呼び鈴が鳴り、輝夜が出ればそこには配達のお兄さんが居た。

 いつものお兄さんだったので世間話を交じらせ、受け取りをスムーズに行ったあとで荷物を開く。


 荷物にはお礼状とギフトセット、それから展覧会のチケットが入っていた。

 展覧会の内容は、チェーンソーで木材を彫刻しアートとして作った物を飾るという。

 面白そうだなと思った輝夜は、市松を誘おうと思ったのだが、ここ最近市松は顔を見せてくれない。

 母の顔を見せたのを気にしてるのか、それとも何かあったのかと思う内に、展覧会が終わりそうな期限にまでなる。


 しょうがないと輝夜は一人で展覧会へ向かい、展示室に沢山ある彫刻を堪能する。

 今ちょうどパフォーマンスとして、展覧してる主が彫刻する様子を生で見せてくれている様子なので会場に入ればそこには金髪の垂れ目の男がいた。

 垂れ目の男は、青い目をしている――というのに、角度で赤く見えたのでぎょっとした。

 一定の角度になれば赤い目をした男はサングラスをかけ、口に電子タバコを咥え、ささっと熊の彫刻を作り上げた。


 幼い子供が喜んで「すごいすごい」と褒めてると、男は嬉しげに子供へ笑いかけた。


 いい人そうだ、と思ったところへ輝夜と目が合うとにやっと笑いかけられた。

 この笑みの類いは、あまり、よくない物の気がする。

 輝夜は瞬いて、パンフレットをぎゅっと握りしめたまま、男を見つめ返した。


「カグヤ、カグヤだろ。アンタの話は聞いてるぜ、親父から」

「貴方は……」

「オレはジェイデンっつーんだ。あっちにカフェテラスがある、ちょうど良いからお茶でも飲もうぜ。それとも軽薄なナンパみたいで嫌いか?」

「ナンパにしては脅しのように睨んでくるから、何か訳ありなのだろうね。いいよ、飲もう」


 輝夜は太陽のように明るく笑うジェイデンの瞳から、ぞっとするような寒気を感じ取ると否とは拒絶できなかった。

 この男の眼差しには、何か引力がある。

 ジェイデンは頷くと、電子タバコをしまい込み、カフェテラスへ案内し珈琲を輝夜に奢ってくれた。


「君の父親を知らないんだが、私は」

「おお、そうか。まあそういうもんだよな、まあ……いわゆるお前さんのファンってやつだ、うちの親父は」

「どなただね?」

「耳貸して」


 囁かれて内緒話のように囁かれた父親の名前は、先日カーテンの向こう越しにいた殺人鬼らしき名前。

 にっこりとジェイデンは笑って、顔を離した。


「アンタの写真いっぱいですごいよ、うちの部屋。ああいうのなんつーんだっけ、す、すと、ストーカー?」

「困るんだがね」

「まあ硬いこと言うなって。ようやく見つけた親父の健気な趣味だ」


 危うく殺そうとした奴のどこが健気な趣味だというのだろうと、輝夜は疑問に思うも、また赤く光った目に輝夜は思わず問いかける。


「瞳が時折赤いな」

「ああ、オレさあ。化け物のサラブレッドなんだよな。メデューサと殺人鬼の間の子っていう、結構胡散臭いだろ」

「その割には堂々と生きているんだね。もっと慎ましく生きる存在かと」

「折角生まれたからには楽しく生きていたいじゃあん? ああ、でも親父の感覚は分かるかな。アンタのその白い首。手を寄せたらどうなるだろう、ってドキドキする。小娘がアイドルに騒ぐみたいに、ときめくわ」

「……堂々と生きていくには、そのようなことはお勧めしないよ」

「っははは、だな。まあ……慎ましく生きていても、オレのこと気に食わない奴がアンタの周りにはいるみてえだけどな。そこにいるんだろう、噂の神域が。なあ、出てこいよ、盗み聞き野郎」


 輝夜は驚いて辺りを見回せば、木陰からざっと降りてきたのは吉野だ。

 吉野に睨み付けると、叱られた犬のような目を輝夜に向けてから、吉野はジェイデンに唸り睨み付けた。


「カグヤは殺させないぞ」

「っはン!! 噂に聞いたとおりだ、執着が凄まじいな。オレなんかより、狐男を気にしたほうがいいんじゃないか?」

「あいつも嫌いだが、もっとアンタは嫌いだ。あいつからは少なくとも故意の恨みのにおいはしない。アンタからは恨んでる女の影が沢山見える」

「オレもてるからそれで選ばれなくて恨んだ女が多いんじゃない? 少なくともオレは殺したことないよ」

「……うまく言えない。けど、カグヤ、こいつに関わらないほうがいい」

「まあ君がそう言うのであれば。それに一期一会だろう、多分。ジェイデン、お前とはたった一回の出会いで終わるさ」


 輝夜がにこやかに残酷な宣言をすれば、ジェイデンはにやけながら紙に自分の住居を記し、ぐいっと押しつけるように渡した。


「いつでも気が変わったら来てくれ、たとえば狐男が何者か知りたくなったり。お前の母親が何者か知りたくなったら。不思議だと思わないか? 何だって、毎回お前だけが化け物に絡まれるのだろうね?」


 その言葉は輝夜の興味をいたく惹いた。

 吉野でさえ、その言葉に目を丸くし、輝夜と顔を見合わせた。

 ジェイデンはただ「親父がストーカーだから、情報が此方にもくるんだ」と笑って、その場から去って行った。



「……母さんは、人間で、ない?」

「そんな……カグヤが神域や妖に関わる者なら、匂いで分かるはずだ。しないぞ?」

「……市松だって不思議だ。市松が、何者か教えてくれるなら知りたくも思う」

「やめとけって!! あれは罠だよ絶対!」

「吉野。私は……母の記憶が幼い時の物しかないんだよ。……出来れば知りたく思う。父もあまり語ってくれないしね」

「だけどあんなあからさまに怪しい奴!!」

「でも……私は」

「でもじゃないぞ!! カグヤ、行くなよ!? あんな言葉、挑発そのものだ!」

「友達のことだ、知りたいと思うよ」

「本当にあの狐が友達だというなら、あいつから語るのを待つべきだ!」


 完全に意見が分かれると輝夜は珍しく機嫌を損ね、吉野をその場に置き去りにして帰宅していった。

 その背に呆れてから、吉野は怒りを混じらせ慌てて輝夜の背を追いかける。


 そんな姿をガラス越しに見ながら、ジェイデンは笑い、手元に装着するエメラルドであしらえた指輪を撫でた。





 ジェイデンの言葉や、あの赤く光ったときの眼差しが忘れられない。

 輝夜は数日後、吉野の制止を聞かずにジェイデンの家に向かった。


 ジェイデンの家はオートロックのマンションで、土地柄や部屋の雰囲気からも家賃が高そうである。

 ジェイデンは輝夜がくればにこやかに笑い、サングラスを胸元のポケットにしまい込み、うっとりと微笑みかけた。


「いらっしゃい、オレの女神」

「よく恥ずかしげも無く出るな、その単語」

「なんで? 女神は女神だよ、世の中探してもアンタみたいな女は絶対存在しない。目から魅力をもって男女構わず誘っているのに、アンタ自身は誰が来ようがNOとする。冷たいな」

「おしゃべりは確かにしに来たんだが、聞きたい内容が違うな。そんな内容が続くなら帰るが」

「せっかちだね。ディナーはちゃんと、スープやサラダを食べてからメインディッシュになるでしょう?」

「そんな上等なものより、牛丼で早く済ませたいな」

「クールだね、わお。まあお茶くらいなら飲んでいけば。話してて喉渇くだろ」

 輝夜の前に出された紅茶に手を伸ばし、輝夜は大人しくジェイデンが話すのを待つこととした。

 ジェイデンは菓子を用意し、クッキーに手を伸ばして食べながら、ゆるりと話し始める。


「お前の母親はね、昔、光栄なことに神への供物として選ばれたんだよ。要するに生け贄な。時代錯誤の村で、お前の母親と父親が生まれ仲睦まじかった。地図にも載ってない村だ。そこで、お前の母親は……神にいたく気に入られた。とくにそのお前と少し似た眼差しが気に入っていた様子だったんだ。だが二人は逃げだし、神は怒り狂った。母親を呪い殺し、お前にこの世の怪異全て向かうように仕向けられている」

「吉野は何故知らないんだ?」

「お前全人類の顔なんて覚えてるか? そういうこと。まあ、……なんつうか、お前自身に不思議な魅力があるのは確かだ。それはきっと母親譲りなのも想像つく」


 ジェイデンは輝夜の隣に座り、頬を撫でる――その手を払い避けたかったのに、ジェイデンの目を見ているとそんな行為は愚かに思えた。

 何故だろう、胸が熱い、身体が、火照る。

 輝夜は目を眇め、ジェイデンをやや訝しむ。


「何か茶に仕組んだか?」

「ううん、お茶は至って普通♡ 普通じゃないとしたら……オレの目さ。オレの目は、母さん仕込みでさ、人を魅了するんだ。一日目を合わせれば嫌な気にさせず、三日目を合わせれば惚れさせる。一週間もすれば、オレの虜になり何でもするようになっている」

「……だからか、目が離せなくなっている」

「ふふ、人の子だな、やっぱり。呪われてるっつっても。オレさ、ずっと楽しみだったんだよ、アンタをオレのもんにするの。たった一度きりの出会いなんて許さない、死んでもアンタはオレのもんだ」


 鮮烈な色香を放つジェイデンに、輝夜はくらりとし目を閉じようとするも、顔を引き寄せられ間近で瞳を合わせてしまう。

 蛇のような眼差しは真っ赤で、ジェイデンは口元をにやけさせ、輝夜へと口づけた。


「ああ、いいな。やっぱり。親父には悪いけど、アンタの写真見たときオレのが魅了されていたんだ。人を魅了してばかりの宿命を持つこのオレがだ! なんて気高い眼差しだ、こんな時でも崩れない」

「……反吐が出るね。人を嫌うというのはあまりしない性質だが、生まれて初めて誰かを心底嫌うということを覚えそうだ」

「嫌いの裏返しは好きだよ、熱烈な告白だね悪くないよ、カグヤ。部屋に連れて行ってあげる、特別な部屋に」



 身動きがジェイデンの操るとおりに、手招かれた部屋へと勝手に向かってしまう。

 吉野の怒りももっともだ、あれだけ派手に喧嘩したあとだ、助けに来ないだろう。

 あの時から既に魅了は始まっていたのかもしれない。

 悔やみながら踏み込んだ一室には、沢山の輝夜の写真が視線が定まらない状態で貼ってあった。幼い頃から、現在に至るまで全ての写真だ。


「親父からの秘蔵、焼き増ししてもらったんだ、気に入ってくれた?」

「親子揃って趣味が悪いな、君もストーカーじゃないか」

「アンタはその趣味が悪い男の虜になっていくんだよ。キスは嫌な気持ちにならなかっただろう?」


 ジェイデンが輝夜の身体へ触れようとした刹那――後ろから声がかかった。


「乙女の敵というのは頷けますね、吉野の言っていた通りだ」

「ッ!? 狐男! 何処から入ってきた!」

「玄関からきっちりと。親切に開けてくださる方がいらしたので。素敵なお父上ですこと」


 市松が狐面をずらして笑いかけると、それだけで一気に輝夜の中で嫌悪感が弾けた。

 嫌悪感が弾け、ジェイデンを殴り蹴り倒すと、慌てて市松の影に隠れた。

 今になって恐怖が湧き出る、あのまま。瞳を見つめ続けていたら、確かにあの男の言いなりに心さえ奪われていたのだろう。


「先生、初恋は大事にするものですよ。こんなイカサマめいた男およしなさい」

「おめえに言われたくねえなあ?! おめえなんか、そいつの顔欲しさに近づいてるくせに! コレクションにしたがってるのはお前もだろ!」


 ジェイデンは殴られた頬を抑えながら、市松を睨み付けると市松は低い声で唸った。


「貴方が僕の欲を語るな。僕の生き様を、勝手に決めつけるな。……まあ、色々ご存じなんでしょうけれども。データと、現実に対面する僕を同じにしないでくださいますか?」

「違うと? その女を、あの鬼みたいに守り続けるのか?」

「少なくともまだまだ僕は、この方が僕を楽しませてくれると信じてますよ。さあ、帰りましょう、先生」


 市松は輝夜の手を引き、帰り始める。その背に「諦めないからな!」と声だけが追ってきた。


 市松はマンションから出ると、深くため息をついて輝夜を見つめた。


「先生。何か言うことは御座いますか」

「……私は、母のことが知りたかったんだ」

「……でしょうね、でも他にもあるでしょう」

「君のことも、知りたかった」


 輝夜の言葉に、市松は髪の毛をがしがしと掻いてから輝夜の頭をそっと撫でた。


「いつかお話しますので、今日みたいな真似はおやめくださいね」

「今の今まで何処に行ってたんだ?」

「ちょっといつものレースゲームの決勝まで。地区大会の予選に好奇心で出たら、本戦の決勝まで行けたので僕の代理を探すのに少し手間取っていたのですよ。人前に出るわけにいかないので」


 市松は輝夜の頬を両手で引っ張った。


「で、もっと言うことありますよね?」


 輝夜は目に涙を浮かべてつげた。


「心配かけてごめんなさい」


 ようやく日常を感じた輝夜は、脳裏からあの赤い目を離せる行いに成功できた。

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